北穂高岳で味わう至福のひと時

山登りの記録、観光ではふつう旅行しない外国の風景、戦争の遺跡、登山での体調不良の原因など備忘録として書いています。

アメリカ合衆国~30年前のワシントン(ホワイトハウス、スミソニアン)

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  アメリカ合衆国国章・・・・ウィキペディアからの引用です。

 

 

 

 コロナ禍で海外旅行ができません。政府・与党東京五輪パラリンピックを開催すると決めました。会場に観客を入れて、です。

 この愚挙で感染が再拡大して医療はひっ迫するでしょうな。責任をきちんと取ってもらいましょう。

 

 30年も前にアメリカで撮った写真が出てきました。そんな時代もあったねえ~~と、気分転換にアップしました。

 

 

目次

 

 

 

大統領の執務室に入った

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 ここがオーバルオフィスという米大統領執務室です。

                 (日本時間1990年6月22日撮影)

 

 

 在京新聞社の政治部で自民党安倍派を担当していた1990年6月、アメリカに行きました。派閥のボス、安倍晋太郎という自民党の元幹事長が「政府特使」という肩書で、ワシントンD.C.で開かれる日米安全保障条約改定30周年記念行事に出るというので、同行しました。

 

 当時、アメリカの大統領は、ジョージ・H・W・ブッシュという人。安倍さんはブッシュ大統領に、ホワイトハウスの大統領執務室で会うことになり、同行のプレスもホワイトハウス入りできました。

 

 

ホワイトハウスってどんなところ?

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 ホワイトハウス敷地へのゲートです。

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 チェックは当然、厳しい。

 

 

 ホワイトハウス(White House)は、米大統領が仕事をする建物であり、同時に大統領一家が生活する場でもあります。

 

 敷地面積は7.3ヘクタールと広く、建物が3つあります。

 テレビによく映る立派な建物が「住居」で、3つの建物の真ん中にあります。

 その左に「エスト・ウイング(西棟)」が、反対の右側には「イースト・ウイング(東棟)」があります。

 

 「住居」は大統領一家の居室です。大統領が来賓を迎える部屋や晩餐会を開く部屋もたくさんあります。

 「イースト・ウイング」には、大統領夫人とそのスタッフの部屋がいくつもあります。

 

 

 「ウエスト・ウイング」は仕事場です。

 

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 ウエスト・ウイング(西棟)の1階の見取り図です。(ウィキペディアから引用)

 

 

 ウエスト・ウイング(上の図参照)には、大統領の執務室はじめ、副大統領や大統領補佐官ら政権の上級スタッフが陣取っています。

 報道官がメディアを相手にする定例記者会見室や、報道各社が詰める部屋もここにあります。

 

 

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 ホワイトハウスの記者会見室。報道官がここに立ちます。

 

 

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 記者席です。

 

 

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 記者席。

 

 

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 ウエスト・ウイングの正面入り口です。

 

 

 

大統領が仕事をする部屋はどこ?

 オーバルオフィス(Oval Officeと呼ばれる卵の形をした部屋です。

 オーバルというのは、楕円形の、という意味です。場所はウエスト・ウイング(西棟)で、外国の首脳ともこの部屋で会談します。安倍さんもそうでした。

 

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 オーバルオフィスという大統領執務室でブッシュ大統領(右から2人目)に挨拶する安倍さん(左から2人目)。

 

 

 プレスによる冒頭撮影は1分足らずで、すぐに室外に排除されました。残念ながら大統領の机を撮影することはできませんでした。

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 はい、外に出て下さ~い、というわけです。

 

 

 

 

国務省の中

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 ここは米国務省です。

 

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 挨拶するベーカー国務長官。演壇に向かって左手に星条旗。右手にあるのは国章を描いた旗です。

 

 星条旗アメリカの「国旗」で、

 国章アメリカの要職にある人が重要書類に押す「印章」です。国章は国務長官が保管しているそうです。

 

 

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 国務省天井には、「国章」が飾られていました。

 国章には鷲が描かれていて、くちばしにくわえた巻物には、

「E PLURIBUS UNUM 」とラテン語で書かれています。

「多数から1つへ」という意味のようです。連邦国家ですね。

 

 

 

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 ヒルズ通商代表(右から3人目の女性)とあいさつする安倍さん。

 左端はベーカー国務長官。           (撮影場所は、国務省の中)

 

 

 

 

国防総省の入り口

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 国防総省の一角です。

 

 

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 太った警備のおじさんの横に、

DEPARTMENT OF DEFENSE」の表札国防総省です。

 

 

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  国防総省で安倍さんはチェイニー国防長官に挨拶しました。

 

 

 

 

リンカーン記念館

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 偉大なアメリカの大統領、エイブラハム・リンカーンを記念して建てられました。

 

 

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 ギリシアパルテノン神殿を思わせる建物の中には、大理石で造られたリンカーンの座像がありました。

 

 

 

 

スミソニアン国立航空宇宙博物館

 

ゼロ戦の実物が展示されていた

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 ゼロ戦こと、零式艦上戦闘機が、ここワシントンで展示されていました。昔、三菱重工業が生産していた海軍の主力戦闘機です。

 

 この展示物は、1944年にサイパン島で旧日本軍がほぼ全滅した時に、米軍に回収され、復元されたものだそうです。

 

 1941年12月から始まったアジア太平洋戦争で、ゼロ戦は米ハワイの真珠湾奇襲攻撃に数十機参加し、米軍に打撃を与えました。アメリカはこれを機に

「Remember Pearl Harbor」(真珠湾を忘れるな)

を合言葉に結束したそうです。

 

 

 

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 米軍機も展示されていました。

 

 

 

 

「アポロ11号」の月面着陸

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 アメリカのアポロ計画のコーナーもありました。

 戦争が終わった1945年以降、アメリカと旧ソ連が対立して核軍事力増強競争を始め、宇宙開発においても競いました。

 

 アポロ計画」はアメリカ人を月に送り、地球に無事に帰還させるというアメリカの計画です。

 

 1969年7月、アポロ11号が人類で初めて月面に着陸しました。

アームストロング船長の次の言葉が知られています。

「That’s one small step for a man, one giant leap for mankind.」(これは1人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ)

 

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 帰還した宇宙船「アポロ11号」の司令船

 

 

 「宇宙船」は3つのパーツから構成されています。

 「司令船」「月着陸船」「機械船」です。

 

 「月着陸船」には、3人の宇宙飛行士のうち2人が乗り込み、月面着陸の時に切り離されます。

 「月着陸船」は、月面から地球に帰還する時、1人の宇宙飛行士が待機する司令船とドッキングし、月面に立った2人は司令船に戻ります。

 そして大気圏突入直前に、司令船から機械船を切り離し、司令船だけになった状態で、大気圏に再突入して地球に帰還します。帰還するのは、この司令船だけです。

 

 

 

 

硫黄島記念碑(米海兵隊戦争記念碑)

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 アジア太平洋戦争末期の硫黄島での戦いのワンシーンです。動きがありますね。

 

 米軍は日本本土攻略の一歩として1945年2月海兵硫黄島に上陸、旧日本軍の守備隊と激戦になりました。

 海兵隊は、島でいちばん高い摺鉢山(標高170㍍)を制圧した後、山頂に星条旗を立てました。

 

 その時の報道写真をもとに、海兵隊の戦死者を追悼する記念碑として1954年に建てたブロンズ像がこれです。

 高さは、像だけで10㍍あるようです。