北穂高岳で味わう至福のひと時

標高3000㍍の北アルプスに登っていたころの写真記録、国内外の旅行、反戦平和への思いなどを備忘録として載せています。

海賊のヴァイキング船をオスロで見た

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 オーセベリ船と名付けられたヴァイキング(2019年5月12日撮影)

 

目次 

 

 

 

 “ヴァイキング”と聞くと、「海賊」というイメージが強いですね。

 9世紀から11世紀にかけヨーロッパで船に乗って沿岸諸国を荒らしまくった海賊

 

 そのヴァイキングが、略奪や交易に使ったノルウェーオスロで見ました。もちろん修復されたものです。

 驚いたことに、それらのは身分が高い人物の遺体を収める「棺(ひつぎ)」としても使われ、船ごと土に埋葬されたようなんですね。

  2019年5月12日に、HISのツアーに参加して、「オスロ」に入った時の記録です。

 

 

ヴァイキング船博物館に3隻も

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 ヴァイキング船博物館の外観 (ウィキペディアから引用)

 

 

 ヴァイキングが使っていた船、ヴァイキング船が展示されていたのは、

オスロ市のヴァイキング船博物館というところです。ここはオスロ大学文化史博物館の一部にもなっています。

 3隻ありました。

 

 

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 ゴックスタッド船命名されたヴァイキング船。

 

 

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 トゥーネ船と名付けられたヴァイキング船。

 

 

 

ヴァイキングはどこに住んでいた人たち?

 「ヴァイキング」という言葉の語源は、ラテン語で、商業地を転々としながら活動する商人のことらしく、具体的にはスカンジナビア半島の商人を指します。

 人種でいいますと、ノルウェー人、スウェーデン人、デンマーク人です。(同じ北欧でも、フィンランド人は入りません)

 

 

 

「海賊」が専業だったの?

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 (博物館の前庭にあったヴァイキングの行動範囲を示す案内版)

 

 

 「ヴァイキング」が歴史上、注目され始めたのは、西暦793年のイギリスの修道院へのヴァイキングの襲撃でしょう。海から侵略し、丸腰の修道士から装飾品、貴金属といった宝物を強奪して、船に積み込んで去った事件。襲われた側の聖職者が残した記録があります。

 その時以来250年間、ヴァイキングは船団を組んで北海やバルト海を渡って沿岸の国々の集落を襲撃し、銀などの貴金属を略奪したうえ捕虜をスカンジナビア半島に連行して奴隷にした、などとされています。

 

 ただ、最近の研究では、ヴァイキングは“専業の海賊”ではなかったようです。

 

 

 

「交易」が主、「略奪」は従

  「海賊」とも言われたスカンジナビア半島の人々は、もともとは農業で暮らしていたようです。でも、耕作できる土地が乏しいことから、生きていくために夏の間だけ、故郷に持ち帰る資源を求めて船出し、海岸の土地を探検しました。

 彼らヴァイキングの商人は、片方の手には干し魚、毛皮、蜂蜜、セイウチの牙といった商品を持ち、現地住民の持つ香料、絹織物、ガラス製品などと物々交換しました。 

 しかし、もう一方の手には斧や剣を携えていて、状況に応じて略奪したと考えられています。

 

 ヴァイキングが船を操る目的は、外で富を獲得して故郷に持ち帰るためです。船は重要な手段だったんですね。

 

 

 

土に埋められた船は「墓」になっていた

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 ヴァイキング船博物館の入場券(2019年5月12日)

 

 

 

 博物館に展示されていた3隻の名前には、発掘された場所の地名が付けられています。

 

 船には骸骨があり、重要人物が「船」という「棺おけ」に納められて埋葬されたことが分かります。

 骸骨の横には、死者に随伴する形で、いろいろな物が添えられていました。

 

 

 

ゴックスタッド船(ヴァイキング船)

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 オスロ近郊の農場にある古墳で、1880年に発見されました。日本の明治時代ですね。

 

 

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 ゴッグスタッド船の発掘の様子。1880年ごろの撮影とされています。(博物館の展示品を接写)

 

  

 古墳は粘土と泥炭で造られていて、その下には埋葬されていました。

 流線型の船の上に小屋を建て、その中に入れたベッドに男の骸骨が横たわり、そばには副葬品。男の身元は不明。

 研究によると、船体用の木材(オーク材)が伐採されたのは、“年輪年代学”で

西暦890年ごろ。船体は全長24メートル、幅5メートル。船は32人の漕ぎ手を乗せられるように設計されている。

 発掘後、船の部品の多くは新しい木材に置き換えられ、復元して展示されていました。

 

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 ゴックスタッド船。

 

 

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 ゴックスタッド船の横の説明板です。

 

「戦闘で殺された」という見出しで、次のように書かれています。(直訳)

ゴックスタッド船内で見つかったスケルトン(骸骨)は、西暦900年ごろの戦闘で殺された背の高い頑丈な男だった。ゴックスタッドの墓は、埋葬後、たった2、30年で略奪され、泥棒たちは遺骨を周囲に散乱させた。
男は、影響力のある人物に違いなかった。彼の墓への贈り物には、テント、調理器具、ソリ、ベッド、3そうの小舟、64の盾、12頭の馬、8匹の犬、複数の鷹、2匹の孔雀も含まれていた。骨の状態は、男が死んだ時に40代であったことを指し示している。

彼の左膝には、十中八九、剣で斜めに切られた傷がある。また、右のふくらはぎには、骨が2つに切断されてひどい傷が、そして右の太ももの骨には刺し傷を受けていた。剣と盾で戦っている時代は、相手を動けなくさせるために直接、脚を斬った。

十中八九、ゴックスタッドの男は同じ時に、2人か、もっと多くの敵に遭った。複数の傷は、彼が瞬時に殺されたことを示している。

 

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 展示されていた男の遺骨。

 

 

 

 

オーセベリ船(ヴァイキング船)

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 オーセベリ船と美しい装飾。

 

 

 こちらの船も、オスロ近くの農場の古墳から、100年前の1904年に掘り起こされました。

 船には2人の女性の遺骨と数多くの副葬品がありました。船の全長は21メートル、幅5メートル。船体に15対のオール用の穴があり、30人で漕げました。

 船首と船尾は、丸い木彫りの装飾が施されています。

 

 

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 船の横にあった説明板です。

 

「2人の裕福な女性」という見出し。直訳します。

 

1904年にオーセベリ船が発掘された時、考古学者たちは2人の女性の遺骨を見つけた。1人は亡くなった時に50歳、ほかの1人は70歳から80歳ぐらい。しかし、墓の主役はだれだろうか。

潤沢な副葬品を伴ったオーセベリの塚は、2人のうちの1人、あるいは2人ともが政治面、そしてたぶん、宗教面でもまた重要な役割を果たしていたことを示している。

2人のうちの1人が、人身御供としてささげられた可能性はないだろうか。

2人の女性は、身長が約153センチだった。若い方の女性は、よい食生活をしていたことをうかがわせる健康的な歯をしていた。金属のツマヨウジを使って歯をきれいにしていた痕跡があった。死の数週間前に、鎖骨を骨折した痕跡があったが、死の原因ではない。

高齢の女性のスケルトン(骸骨)は、子供のころから重大な病気が続いていたことを示している。高齢になってから、骨粗しょう症、腰椎骨折、2つの頸椎融合、ひざのけがに苦しんでいた。女性はがんが進行しており、多分、たいへんな痛みが続いていただろう。

 

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 展示されていた2人の女性の遺骨。

 

 

 

トゥーネ船(ヴァイキング船)

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 トゥーネ船ノルウェーの農場で発見されたのは、江戸時代末期の1867年。ずいぶん前ですが、断片的な不完全な形で掘り出されていて、現在も修復されていません。

 

 

 

 

ボルグン・スターヴ教会

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 妙な形をした建物です。戦国武将の鎧(よろい)のようにも見えます。

 スターヴ教会と言うそうです。

 

 ノルウェーオスロの北西にあるボルグンという小さな村にある木造の教会です。1180年という大昔に建てられました。

 

 スターヴというのは、「垂直に立てられた支柱」という意味のノルウェー語だそうで、この教会には土台の石の上に12本の太い柱を立て、屋根を支えているとのこと。釘やネジは不使用。

 

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 ヴァイキング船を造る時の技術が、この支柱を立てる際に用いられているようです

 屋根の端っこにある「龍」の飾りは、ヴァイキング船の船首の魔除け用の飾りと同じです。

 

 スカンジナビア半島ノルウェー人には、もともと信仰していた神話がありましたが、ヴァイキング船で遠征している時にキリスト教に出会い、キリスト教に改宗したノルウェー人が故郷に戻って建てたのがスターヴ教会です。

 

 

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 ヴァイキング船とキリスト教が融合した神秘的なたたずまい、と言えるかもしれません。

 

 スターヴ教会は今でもノルウェーに28棟、残っているそうです。

 

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