北穂高岳で味わう至福のひと時

標高3000㍍の北アルプスに登っていたころの写真記録、国内外の旅行、反戦平和への思いなどを備忘録として載せています。

米カメラマンの記録:長崎の「焼き場に立つ少年」

 

 

 この写真を見たとき、ハッとしました

 世界に大勢の信徒がいるローマ・カトリック教会の指導者、フランシスコ教2019年11月23日に来日する少し前、教皇のことを紹介するテレビ番組で、写真を見た時のことです

 

 その写真は、20年前に、ある「写真集」でみて衝撃を受けた、まさにその1枚でした。

 

 

 

 のちに「焼き場に立つ少年」と名付けられたその写真が載っていた本は、「トランクの中の日本~米従軍カメラマンの非公式記録~」というタイトルの写真集・・・。

 撮影者は、米海兵隊のカメラマン(軍曹)ジョー・オダネルさんです。

 

 「焼き場に立つ少年」は、原爆が投下されて間もない長崎で、指先をピンと伸ばした直立不動の少年が、子供を背負った状態でキッと正面を見据えている写真です。

 しかも、裸足。唇をかんでいる何かに耐えている様子。

 ふと、背中の子供に目を移すと、眠っているのか首が後ろに倒れている。

 

 写真の説明文の見出しを見て、ギョッとしました。「焼き場にて。長崎」――。

 不覚にも、いい年をして、胸が熱くなって目に涙がにじんできたことを覚えています。

 

 

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写真集「トランクの中の日本」・・・少年は気を付けの姿勢で、じっと前を見続けた。背中には・・・


 

 

 核兵器の廃絶を訴え続けるローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇は、来日する2年前の2017年暮れ、「焼き場に立つ少年」というタイトルが付されたその写真に、「戦争がもたらすもの」というメッセージを添え、世界中の教会関係者にポストカードとして配布するよう指示しました。

 教皇は「このような写真は、千の言葉よりも伝える力がある」と言ったそうです。

 

 

 撮影したジョー・オダネルさんは、1995年に出版した写真集トランクの中の日本~米従軍カメラマンの非公式記録~」の中で、「焼き場に立つ少年」の写真について、こう話しています。

 

 「長崎では、次から次へと死体を運ぶ荷車が焼き場に向かっていた。焼き場となっていた川岸には、浅い穴が掘られ、水がひたひたと寄せており、灰や木片や石灰が散ばっている。(中略)。焼き場に10歳ぐらいの少年がやってきた。小さい体はやせ細り、ぼろぼろの服を着て、はだしだった少年の背中には2歳にもならない幼い男の子がくくりつけられていた。その子はまるで眠っているようで、見たところ体のどこにも火傷の跡は見当たらない。」

 

 「少年は焼き場のふちまで進むと、そこで立ち止まる。わき上がる熱風にも動じない。係員は背中の幼児を下ろし、足元の燃えさかる火の上に乗せた。まもなく脂の焼ける音がジュウと私の耳にも届く。炎は勢いよく燃え上がり、立ち尽くす少年の顔を赤く染めた。気落ちしたかのように背が丸くなった少年はまたすぐに背筋を伸ばす。少年は気を付けの姿勢で、じっと前を見つづけた。一度も焼かれる弟に目を落とすことはない。軍人も顔負けの見事な直立不動の姿勢で、彼は弟を見送ったのだ。」

 

 「私はカメラのファインダーを通じて、涙も出ないほどの悲しみに打ちひしがれた顔を見守った。私は彼の肩を抱いてやりたかった。しかし、声をかけることもできないまま、もう一度シャッターを切った。急に彼は回れ右をすると、背筋をピンと張り、まっすぐ前をみて歩み去った。一度もうしろを振り向かないまま。係員によると、少年の弟は夜の間に死んでしまったのだという。(中略)。きょう一日みた人のことを思うと、胸が痛んだ。あの少年はどこへ行き、そうして生きていくのだろうか」。

 

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 10歳ぐらいの少年。背中には・・・

 

 

 

 「焼き場に立つ少年」については、皇后陛下(現・上皇后美智子)も触れている。

 2007年のお誕生日(10月20日)に際し、宮内庁記者クラブからの質問に対し、文書でこう回答されています。

 

(質問)「この1年、国内外で起きたことで、特に印象に残ったことは?」

(答え)(5点のうち5点目で)

    「ことし(2007年)8月の新聞に、原爆投下後の広島・長崎を撮影した

    米国の元従軍カメラマン(注:ジョー・オダネルさん)の死亡記事と並び、

    作品の一つ、“焼き場に立つ少年”と題し、死んだ弟を背負い、しっかりと

    直立姿勢をとって立つ幼い少年の写真が掲載されており、その姿が今も目に

    残っています。」

 

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 少年はハダシだった・・・

 

 

 

核兵器保有」も許されない、と教皇

 このほど来日したフランシスコ教皇は、長崎や広島の慰霊施設を訪問し、聴衆にあいさつしました。

 

 長崎の爆心地公園でのスピーチでは、

 

核兵器から解放された平和な世界を、数えきれないほどの人が熱望している。この理想を実現するためには、すべての人の参加が必要です。軍備の均衡が平和の条件であるという理解を、真の平和は相互の信頼の上にしか構築できない、という原則に置き換える必要があります」と、相互の信頼づくりの必要性を強調しました。

 

 広島平和公園でのスピーチでは、

 

核兵器使用は、犯罪以外の何物でもなく、人間の尊厳に反する」と指摘し、「核兵器保有すること自体についても、倫理に反します」と言い切りました。

 

 核兵器は「使用」はもとより、「保有」すること自体が倫理的に許されない、というのが教皇の主張です。

 

 

 

 核兵器禁止条約について

 2017年7月に、世界で初めて、核兵器禁止条約が国連で採択されました。

 条約は、50ヵ国が批准してから90日後に発効することになっています。ただ、核保有国は核軍縮に後ろ向きで、この条約に反対しています。

 

 

自公政権日本が「被爆国」でありながら「反対」

 自民党公明党による政権は、米国による「核の傘」を重視しており、「核開発を続ける北朝鮮の脅威」を理由に、「唯一の被爆国」でありながら、「核兵器禁止条約には賛成できない」という立場をとっています。

 

 しかし、「唯一の被爆国」だからこそ、北朝鮮にも米国にも、核廃絶に向けた働きかけをすべきではないのかと考えますが、一向にその気配はありません。

 

 1970年代に公明党の支持母体、「創価学会」青年部の反戦出版委員会は、「戦争を知らない世代へ」と題して、戦争体験記のシリーズを第三文明社から発行しました。悲惨な戦争はもういやだ、と学会員のみなさんがつづった本です。

 そのシリーズは段ボール箱2箱になる分量ですが、千葉支局の責任者だった20年前、親しくなった創価学会幹部が届けてくれました。それ以後、創価学会青年部、婦人部は平和を愛するんだ、と好感を抱いてきたのですが、あのころの青年部・婦人部はどこにいってしまったのでしょうか

 残念です。

 

 

学校教育に活用を――

 「焼き場に立つ少年」は長崎市に寄贈され、長崎原爆資料館で展示されています。

 ただ、この写真の少年がだれなのか、撮影場所は現在のどこなのか、いまだに特定されていません。

 確かなのは、あの時代に、この兄弟がいた、という事実です。

 

 

 

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