昭和8年(1933年)に誕生した名門・上高地帝国ホテルの外観。(2021年10月9日撮影) 目次 上高地帝国ホテル前が合同墓地だった 火葬した場所は「八右衛門沢」だった 山での火葬は遺族からの依頼 500体を火葬した 火葬場所は八右衛門沢(はち…
上高地バスターミナルから河童橋に通じる道路わきに立つ看板。 目次 「国民新聞」がここを基地にして新聞を配っていた 「国民新聞」の発行を「新愛知」が受け継いだ 「新愛知」が「名古屋新聞」と合併し、「中日新聞」に 内野常次郎は登山ガイド 旅館の裏の…
屏風の耳から見下ろす涸沢カールと穂高連峰の絶景 (2021年10月8日午前8時30分撮影) 目次 涸沢のモルゲンロート パノラマコース(別名:パノラマ新道) 涸沢~「屏風のコル」まで 「屏風の耳」からの眺め 「屏風のコル」から新村橋・上高地まで …
涸沢のビューポイントからの紅葉風景(2021年10月7日午前10時45分撮影) 「涸沢の紅葉を見ずして穂高を語ることなかれ」――。 北アルプスの上高地の奥地、涸沢(からさわ)カールの紅葉のすばらしさを表現した名言です。 10月6日(水)早朝、都…
人気のあるこの山が硫黄を採取するための鉱山だったことをにおわす案内標識。 朝日岳山頂から見た茶臼岳 (2021年9月17日撮影) 目次 硫黄鉱山の「遺構」をさがす 江戸時代から採鉱していた 明治時代に主導したのは「那須硫黄鉱山株式会社」 採掘場所…
三斗小屋温泉の山小屋に向かう女性の歩荷(ぼっか)さん (2021年9月17日 峰の茶屋跡で撮影) 目次 隠居倉(いんきょぐら)というピーク 朝日岳というピーク 峰の茶屋跡 隠居倉(いんきょぐら)というピーク 三斗小屋温泉の源泉をみたあとは、下界に…
水蒸気や硫化水素を噴き上げる三斗小屋温泉の源泉(2021年9月17日撮影) 目次 「煙草屋旅館」の裏手から行く 三斗小屋温泉神社本殿 三斗小屋温泉の源泉 大黒屋の「源泉」は、煙草屋旅館とは別の場所 「煙草屋旅館」の裏手から行く 秘湯・三斗小屋温泉…
大黒屋のヒノキ風呂。 目次 150年前の木造の建物 お風呂 部屋 食事 夜はランプ 電話と飲み水 朝ごはん ヘリポート 秘湯(ひとう)――そう呼ばれる交通の便の悪い山奥にある温泉宿は、数多くあります。が、山道を2時間以上も歩かないと着くことができない…
エゾリンドウ(2021年9月16日、茶臼岳の那須ロープウェイ山頂駅近くで撮影) 目次 牛ヶ首でルートを見失う 無間地獄 茶臼岳の山頂へ 峰の茶屋跡 牛ヶ首でルートを見失う 茶臼岳(標高1915㍍)は、那須連山という福島県から栃木県にかけて連なる峰…
内務省警保局検閲課長名で全国警察の検閲責任者に情報統制を指示していたことを示す極秘文書(国立公文書館所蔵) 今から70年以上も前ですが、日本はアメリカなどを相手に太平洋戦争(1941年~1945年)を起こしていました。その最中に発生した東南…
戦時中に情報統制されていたことが分かる内務省新聞検閲係の「勤務日誌」(国立公文書館で保管) 目次 隠されたのは「東南海地震」と「三河地震」 母の故郷は渥美半島の先端 学徒勤労動員で豊川海軍工廠の寄宿舎暮らし 家の母屋は倒壊 医王寺の本堂も壊れる …
カモシカと登山道でバッタリ出会いました。(2002年3月24日撮影) 目次 JR茅野駅でステーションビバーク エビの尻尾(しっぽ) 本沢温泉への下山ルート選びは慎重に! 逃げないカモシカ 【その他の八ヶ岳登山】(山行記録メモは紛失) 夜行列車で登…
八ヶ岳連峰・硫黄岳の山頂ケルン(2002年11月3日撮影) 目次 2002年11月2日 2002年11月3日 新雪でアイゼンが効かない! 横岳の山頂で分かったこと 教訓:水筒の口は大きめの品にすること 横岳の「カニの横ばい」では転落注意! ピッケ…
八ヶ岳・硫黄岳の凍てついた北斜面を登る単独行の男性(2003年3月2日撮影) 目次 2003年の雪山登山の記録 (同僚のメモをもとに作成) ステーションビバーク 気象通報を聴いて「天気図」を書く! 水をつくる 長野県と山梨県にまたがる八ヶ岳(やつ…
オーセベリ船と名付けられたヴァイキング船(2019年5月12日撮影) 目次 ヴァイキング船博物館に3隻も ヴァイキングはどこに住んでいた人たち? 「海賊」が専業だったの? 「交易」が主、「略奪」は従 土に埋められた船は「墓」になっていた ゴックス…