室堂ターミナル(標高2450㍍)から見た立山 (2021年5月10日撮影)
目次
GWは立山駅~室堂の往復がおすすめ
2021年5月10日(月曜日)の朝、富山市内の上空は青空が広がり、雪に覆われた剣・立山連峰もよく見えました。
その剣・立山連峰と後立山(うしろたてやま)連峰を越えて、立山黒部アルペンルートを通って長野県大町市の扇沢に着いた昼過ぎは、小雨が降っていました。
大型連休のこの時期の旅は、富山県立山町の立山駅から室堂までの往復がよいかな、という印象。
黒部ダムは、6月下旬のダム放水まで観光客を受け入れる態勢になっていませんでした。
立山黒部アルペンルートの全行程。左が立山、右が扇沢方面。
立山黒部貫光㈱のパンフから引用。
立山駅
立山ケーブルカーです。美女平に向かいます。
立山駅(標高475㍍)は、立山黒部アルペンルートの富山県側の出発点。
8年前のGWにここに来た時には、台湾、香港、韓国からのツアー客が大勢、ケーブルカーに乗るために順番待ちしていましたが、コロナ禍で様子が一変。GW明けの月曜日ということもあってか、ゆったり乗れました。
立山駅から徒歩1分のところに立山カルデラ砂防博物館という施設があって、立山の火山活動の歴史といった観光の予備知識を得るには好都合なのですが、月曜日は休館。残念でした。
美女平
立山ケーブルカーに乗って7分後に美女平(標高977㍍)に到着。ケーブルカーを降りると、そのまま立山高原バス乗り場に誘導されます。
ここ美女平には、杉の巨木があって、バードウォッチングも楽しめるそうですが、みなさんバス乗り場に直行でした。
弥陀ヶ原(みだがはら)の雪原に癒やされた
立山高原バス
美女平(標高977㍍)から、室堂(標高2450㍍)行きのバスに乗ります。
所要時間は1時間弱。
バスで20分ほど走ったところで進行方向右手(南側)に、
どっしりとした薬師岳(標高2926㍍)が姿を見せました。
薬師岳(やくしだけ)が見えた
上の写真中央の一番高いところが薬師岳です。その右側の丸い山は、ずーっと奥の黒部五郎岳。
薬師岳は夏には高山植物のお花畑を楽しめ、槍ヶ岳や穂高連峰の雄姿を望むことができる人気の百名山ですね。
でも、愛知県人の私は半世紀前の1963年正月に、愛知大学の山岳部の13人が死んだ冬山遭難を連想してしまいます。
薬師岳のピークを目指したものの、地吹雪で断念。テントに戻る途中にルートを見失い、東南尾根に迷い込んで全員が低体温症で亡くなった事故です。
弥陀ヶ原というところ
さて、
薬師岳のドッシリした山容を見始めてから10分後、バスは弥陀ヶ原という広大な湿原地帯に入ります。
標高1930㍍の弥陀ヶ原は、雪解けが進むと新緑になって、夏には高山植物が目を楽しませてくれるそうです。秋には足もとの草木も山肌も紅葉・・・。
コロナ禍がいつの日にか終息すれば、ゆっくり歩きたい場所でしょうね。
弥陀ヶ原には、弥陀ヶ原ホテル(上の写真)があります。
今年度は休業らしいですが、ホテル前にバス停があります。
天狗平にある天狗平山荘。
弥陀ヶ原を抜けて、室堂に向かう途中の天狗平(標高2300㍍)に山小屋がありました。天狗平山荘。山荘の前にはバス停がありました。
写真は、雪と岩の殿堂、剣岳(つるぎだけ)です。標高2999㍍です。
天狗平を過ぎたあたりで、進行方向左手(北東方向)に見えるのが剣岳の威容です。素晴らしいながめです。
「カニのタテバイ」とか「カニのヨコバイ」という難所があることで知られる剣岳は、滑落による死者の多い岩山です。
体力があった若いころ、この岩稜をいつか登ってやろうとあこがれましたが、まだ命が欲しくてやめました。
室堂(むろどう)
室堂ターミナルです。
室堂ターミナルの中です。
ホテル立山です。
室堂は、立山黒部アルペンルートの最高地点です。剣岳や立山連峰の登山基地でもあります。
室堂ターミナルは、レストランやそば店、おやき売り場、郵便局がある施設です。
ホテル立山の入り口でもあり、立山高原バスと立山トンネルトロリーバスの改札口もあります。
室堂ターミナルから見た立山。
これは雪の大谷です。
「密」で緊張したロープウェイ
室堂で、雪の大谷を堪能した後、黒部ダムに向かいました。
室堂からは立山トンネルトロリーバスで、立山の主峰・雄山(おやま)の真下を潜り、トンネルの出口が終点の大観峰(だいかんぼう)となっています。
大観峰(標高2316㍍)のロープウェイ乗り場から望む後立山連峰の針ノ木岳(標高2821㍍)=右端
大観峰は断崖絶壁に建っている駅ですので、外に出るというわけにはいきません。
大観峰から立山ロープウェイで黒部平まで下ります。ロープウェイの眼下には、黒部湖が見えました。(黒部湖の左端に黒部ダムがあります)
ロープウェイの中です。
定員は80人。多少気配りはしているんでしょうが、隣人との距離は1㍍ありません。山手線に乗ってるような感じでした。マスクなしの若い人がいて、反射的に背を向けました。緊張の7分間でしたよ。
黒部平駅に着いたロープウェイ。
観光放水なく興ざめの【黒部ダム】
黒部平(標高1828㍍)から黒部ダムのある黒部湖駅(標高1455㍍)まで、ケーブルカーで下ります。(上の写真)
黒部湖駅に着いて、ダムサイトに出るところです。
492㍍ある黒部ダムのえん堤。閑散としていました。
ダムの南側(写真右)は、水がいっぱいです。
ダムのえん堤の高さは186㍍で日本一。壁面から水が霧状に噴き出す観光用の放水は、6月26日から10月15日までの間。
ダムのえん堤の北側の風景です。
雪の大谷は、4月15日から6月22日まで。
黒部ダムの観光放水と雪の大谷は、一緒に見られないようにセットされています。
どうしてでしょう・・・。
171人もの殉職者が出た
上の写真は、関西電力のホームページからの引用です。
ダムのえん堤を歩いて、東端の「黒部ダム」駅に向かいます。駅入り口の手前の右奥に、殉職者慰霊碑「六体の人物像」があります。(写真上)
ところが、この慰霊碑に近付けないように、ロープが張ってあったのです。警備のおじさんに聞くと、観光シーズンの6月下旬までロープを張り続けるようです。
殉職者慰霊碑は、ダム建設工事の途中で亡くなった171人を慰霊する碑です。
殉職者の内訳は、墜落60人、落盤事故49人、車両事故31人、その他31人。「尊き みはしらに捧ぐ」という言葉と、殉職者の名前がプレートに刻まれているはずですが、この時期、碑の前に進むことはできません。いかがなものかと思いました。
ダム建設資材運搬用の【関電トンネル】
黒部ダム駅。電気バスで観光客を関電トンネルを通って扇沢まで送り届けてくれますが、待合室(上の写真)の客はまばらでした。
関電トンネルは、黒部ダムの入り口と扇沢(長野県大町市)を結んでいます。
関電トンネルが掘られた目的は、黒部ダムを建設するのに必要な資材を、大町市から運び込むためです。その長さは約6キロでした。
最大の難所、破砕帯の突破
破砕帯に遭遇した時のようす (関西電力ホームページからの引用)
トンネルを掘る工事は1956年8月に始まりましたが、扇沢の坑口から1700㍍掘り進んだ地点で、岩盤の中で岩が細かく砕け、地下水を大量にため込んで軟弱な地層になっている【破砕帯】にぶつかりました。破砕帯の長さはあとで約80㍍と分かりました。
岩盤から滝のような水と砂のような岩石があふれ出し、ここを突破するのに7ヵ月かかったということです。
破砕帯。関西電力ホームページからの引用です。
破砕帯は、青い看板と青い照明でその場所が表示されていて、流れ出る水を見ることができる、とホームページで紹介されています。
確かに、電気バス車内でも今から通過しますよ~というアナウンスは流れますが、スピードを落とすこともありませんので数秒で通過。「青っぽいところを通ったね」という印象しかありません。
観光客への気配りがもう少しあってもいいと思うのですが、まあ、無理でしょうね。
扇沢に着いた電気バスです。
扇沢に着いて、この先も路線バスでJR信濃大町駅に向かう人は5人のみ。他の人は扇沢で立山方向にUターンでした。