北穂高岳で味わう至福のひと時

穂高連峰や丹沢を歩いて20年余り。見たこと学んだことを備忘録として書いています。

山に想う~夏の尾瀬 ②ダムの底に尾瀬を沈める計画も

明治・大正時代に発電所建設の動きが…

 

 ミズバショウやニッコウキスゲが咲くころになると、東京や名古屋方面からバスツアー客が大勢訪れる安らぎの場、尾瀬――。電気をつくるためにここにダムをつくり、尾瀬ヶ原や尾瀬沼を水の底に沈める計画が、昔、ありました。

 ことしの初めに尾瀬旅行を企画するまで、近くの東京に住みながら知らなかったその事実。遅ればせながら、尾瀬の「歴史」を調べてみました。

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尾瀬の湿地に咲くミズバショウ (2019年5月26日撮影)

 

 尾瀬は群馬、福島、新潟の3県にまたがる本州最大の湿原で、広さは東西6㌔、南北2㌔。尾瀬ヶ原(標高1400㍍)と尾瀬沼(標高1660㍍)を中心としたエリアで、周辺を燧ケ岳(ひうちがたけ)や至仏山(しぶつさん)といった標高2000㍍級の山々に取り囲まれた盆地です。

 1万年以上前の大昔に、燧ケ岳が何度も噴火し、西に流れた溶岩が現在の「三条ノ滝」付近で只見川をせき止め、尾瀬ヶ原を形成しました。尾瀬沼については、燧ケ岳から南への溶岩が沼尻川をせき止めてできたという説と、溶岩流ではなくて燧ケ岳の南側の山体の崩落によるものだとの見方が示されています。

 

「尾瀬ヶ原ダム」計画

  ダムが建設されていれば、尾瀬ヶ原は完全に水没していて、いまの尾瀬はありませんでした。

 

 周囲を2000㍍級の山に囲まれ、お碗のような形をした尾瀬ヶ原は、豪雪地帯で水が豊富ということもあって、明治時代の中ごろ水力発電所の建設候補地として明治政府の目に留まりました。

 当時の明治政府は、「富国強兵」をスローガンに掲げて経済の発展と軍事力の強化による近代的な国家の建設を目指しており、「電力は産業の血液」を合言葉に、各地で水力発電の開発を進めました。

 

 1894年(明治27年)には利根川水源探検隊という群馬県派遣の調査チームが尾瀬に入り、1903年(明治36年)には、盆地状の尾瀬ヶ原と只見川の源流である尾瀬沼を利用して、水力発電用のダムを建設する構想が発表されました。

 この構想に基づいて、利根発電という地元の電力会社が1918年(大正7年)に土地の所有者(現在の群馬県片品村住民)から、「178平方キロメートルの土地を35万円」で買収しました。

 そして1922年(大正11年)に、関東水電(東京電力の前身)が尾瀬ヶ原と尾瀬沼の水を利用する「水利権」を獲得しました。

 

 ダム建設の概略は――尾瀬ヶ原の水が北側の只見川に注ぎ込む地点に高さ85㍍のダムを建設して、尾瀬ヶ原を貯水池とする。ためた水は、至仏山に掘るトンネルを通じて利根川の上流に導き、水上温泉街付近など2、3ヵ所に発電所を建設する、という計画でした。

 

 平野長蔵さんが怒る

 この動きに対して、尾瀬をこよなく愛して1890年(明治23年)に尾瀬沼湖畔に小屋(現在の長蔵小屋の前身)を建てて住んでいた故・平野長蔵さんが猛反発。尾瀬ヶ原と尾瀬沼を守るために単身上京して、内務大臣に水利権認可の取り消しを請願しました。

 

 また、政府部内にも、尾瀬の自然環境を守るべきだとの強い声があったこともあり、ダム建設計画はその後何度も何度も変更になり、着工には至りませんでした。

 そうこうするうちに、1934年(昭和9年)、尾瀬は「日光国立公園」の一部に組み込まれました。

 

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尾瀬ヶ原の牛首分岐ベンチ。向こうは燧ケ岳 (5月26日撮影)

 

東電の所有地が尾瀬にあるわけは?

  尾瀬ヶ原を一望できる好位置に山小屋「東電小屋」があることなどから、「なんで東電の山小屋がここにあるの?」と多くのハイカーが不思議に思うようです。

 

 

事業の引継ぎ

 

 現在の東京電力は敗戦後の1951年(昭和26年)、国の電力事業の再編計画によって設立されましたが、その際に東電が前身の電力会社の事業エリアを引き継いだことから、尾瀬の土地も東電の所有になりました。

 東電は現在、尾瀬国立公園全体の約4割、尾瀬国立公園特別保護地区の約7割の土地を所有しています。

 

 「夏がく~れば思い出す~」の歌詞で超有名な歌、「夏の思い出」(江間章子作詞)がNHKのラジオ番組で放送されたのは、東電設立2年前の1949年(昭和24年)。日本人の心をとらえて大ヒット。音楽の教科書にも載って、尾瀬にハイカーが押し寄せるようになりました。もはや尾瀬ヶ原を水没させることは許されない空気になりました。

 1985年(昭和60年)秋には関越自動車道の全面開通で、マイカーで尾瀬を訪れる入山者は増加しました。

 

 そうした中で、水力発電の必要性は低くなったという時代背景も加わって、東電は1996年(平成8年)3月、尾瀬ヶ原の水利権の更新を見送りました。これにより77年間に及んだ「尾瀬ヶ原ダム建設計画」は立ち消えになり、尾瀬ヶ原はダムの底に沈むことを免れました。

 

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ミズバショウの群生地。バックは至仏山 (2019年5月26日撮影)

 

国立公園の中の私有地

 

 国立公園の中に私有地があることに違和感を覚える人もいます。しかし、これは違法でも何でもありません。

 国立公園は、日本の自然風景が素晴らしい土地を保護するとともにそこを国民の休養の場にしようとして指定されるエリア。全国で34ヵ所、環境大臣によって指定されていて、尾瀬国立公園もその1つ。

 

 指定の目的は「自然の景観の保護」が目的のため、その土地が私有地であっても差し支えないということです。

 

 尾瀬国立公園は、2007年(平成19年)に日光国立公園から分離されて独立しました。それ以前から尾瀬は国立公園特別保護地区に指定されており、植物を採取したり木の枝を1本折るにも、環境大臣の許可が必要な地域になっています。

 

 大切に守りたいエリアです。この風景は国民の財産です。