北穂高岳で味わう至福のひと時

標高3000㍍の北アルプスに登っていたころの写真記録、国内外の旅行、反戦平和への思いなどを備忘録として載せています。

増える「家族葬」・・・人生の幕の閉じ方を考える

 会社勤めをしていた時の上司(相談役)が、暮れに亡くなりました。

 公表は「家族葬」が終わってからにしてほしい、というのがご遺族の意向。葬儀後、死亡日時と年齢、死因は会社内外に広報されましたが、故人の住所は非公表とされ、

弔電すら辞退されました。

 

 最近、「家族葬」が目につきます。人生の閉じ方について考えます。

 

 

 

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家族葬とは

 家族葬の定義はありません。葬儀社によって解釈が違いますが、参列者を家族や親せき、故人が親しかった友人に限って、少人数で行う葬儀の形です。

 一般葬と同じように通夜、葬儀、告別式があり、一般葬と流れや内容はあまり変わりません。

 

元勤務先の実情調査結果

 葬儀のうち、どのくらいの割合が「家族葬」だろうか・・・。

 

 標本数が多くないために一般化できるかどうか疑問は残りますが、

私が30年以上勤務した会社の場合を調べてみました。

 

家族葬」が半数を占めた

 定年退職者でつくるOB会のまとめによりますと、ことし(2019年)1年間に亡くなったOBは、きょう12月29日までに把握できただけで59人でした。

 内訳は、東京管内29人、名古屋管内30人で、ほぼ半々。

 このうち身内だけでなく、ご近所の方、会社・学校関係者らも呼ぶ従来からの「一般葬」は32人。これに対して、「家族葬」は27人でした。

 家族葬が全体の約46%と半数近くを占めわけです。

 

南関東に多い

 家族葬」だけを取り出してみますと、名古屋管内が10人であったのに対し、東京管内は17人もあり、都市部の中でも南関東の東京都と神奈川、千葉、埼玉3県で多いことがうかがえました。

 “葬儀はすでに終わっています”という事後の死亡通知が、家族葬27人のうち12人。“これから葬儀を行いますが家族葬で――”という連絡が15人で、ほぼ半々。

 家族葬ですから葬儀への参列を断るのはもちろんのことですが、供花、香典、さらには弔電すら辞退するというケースも多くありました。

 

 ただ、私の会社は主な勤務地が東京と名古屋という都市部ですから、都市部に限っての現象かもしれない・・・。

 そう思って調べたところ、どうも全国的な傾向らしいです。

 

 

 

家族葬は世の流れ?

 公正取引委員会が2016年に葬儀関係業者に対して行った「葬儀の実態調査報告書」は、次のようにまとめています。

 

 ★増加傾向にある葬儀の種類

家族葬 51.1%

直葬  23.2%

一日葬 17.1%

一般葬  5.4%

社葬   0.3%

 

減っていく一般葬

 ★減少傾向にある葬儀の種類

一般葬 68.8%

社葬  24.3%

直葬   3.1%

家族葬  2.5%

一日葬  1.5%

 

※(注)直葬=火葬のみ

    一日葬=通夜がなく、告別式と火葬を1日で行う

 

 地方でも徐々に「家族葬」を選ぶ人が増えてきたようです。

 とはいえ地縁・血縁が濃い地域では、家族葬には抵抗があるでしょう。「あの家は、変わり者だ」と村八分にされるかもしれませんね。

 

 

背景は?

家族葬が増える(目につく)背景は何だろうか

 いくつか理由は考えられます。

 第一に、高齢化社会が挙げられます。医学の進歩によって長生きできるようになりました。都市部では、故人が高齢のために、かつての同僚との付き合いもなくなりました。大げさにしたくない、という遺族の気持ちから、家族だけで葬儀をというケースが増えているのでしょう。

 

 第二に、「コミュニティーの変化」が考えられます。都市部では人間関係の希薄化が進んでいます。隣人との交流が少ないです。卑近な例を挙げますと、東京23区内の

11階建てのわがマンションは、各部屋の入り口は「305」など「番号」表示があるのみで、表札(名札)を張り付けているのは数戸だけです。隣は何をする人ぞ、です。会えばあいさつをするだけで、顔もよく見たことはありません。

 

 第三に、「価値観の変化」です。宗教へのこだわりが減ってきました。都市部では「樹木葬」が注目されるなど、自分の葬式はカネをかけなくてもいい、家族だけでいい、などと考える人が増えていると思います。

 

 第四に、これも大きな要因だと思いますが、「家族への配慮」です。従来の一般葬では、参列者への対応がたいへんです。香典返しの手配も面倒です。

 

 

 

私の体験

 私の場合、一般葬はもうコリゴリです。

 10年以上も前に父が脳梗塞で田舎の病院で亡くなった時、ショックで打ちのめされた母に代わって、私が東京から駆け付けて喪主を務めました。

 郷里は一番近いバス停まで、キャベツ畑の中の道を2キロ以上歩かなければならないようなところです。

 

 通夜や葬式の時には近所の人が駆け付け、お手伝いをする地域です。

 「五人組」という、江戸時代に幕府が監視体制強化のために村につくらせた「近隣5軒が1組の組織」のなごりがいまだに健在です。「寄り合い」という地区の集まりもあります。

 

 通夜には面識のない20人ほどの「五人組」の皆さんが実家に集まってくれ、そのうちの「触れ役」という係の人たち数人が、翌日の葬儀・告別式の日程を近隣の家に知らせに出かけてくれました。

 葬儀・告別式は寺で行い、五人組の20人ほどは参列者の受付をしてくれました。

 

 迷惑だったのは、それまで付き合いのなかった遠い親戚の長老。葬儀の日に、頼んでもいないのに勝手に仕切り役になり、「食事の用意をしてくれている近所のおばさんらへの手土産の準備はできているのか」「酒が足らんぞ」など言いたい放題。私たち家族は儀式に振り回され、故人をしのぶ時間はありませんでした。

 

 

 

冒頭の上司の場合――

 上司が亡くなった翌日、ご遺族が会社にメールと電話で亡くなったことを連絡してきました。故人の遺志で家族葬にしますとのことでした。

 会社の内外への訃報の公表は、葬儀終了後にしてほしいとのことで、葬儀会場も日程も秘匿。香典はもとより、供花、弔電も辞退。故人の住所も非公表。自宅まで弔問に来る人がいるかもしれないため、家族の負担にならないように非公開にしたようです。

 

 上司はここ1ヵ月ほど前から体調が悪いようでした。

 11月上旬には、名古屋にいるかつての部下に、「東京に来たらボクの部屋に顔をみせてくださいね」とハガキを出しました。

 亡くなる1週間前には、別のかつての部下と会社近くのレストランで昼食をともにしました。「体調は絶不調」と、か細い声で話していたそうです。

 

 そして、あとから思えば亡くなる5日前のことですが、わが家に上司からハガキが届きました。

 敗戦直後、長崎原爆で死んだ弟を背負って直立不動で立つ「焼き場に立つ少年」という題の写真を見るたびに、反戦への思いを強くするという趣旨の、本音で書いた私のブログへの感想でした。

 

 「原爆で死んだ弟を背中にかかえた少年の姿に感動した貴兄に、ジャーナリスト××さん(本名)の原点を見ました」と、温かい言葉が添えられていました。

 

 死期が迫っていると感じてから、知人や部下に、別れの挨拶をして回ったんだろう、とわれわれ部下は思っています。

 家族を大事にした、あの上司らしい、人生の幕の閉じ方でした。

 

www.shifukunohitotoki.net