北穂高岳で味わう至福のひと時

山登りの記録、観光ではふつう旅行しない外国の風景、戦争の遺跡、登山での体調不良の原因など備忘録として書いています。

カンボジア~30年前のプノンペン・・・ポル・ポト派による負の遺産

 プノンペンは、負の遺産、残酷な歴史を大切に語り継いでいるカンボジアの首都です。

 

 カンボジアの首都プノンペンに、タイのバンコクから入りました。

もう30年も前の1991年7月9日です。

 

 

目次

 

 

ポルポト政権による虐殺

 

 ポル・ポト派による虐殺行為を後世に伝えるために公開している

「トゥール・スレン政治犯収容所」の跡を見て一泊し、翌日バンコクに戻りました。

 

f:id:alps6717:20201105121013p:plain

頭蓋骨で作られたカンボジアの地図  (トゥール・スレン虐殺博物館で撮影)


 

トゥール・スレン虐殺博物館

 

 

 

ポル・ポト政権による大虐殺

 

  カンボジアは1975年4月から1979年1月まで、ポル・ポト派という勢力が支配しました。

 「ポル・ポト」は「クメール・ルージュ」という共産主義生政党のリーダーで、「都市は文明で腐敗している」として文明を否定し、銀行や通貨を廃止。原始社会を理想としてプノンペンの市民を農村に強制的に移住させ、集団での農作業を強制しました。

 

 医師や教師など知識人は、資本主義の手先だとして殺しました。

 仕事に不平を言ったり規則を破れば、「政治犯収容所」に入れ、拷問したのち、各地に造ったキリング・フィールド(処刑場)に連行し、殺害しました。

 

 病気や飢えを含めて約170万人が命を落としました。当時のカンボジアの人口が約800万人でしたから、5人に1人が殺されたことになります。

 

 1979年に政権が倒れた後もポル・ポトはタイに逃れて反政府運動を続行。

内戦が続きました。

 1991年になって内戦終結のめどが立ち、国連が停戦監視や武装解除に乗り出すことになりました

 日本では、自衛隊国際貢献としてカンボジアに派遣するかどうかをめぐて国会で激論に。各党の政策担当責任者が「カンボジアとはどういうところか見に行こう」ということになり、私も議員たちに同行してプノンペンに入りました。

 

 

 

博物館になったトゥールスレン政治犯収容所

  かつてのトゥールスレン政治犯収容所は、知識人や反抗した者を収容して拷問した強制収容所です。高校の建物を転用しました。

 

 訪問した1991年は、一般に公開されていたかどうか分かりませんが、独房はそのままで拷問に使っていた道具などが展示されていました。死者の頭蓋骨で作ったカンボジアの地図もありました。

 

 現在は、国立の「トゥール・スレン虐殺博物館」という名称になって、ポル・ポト派の残虐行為を後世に伝えるために有料で一般公開されています。

 ただし、頭蓋骨で作ったカンボジアの地図はさすがに評判が悪く、2004年に撤去されたようです。

 

f:id:alps6717:20201104093414j:plain

博物館入り口の看板


 

 

f:id:alps6717:20210809132941j:plain

虐殺博物館の近所に住む子どもたち。

  

 

f:id:alps6717:20210809133234j:plain

笑顔がとってもかわいい・・・。

 

 

 

 

f:id:alps6717:20201105101939j:plain

 トゥール・スレン虐殺博物館に入ります。

 

  

f:id:alps6717:20201104093606j:plain

f:id:alps6717:20201105102854j:plain

 

 

f:id:alps6717:20201030192253j:plain

 鉄のベッド。尋問室か? 拷問するのだろう。

 

 

f:id:alps6717:20201030192347j:plain

 

f:id:alps6717:20201105103117j:plain

 額縁の中に拷問の絵。

 

 

f:id:alps6717:20201030192431j:plain

 独房。レンガで部屋を区分しています。

 

 

f:id:alps6717:20201105103337j:plain

 

 

f:id:alps6717:20201030192517j:plain

 庭に面した廊下には逃走防止用の有刺鉄線。かつては高校の校舎だった。

 

 

 

f:id:alps6717:20201105103705j:plain

 これがポル・ポト。    共産主義政党「クメール・ルージュ」の指導者。

 

 

 

f:id:alps6717:20201030192649j:plain

 独房。

 

 

f:id:alps6717:20201105104610j:plain

 

f:id:alps6717:20201105104744j:plain

 子どもまで虐殺するシーンも描かれ、額に入っていました。

 

 

f:id:alps6717:20201105121013p:plain

カンボジアの地図です。虐殺された人の頭蓋骨で作られていました。

 

 

f:id:alps6717:20201105121137p:plain

アップした写真です。

この頭蓋骨によるカンボジア地図は評判が悪く、現在は撤去されているそうです。

 

 

 

f:id:alps6717:20201105104900j:plain

博物館の外観。

 

 

 

カンボジア内戦の歩み

 カンボジアは1945年の第二次世界大戦後に、シアヌーク殿下のもとでフランスから独立しました。

 ところが1970年にベトナム戦争に巻き込まれ、米国が支援するロンノル政権がシアヌーク殿下を追放し、内戦状態になりました。

 その後、中国寄りのポル・ポト派が蜂起し、1975年にカンボジアを支配。通貨を廃止して農業主体の原始共産制を目指し、都市出身の知識人を次々と虐殺しました。

 1978年末になってベトナム軍がカンボジアに侵攻し、1979年1月に首都プノンペンを占領。ベトナムの支援を受けたヘン・サムリン政権(プノンペン政府)ができました。

 しかし、ヘン・サムリン政権に対し、シアヌーク支持派、ポル・ポト派、穏健派のソン・サン派三派が連合政府(カンボジア国民政府)を樹立して対抗し、内戦が続きました。

 1991年10月になって、パリでカンボジア和平協定が成立し、内戦が22年ぶりに終わりました。

 

 日本の国会でも、「カンボジアの和平達成後は、日本にとって最初の国連平和維持活動(PKO)協力の場になるだろう」とにらみ、自民党社会党公明党民社党政調会長・政審会長による合同調査団をプノンペンに送り、どのような国際貢献ができるか調査しました。

 

 その調査団に私は同行取材させてもらいました。

 

 

プノンペンの街のようす(1991年当時)

 

f:id:alps6717:20210809145232j:plain

 自社公民の4党調査団は1991年7月9日、タイのバンコクからカンボジアプノンペンに向かいました。

 

f:id:alps6717:20210809145511j:plain

f:id:alps6717:20210809145533j:plain

 プノンペン上空。間もなく着陸です。

 

f:id:alps6717:20210809145613j:plain

f:id:alps6717:20201030202412j:plain

 ポチェントン空港(現・プノンペン国際空港)に着陸しました。

 

 

 

f:id:alps6717:20201030202636j:plain

 乗っていたのはプロペラ機でした。

 

 

f:id:alps6717:20201105105403j:plain

プノンペンの空港施設で打ち合わせ。

 

 

f:id:alps6717:20201105105440j:plain

f:id:alps6717:20201105105618j:plain

 頭上の額に入っている人は、ヘン・サムリン国民会議議長。もともとはクメール・ルージュの指導者のひとり。ポル・ポトにクーデターを企てるが失敗してベトナムに亡命。1979年1月、ベトナム軍がカンボジアに侵攻してヘン・サムリン政権ができ、ガンボジア人民共和国の樹立を宣言した。

 

 

f:id:alps6717:20201105110438j:plain

 

f:id:alps6717:20201105110502j:plain

空港の出入り口。

 

f:id:alps6717:20201030202818j:plain

 空港近くで見かけた人。

 

 

f:id:alps6717:20201105110805j:plain

 

 

 

f:id:alps6717:20201105111406j:plain

 

  

f:id:alps6717:20201030203514j:plain

f:id:alps6717:20201030203351j:plain

 交通ルールがあるのかないのか、雑然としていました。

 

 

f:id:alps6717:20201030203629j:plain

みんないい顔です。

 

f:id:alps6717:20201030203724j:plain

f:id:alps6717:20201030203739j:plain

f:id:alps6717:20201030203851j:plain

 

f:id:alps6717:20201105113133j:plain

 

 

f:id:alps6717:20201030204037j:plain

 ホテルカンボジアーナ。日本外務省の手配でここに泊りました。

前年にオープンしたばかりの、いま思うに、ぜいたくすぎるホテルでした。

 

 

f:id:alps6717:20201105111512j:plain

 部屋からみた外の景色。

 

f:id:alps6717:20201105111557j:plain

f:id:alps6717:20201105111616j:plain

f:id:alps6717:20201105112812j:plain

 立派な部屋です。

 

f:id:alps6717:20201105111709j:plain

f:id:alps6717:20201105111736j:plain

f:id:alps6717:20201105112658j:plain

f:id:alps6717:20201105113318j:plain

f:id:alps6717:20201105113344j:plain

 ホテル前を流れるトンレサップ川。

 

 

f:id:alps6717:20201105111852j:plain

王宮前。記念撮影する日本人のブンヤたちです。

 

 

f:id:alps6717:20210809134212j:plain

 カンボジアの子どもたち。王宮前での1枚。この子たち、どうしているだろうか・・。

 

 

f:id:alps6717:20201105112035j:plain

 

f:id:alps6717:20201105112108j:plain

 

f:id:alps6717:20201105112122j:plain

かわいいお子さんたち。王宮前です。

 

 

f:id:alps6717:20201105113436j:plain

カンボジア国立博物館。王宮の隣にありました。

 

 

f:id:alps6717:20201105112244j:plain

独立記念塔。1953年のフランスから独立し、カンボジア王国となったのを祝って建造されたモニュメント。


 

f:id:alps6717:20201105112453j:plain

 

 

 

f:id:alps6717:20201030204426j:plain

アパートでしょうか。

  

f:id:alps6717:20201105114302j:plain

  

 

f:id:alps6717:20201104093810j:plain

f:id:alps6717:20201104093922j:plain

 

f:id:alps6717:20201030204636j:plain

 トンレサップ川にかかっている壊れた橋は、「日本・カンボジア友好橋」

(通称・日本橋)です。

 1963年に日本の資金援助で建設され、プノンペンと地方を結ぶ大切な道になっていましたが、カンボジア内戦で1972年に爆破され、通行できなくなっていました。

 

 この日本橋について、カンボジア政府は、上の写真撮影の翌年の1992年に修復計画を立てて日本政府に協力を要請。日本政府は約28億円の無償資金協力を行うことを決めました。

 日本橋は1994年2月に復活しています。

 

 

 

f:id:alps6717:20201105114422j:plain

 

f:id:alps6717:20201105114719j:plain

 

f:id:alps6717:20201105114751j:plain

 

f:id:alps6717:20201105114824j:plain

 

f:id:alps6717:20201105114908j:plain

 

f:id:alps6717:20201105114928j:plain

 プノンペン上空・・・。