北穂高岳で味わう至福のひと時

穂高連峰を中心とした登山でみたこと、感じたこと、考えたことを備忘録として書いています。

どうして?人体の不思議~ふるえ②夏でも低体温症に

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北アルプス・涸沢のテント場  (2014年5月4日)

 「疲労凍死」から「低体温症」へ

トムラウシ山遭難事故が転機

  その昔、「疲労凍死」ということばが新聞紙面でみられ、登山者の間でも口にされていました。文字通り、「疲労のために動けなくなって、気温が氷点下のところで凍死した」という意味で、冬山での遭難がイメージされていました。

 明治時代に青森県の八甲田山であった陸軍歩兵第5連隊の大量遭難や、松濤明(まつなみあきら)という登山家の槍ヶ岳・北鎌尾根での遭難といった、厳冬期の事故が「疲労凍死=冬山」という印象を人々に与えてきたようです。

 

 疲労凍死というのは、医学用語でいう「低体温症」のことですが、10年前のあの夏の日の遭難事故までは、低体温症が原因の夏山遭難はほとんどなかったうえ、一般の人にもほとんど知られていない用語でしたので、登山界で使われることはありませんでした。

 ところが、2009年7月、北海道・大雪山系のトムラウシ山で、ツアー登山の8人が死亡しました。夏山シーズンでありながら、「低体温症」が原因の死亡事故でした。これ以降、従来の「疲労凍死」という言葉に代わって「低体温症」というオールシーズン向けの言葉が山岳遭難で使われるようになりました。

 「夏であっても体温が急激に下がって、低体温症で死に至ることがありますよ」と、登山者に注意を促す意味合いもあるようです。

 

トムラウシ山遭難事故とは……

  2009年7月、トムラウシ山で、東京の旅行会社「アミューズトラベル」の登山ツアーに参加した55歳から69歳までの男女15人と、引率していたガイド3人の計18人が遭難。真夏の山岳遭難としてはかつてない惨事となりました。北海道警察本部は2017年12月、ガイドたちは悪天候の中で遭難の危険を予見できたにもかかわらず、下山などの検討をせずにツアーを強行したほか、旅行会社も事故防止対策を怠った――として、ガイドと旅行会社の当時の社長を業務上過失致死の疑いで釧路地検に書類送致しました。そして2018年3月、釧路地検はガイド2人と元社長を嫌疑不十分で不起訴、死亡したガイドも被疑者死亡で不起訴処分にしています。

 

 

低体温症とは?

金田正樹医師の報告

  トムラウシ山遭難事故のあと、プロの山岳ガイドでつくる社団法人「日本山岳ガイド協会」は、事故関係者とは利害関係のない第三者による調査委員会を立ち上げて原因や問題点などを調査。その結果をまとめた報告書が2010年3月に公表されました。

 調査委員の1人で、元・文部科学省登山研修所専門調査委員の金田正樹医師が、低体温症について一般の登山者にも分かるように説明してくれていますので、一部を抜粋します。

 

★「低体温症」の定義

低体温症とは、直腸温が35度以下になった状態をいう。

山岳遭難や水難事故などで体温が下降して低体温になることを「偶発性低体温症」という。

 

★どのようにして体温は下がるのか

 人間は脳、肺、心臓など身体の中心部の温度をいつも一定に保ちたい。この温度を保つために、脳の視床下部というところに体温調節のコントロールセンターがあり、指令を出す。体温測定はこの身体の中心部の温度(鼓膜温、食道温、直腸温)を計るのが正しい。脇の下ではない。

 人体の熱をつくる場所は、筋肉である。下がり続ける外気温に対しては、身体が熱の産生量を増やさなければならず、全身の筋肉を不随意に急速に収縮させて熱を増やそうとする。これが「震え」である。

 熱のエネルギーの燃料になるものは、炭水化物、脂肪が主であり、最後はタンパク質が分解してエネルギーになる。

 

体温変化とそれぞれの症状

 【36度】寒さを感じる。寒気がする。

【35度】手の細かい動きができない。皮膚感覚が麻痺したようになる。次第に震えが始まってくる。

【34度台】歩行は遅く、よろめく。震えが激しくなる。口ごもるような会話になり、時に、意味不明の言葉を発する。眠そうにする。軽度の錯乱状態になることがある。

 

金田医師による遭難事故での低体温症の考察

●沼からあふれた水が川になっていた場所を渡る時に、ツアー参加者は耐風姿勢で待機したが、強風下での待機時間が長く、ほぼ全員が低体温症になった。この時間の長さが、今回の遭難の重要なポイントとなる。

●複数の生存者の証言から、低体温症の発症から死亡までの推定時間は、「2時間から4時間以内」が5人、「6時間から10時間半以内」が3人。つまり、低体温症は発症から2時間で死に至ることがある。死亡者の半数以上が4時間以内に亡くなっていることは、低体温症が加速度的に進行したと思われる。

●低体温によって心臓が1回に送り出す血流量が減少することにより、脳への酸素も減るうえ、脳の血流も冷たくなるため、脳の機能は低下し始める。

●脳の中の大脳皮質には、人間らしい運動機能や言語、精神機能をつかさどる中枢があるが、この中の言語中枢が低体温によって抑制がとれると、自分の意思とは関係のない言葉や奇声、意味不明の言葉を発するものと思われる。沼で待機の時点から言語の異常が見られることから、低体温による脳機能の低下は、かなり早い時点からくることが示唆される。

 

 

 

低体温症にどう対処するか?

金田医師は?

  金田医師は報告書の中で、「夏山で低体温症になったら、どうすればよいと考えますか?」と問題提起しています。

 金田医師は「夏山の強風雨の下で登山行動は、体力の消耗、低体温症の危険性などを考えれば、中止またはビバークが最適である」と結論付け、次のように記述しています。

 「体温を下げる最大の要因は“風の強さ”にあることから、風を避けるビバークを選び、体温をこれ以上、下げない、疲労をためない、食物を取れる環境で風雨をやり過ごすのが最適であり、生命を維持できると考える」「下がり続ける体温をストップさせるには、“熱量”が必要である。そのためには、こまめにカロリーのある行動食を補給していくことが大切であり、体力、熱量の補給、体温の維持ができない状態では、風雨の中は歩くべきではなく、特に、基礎代謝、体力の低下している50~60歳代は進むべきではない」

 

  

 

大城和恵医師は?

震えがきたら、まず食べる!

  国際山岳医で、冒険家・三浦雄一郎さんのエベレスト遠征にチームドクターとして同行した大城和恵医師は、著書「登山外来へようこそ」(角川新書)の中で、こう書いています。参考になります。

 「(深部体温が低くなっていくと)人の体は震え始めます。無意識のうちに筋肉を動かし、熱をつくろうとしているからです。震えにはエネルギーが必要です。エネルギーがなくなると震えることさえできなくなるので、カロリーをとっておくことです。(中略)。震えは危険信号ですが、自力回復できるサインでもあります。この間に、とにかくどんどん食べるようにしてください。(中略)。エネルギー補給に最も適しているのは炭水化物です。長い遠征であればバランスを考えるのも大切ですが、一泊や二泊の登山であれば、おにぎりやパンなど、持ち歩きしやすい普通の食べ物で構いません。私はよく、アンパンを持っていくようにしています」

 

 

 

 

登山外来へようこそ (角川新書)

登山外来へようこそ (角川新書)