北穂高岳で味わう至福のひと時

標高3000㍍の北アルプスに登っていたころの写真記録、国内外の旅行、反戦平和への思いなどを備忘録として載せています。

村山富市さんの首相就任とインドネシア訪問のひとコマ

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 村山首相の色紙・・・サミュエル・ウルマンの詩「青春」の一節です。

 

 

 

 アルバムを整理していたら、社会党委員長から首相になった村山富市さんの写真が出てきました。

 ブログに村山さんを取り上げていないことに気付いて、写真を張り付けました。

 

 インドネシアジャカルタ1994年11月15日に国際会議があり、そこに向かう時の1枚。

 ※APEC(アジア太平洋経済協力)非公式首脳会議

 

 

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 羽田空港を離陸して間もなく、同行の記者の前に姿を見せた村山首相(右端)。

             (JAL特別機内で首相官邸写真室撮影)

 

 

目次

 

 

 

ジャカルタの市街地の写真

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 ジャカルタの空港に到着。

 

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 日航特別機。このときは政府専用機を使いませんでした。

 

 

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 ジャカルタの風景。小さな三輪車。いま走っているかどうか・・・。

 

 

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 帰ります。

 

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首相になって党の基本政策を転換

 村山富市(とみいち)さんは、1924年3月生まれで、大分県職労の出身。

 社会党委員長だった1994年に、自民党新党さきがけ社会党の3党連立による政権ができ、首相ポストに就きました。

 

 社会党は戦後まもなく結党した時から、「非同盟・中立・非武装」の実現を目指すことを党の「基本政策」にしてきました。ところが・・・

 

 村山さんは1994年7月の臨時国会で、首相として所信表明に臨んだ時、

自衛隊合憲」「日米安保体制堅持」と発言し、基本政策を変えてしまいました

 体質の違う自民党との連立政権を維持するための決断でしょうが、当時、社会党取材を担当していた私はショック。党内の論議を経ずにトップダウンで政策転換したことに対して、昔からの支持者がみるみる離れていきました。

 

 そして・・・村山さんは1996年1月5日、これまた突然の退陣を表明したんです。

 同じ1月19日の社会党定期大会で、党名を「社会民主党」(略称:社民党)に変更し、半世紀に及ぶ歴史の幕を閉じました。

 

 

 

人柄と政治信条は素晴らしい人

 村山さんが代議士になってから住んでいた衆院九段議員宿舎には、予算委員会理事や国会対策委員長だったころから毎晩のように夜回り(=夜の個別取材)しましたが、いやな顔ひとつせず、上げてくれました。飾るところのない庶民派です。

 

 

下の色紙は、秘書をしていた娘さんからいただきました。

 

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 こう書いてあります。

「貴(たか)くとも驕(おご)らず  賤(いや)しくとも依(よ)らず」

 

 村山さんが若いころ読んだ中国名詩選のなかにあった言葉らしいです。

 

「どんなに高い地位についても、おごったり天狗にならず、どんなに恵まれなくても貧しくとも、思想は売らない」

という意味のようです。

 政治家として自戒の言葉としてきた、と村山さんは語っています。

 

 

 

(メモ):村山首相の外遊スケジュール

・1994年11月12日、アジア太平洋経済協力会議(APEC)非公式首脳会議出席のため、羽田空港から日航特別機でインドネシアジャカルタに向けて出発。

・11月13日昼、ムルデカ宮殿(大統領官邸)でインドネシアスハルト大統領と会談。

・11月13日夜、同行記者団とホテルで「内政懇談」。

・11月14日午前、韓国の金泳三大統領とホテルで会談。

・11月14日午前、中国の江沢民国家主席ジャカルタ市内で会談。

・11月14日昼、クリントン米大統領ジャカルタ市内の米大使公邸で会談。

・11月14日夜、クリントン米大統領、金泳三韓国大統領とジャカルタ市内の国際会議場で三国首脳会談。

・11月15日午前、APEC非公式首脳会議がジャカルタ郊外のボゴール宮殿で開催され、宣言を採択。

・11月15日夜、ジャカルタの国際会議場で内外記者会見。

・11月15日深夜、日航特別機で帰国の途に就き、16日朝、帰国。

 

 

(参考資料)

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 当時の首相官。 (永田町で1995年2月5日撮影)

 

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 官邸敷地内の別棟の内閣記者会(別名:首相官邸記者クラブ。当社のブース。

 

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