これが白馬大雪渓の全容! (20210年7月17日午前8時15分、栂池自然園の展望台から撮影)
梅雨明け直前の7月15日から17日まで、北アルプス・白馬岳(しろうまだけ)に、≪白馬(はくば)大雪渓ルート≫から登りました。
登山者の姿はまばらで、山小屋はガラガラ。剱岳や槍ヶ岳、さらには富士山まで眺めることができたばかりか、ライチョウにも出会いました。
4回に分けて旅の記録をまとめます。
・白馬岳~①白馬大雪渓ルートを7月に登ってライチョウと高山植物を楽しんだ
・白馬岳~③ライチョウの砂浴びを8分間見た
17年ぶり3回目の今回の白馬岳登山は、小屋泊まり。
過去2回はテント泊。荷物も軽くてラクなはずですが、脚が前に出ず、バテバテでした。
(メモ)
▼初めての白馬岳登山(2002年8月10日~13日)=4人パーティー
猿倉~白馬岳頂上宿舎テント場~白馬岳山頂~朝日小屋~栂海(つがみ)山荘~親不知
▼2回目の白馬岳登山(2004年8月13日~16日)=単独行
猿倉~白馬岳頂上宿舎テント場~白馬岳頂上~唐松岳~五竜岳~鹿島槍ヶ岳~爺ヶ岳~扇沢
▼3回目の今回(2021年7月15日~17日)=単独行
猿倉~白馬山荘~白馬岳山頂~小蓮華山~白馬大池~白馬乗鞍岳~栂池ヒュッテ~栂池自然園
目次
白馬駅付近からの山並み
白馬駅付近から見た白馬3山(右から白馬岳、平らな山が杓子岳、その左のとがった山が白馬鑓ヶ岳)
白馬駅前から見た山並み。左端が唐松岳。そこに八方尾根が手前に伸びている。
白馬岳の登山口
上の地形図(2万5千分の一)の右端が、登山口の猿倉。
猿倉。建物は猿倉荘。
2021年7月15日午前7時45分、バスで猿倉に到着しました。
登山計画書を入れるポストは、トイレの横にありました。
私が自分の計画書を箱に入れた時の感触では、回収されずにたくさん入ったままという印象。(違っていたらゴメンナサイ)
長野県はインターネットで登山計画書を受け付けています。ポストへの投函よりもネットの方が確実に、かつ早く県警に届きますので、遭難して捜索してもらう時も、
ネットでの届け出の方が早い着手を期待できそうですね。
午前8時、登山道に入ります。猿倉荘の横が入り口です。
ザックは40㍑で、重さは13㌔。
こんな感じの道が続きます。
午前8時55分、「白馬尻小屋」が建つべきところに到着しましたが、小屋はない。
白馬尻小屋の敷地です。
もともとこの辺りは、冬から春にかけて雪崩が起きるために、毎年秋の営業終了後に小屋を解体して翌年春に組み立ててきた小屋です。が、コロナ禍で昨年休業し、今年も休業です。
コロナ対策経費や人件費と営業収入を天秤にかけると、赤字なんでしょうね。
大雪渓を登る
午前9時20分、大雪渓の末端に到着。
道標の大雪渓ケルンです。
「雪渓末端」から「白馬山頂」まで「4キロ」。道標には、
「1969、10、15 兵庫県立神戸高等学校」と書かれています。歴史を感じさせますね。
午前9時30分、買ったばかりのチェーンアイゼンを着けて歩き始めます。
大雪渓の長さ(距離)は約2キロ、標高差は600㍍です。
赤いベンガラに沿って歩きます。
ベンガラというのは、酸化鉄を主な成分とする赤い粉末です。水に溶けないために、山小屋の従業員らが氷雪の上にこれを散布し、小屋に向かって登ってくる登山者がガス(=霧)に包まれてルートを見失うことがないようにしています。
こんな岩も上から転がってきます。頭を守るためにヘルメットを着けていますが、
猛烈な勢いで飛んでくる岩に当たったら、体のダメージは大きいです。当たったら、
アウトです。
午前9時55分、情けないことに、後から登ってきた山岳遭難防止常駐隊の5人に追い越されました。
常駐隊はこの前日に長野県警大町署で結成された民間の山岳ガイドや自営業者ら31人の部隊で、そのうちの5人が今日から常駐する白馬岳頂上宿舎に向かうところでした。
彼らは登山道の巡回や、県警山岳遭難救助隊と一緒に遭難した登山者の救助に当たる頼もしい方々です。
午前10時。「サルだ!したーっ!」という常駐隊の人の声で、下を見ると、お猿さんが杓子岳の斜面から大雪渓に飛び出してきていました。
慌ててカメラを向けましたがピンボケ。サルは雪渓を横切って視界から消えました。
直後に、今度は視線を雪渓の正面に投げると、常駐隊員の1人が左側の雪渓の端っこに歩み寄っていきました。そして、しばらく両手を合わせていました。
「何やってんだろう」と思って近づくと、仏像がありました。
近くの金属板に、こう書いてありました。
「1987年7月20日午前×時45分、山岳部部員高橋××××季合宿北アルプス後立山連峰縦走××××この大雪渓にて、不運にも落石××に遭い、手当ての甲斐もなく、多くの人に惜しまれる中、その15年と11ヵ月の青春を閉じました。ここに、3回忌に当たり、わが山岳部は本校生製作の仏像を安置し、高橋君をしのび、その霊が永遠に安らかんことを祈ります。1989年7月27日 千葉県立国府台高等学校山岳部」
(×印は読めませんでした)
午前10時10分、ベンガラの上を歩いて登り続けますが、「カラカラカラカラ」という音がひんぱんに左の斜面から聞こえます。ギクッとして立ち止まって音のした方向を見ると、小石がはねて杓子岳の斜面を転がっています。それが時折、この雪渓まで吹っ飛んでくるんですね。
午前11時10分、もうじき大雪渓の終了地点。
大雪渓を抜けるのに、2時間近くかかりました。
傾斜が急です。
大雪渓終了地点の葱平(ねぶかっぴら)で、常駐隊の皆さんは、登山者が誤って亀裂に落ちないように工作を始めました。
亀裂が雪渓に入っていますね。
下を見ると、こんな感じ。
ここからは夏道をジグザグに登っていきます。もう少し時期が遅いと、雪解けが進んで「お花畑」になるところです。ちょっと時期が早かったです。
大きな赤い岩が雪に囲まれていました。
クルマユリです。
午後零時20分、小雪渓手前の岩場に、金属板を岩にはめ込んだ遭難碑がありました。
「河村幸一君 26歳
昭和49年6月28日 友人 林桓夫 」
と書かれています。
午後零時35分、葱平(ねぶかっぴら)上部で、小雪渓のトラバースです。
この小雪渓はステップが切られていましたが、傾斜が急で、滑落事故が多く発生しているそうです。
チェーンアイゼンを着けて慎重に横切りましたが、本格的なアイゼンを持ってくるべきですね。
トラバースしたところに咲いていた花、シナノキンバイかな?
午後1時、避難小屋の横を通過。
林野庁の看板。「ライチョウを追いかけないで」などと注意書き。この先も急です。
大岩に、「ガンバレ」の文字。ガンバローッ!
目の前が、白馬岳頂上宿舎。
午後2時10分、白馬岳頂上宿舎を通過。
午後3時、やっと白馬山荘に到着。この建物で受け付け。
出発から7時間もかかってしまった。
標高差約1600㍍を登り切りました。
白馬山荘の2号館の入り口。
割り当てられた私の宿泊スペース。畳2畳を1人で使ってよい、とのことです。
2号館の3階です。定員60人ですが、コロナ禍で30人に絞っているとか。
でも、この日、3階の宿泊者は、幸運なことにわずか3人でした。
午後5時、この夕食をいただきました。
※次回は、