(1993年1月11日撮影)
宮澤喜一首相が1993年1月に、「東南アジア4ヶ国」を日航特別機で歴訪した時に同行取材しました。
以下は、このうち、「インドネシア」と「マレーシア」で見かけた街の様子です。
目次
【インドネシア】の首都ジャカルタ
インドネシアのハリム・ペルダナクスマ空港。ジャカルタにある空港の1つ。日本航空の特別機は、ここに着陸しました。
政府専用機の運行が始まる前は、政府は首脳の外国訪問に日本航空の特別機を使っていました。
日本を出発する前、東京・永田町の首相官邸で同行記者団の団長挨拶。
右端が宮沢喜一首相。中央は河野洋平官房長官。(首相官邸報道室提供)
新聞売りの男性。車が信号待ちで止まると、近づいてきます。(ジャカルタ市内で、空港からホテルに移動するバスの中から撮影)
川で魚を捕る子どもたち。田舎育ちの自分を思い出して思わずパチリ。
放置されたままの車両。
ドアを閉めないんだね。閉まらないのか・・・
かわいい・・・
これも・・・
「日本人クラブ ときわ」だって。
・・・。
【マレーシア】の首都クアラルンプール
クアラルンプール国際空港に到着です。
空港での歓迎行事が始まります。
左端が、マレーシアのマハティール首相。
翌1月14日に行われた首脳会談の会場、首相官邸(移築前)か?(手元にメモが残っていない)
宮沢首相が、マハティール首相に促されて「記帳」。
首脳会談の冒頭撮影。
こちらはクアラルンプール市内にある「国家記念碑」。マレーシアの独立のために戦って亡くなった兵士のブロンズ製の慰霊碑。観光スポットのようです。
マレーシアは戦前、イギリスの植民地でしたが、1941年12月8日、旧日本軍がマレー半島に上陸して太平洋戦争を始めました。(真珠湾攻撃よりほんの少し前)。
1945年の日本の敗戦で再びイギリスの支配下に戻りました。
その後、1948年から独立機運が高まりましたが、独立をめぐる抗争が国内で12年間続きました。
こちらも近くにある慰霊碑。1941年の第一次世界大戦以降の戦争犠牲者を慰霊しています。(当時はイギリスの植民地でした)。
クアラルンプールの街のようす。
(日程まとめ):宮沢首相の東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟の4か国歴訪
1993年1月11日午前、ASEAN4か国歴訪のため日航特別機で羽田空港を出発。インドネシア、マレーシア、タイ、ブルネイの順で訪問。
1月12日午前、インドネシア・ジャカルタのムルデカ宮殿で、スハルト大統領と首脳会談。
1月14日午前、マレーシア・クアラルンプール市内の首相官邸で、マハティール首相と首脳会談。
1月15日午後、タイ・バンコクの首相府で、チュアン首相と首脳会談。
1月15日午後、タイのプミポン国王を表敬訪問。
1月16日午後、バンコク市内のホテルで行われたタイ外国人記者クラブ主催の昼食会の席上、日本外交について政策演説。
1月17日午後、ブルネイ・バンダルスリブガワンの第一王宮で、ボルキア国王と会談。
1月18日午後、帰国。
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