プノンペンは、負の遺産、残酷な歴史を大切に語り継いでいるカンボジアの首都です。
カンボジアの首都プノンペンに、タイのバンコクから入りました。
もう30年も前の1991年7月9日です。
ポル・ポト派による虐殺行為を後世に伝えるために公開している
「トゥール・スレン政治犯収容所」の跡を見て一泊し、翌日バンコクに戻りました。
頭蓋骨で作られたカンボジアの地図 (トゥール・スレン虐殺博物館で撮影)
目次
トゥール・スレン虐殺博物館
ポル・ポト政権による大虐殺
カンボジアは1975年4月から1979年1月まで、ポル・ポト派という勢力が支配しました。
「ポル・ポト」は「クメール・ルージュ」という共産主義生政党のリーダーで、「都市は文明で腐敗している」として文明を否定し、銀行や通貨を廃止。原始社会を理想としてプノンペンの市民を農村に強制的に移住させ、集団での農作業を強制しました。
医師や教師など知識人は、資本主義の手先だとして殺しました。
仕事に不平を言ったり規則を破れば、「政治犯収容所」に入れ、拷問したのち、各地に造ったキリング・フィールド(処刑場)に連行し、殺害しました。
病気や飢えを含めて約170万人が命を落としました。当時のカンボジアの人口が約800万人でしたから、5人に1人が殺されたことになります。
1979年に政権が倒れた後もポル・ポトはタイに逃れて反政府運動を続行。
内戦が続きました。
1991年になって内戦終結のめどが立ち、国連が停戦監視や武装解除に乗り出すことになりました。
日本では、自衛隊を国際貢献としてカンボジアに派遣するかどうかをめぐて国会で激論に。各党の政策担当責任者が「カンボジアとはどういうところか見に行こう」ということになり、私も議員たちに同行してプノンペンに入りました。
博物館になったトゥールスレン政治犯収容所
かつてのトゥールスレン政治犯収容所は、知識人や反抗した者を収容して拷問した強制収容所です。高校の建物を転用しました。
訪問した1991年は、一般に公開されていたかどうか分かりませんが、独房はそのままで拷問に使っていた道具などが展示されていました。死者の頭蓋骨で作ったカンボジアの地図もありました。
現在は、国立の「トゥール・スレン虐殺博物館」という名称になって、ポル・ポト派の残虐行為を後世に伝えるために有料で一般公開されています。
ただし、頭蓋骨で作ったカンボジアの地図はさすがに評判が悪く、2004年に撤去されたようです。
博物館入り口の看板
トゥール・スレン虐殺博物館に入ります。
鉄のベッド。尋問室か? 拷問するのだろう。
額縁の中に拷問の絵。
独房。レンガで部屋を区分しています。
庭に面した廊下には逃走防止用の有刺鉄線。かつては高校の校舎だった。
これがポル・ポト。 共産主義政党「クメール・ルージュ」の指導者。
独房。
子どもまで虐殺するシーンも描かれ、額に入っていました。
カンボジアの地図です。虐殺された人の頭蓋骨で作られていました。
アップした写真です。
この頭蓋骨によるカンボジア地図は評判が悪く、現在は撤去されているそうです。
博物館の外観。
30年前のプノンペンの街のようす
ポチェントン空港(現・プノンペン国際空港)の着陸しました。
プロペラ機でした。
プノンペンの空港施設で打ち合わせ。
頭上の額に入っている人は、ヘン・サムリン国民会議議長。もともとはクメール・ルージュの指導者のひとり。ポル・ポトにクーデターを企てるが失敗してベトナムに亡命。1979年1月、ベトナム軍がカンボジアに侵攻してヘン・サムリン政権ができ、ガンボジア人民共和国の樹立を宣言した。
空港の出入り口。
空港近くで見かけた人。
交通ルールがあるのかないのか、雑然としていました。
ホテルカンボジアーナ。日本外務省の手配でここに泊りました。
前年にオープンしたばかりの、いま思うに、ぜいたくすぎるホテルでした。
部屋からみた外の景色。
立派な部屋です。
ホテル前を流れるトンレサップ川。
王宮前。記念撮影する日本人のブンヤたちです。
カンボジアの子どもたち。王宮前での1枚。私のお気に入りの写真です。
この子たちはいま、どうしているだろうか・・・・・。
かわいいお子さんたち。王宮前です。
カンボジア国立博物館。王宮の隣にありました。
独立記念塔。1953年のフランスから独立し、カンボジア王国となったのを祝って建造されたモニュメント。
アパートでしょうか。
トンレサップ川にかかっている壊れた橋は、「日本・カンボジア友好橋」
(通称・日本橋)です。
1963年に日本の資金援助で建設され、プノンペンと地方を結ぶ大切な道になっていましたが、カンボジア内戦で1972年に爆破され、通行できなくなっていました。
この日本橋について、カンボジア政府は、上の写真撮影の翌年の1992年に修復計画を立てて日本政府に協力を要請。日本政府は約28億円の無償資金協力を行うことを決めました。
日本橋は1994年2月に復活しています。
プノンペン上空・・・。