モスクワのオクチャブリホテルの玄関わき(1990年1月14日撮影)
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ウクライナ情勢が気掛かりですが・・・。
パソコンでググっていて、懐かしい名前のホテルを見つけました。むかしのことですが、ソ連時代にモスクワで泊まったオクチャブリホテルという名前の巨大ホテルです。
ソ連邦がその1年後に崩壊したのでどうなったのか気にはなっていました。
今はプレジデントホテルと名前を変えて営業していることが分かりました。
懐かしさのあまり、古いボケボケの写真ですがアップしました。それだけのことです・・・。
オクチャブリホテル
ホテルの中。2階部分から1階のロビーをのぞき込んだひとこま。
オクチャブリホテルの名前が見つかったのは、文春オンライン3月23日配信の記事でした。
作家・佐藤優さんの「死神プーチンの仮面を剥げ」という題の記事で、「文芸春秋」2005年12月号の再録だとか。
私がモスクワでそのホテルに泊まったのは、1990年1月のことでした。
自民党の国会議員団(団長:安倍晋太郎元幹事長)がソ連共産党中央委員会に招かれたんですが、その時、担当記者として同行し、2泊しました。
これがオクチャブリホテルの外観です。
いかめしい柵に囲まれたレンガ色の巨大な建物。ゲート脇に、看板などありません。セキュリティは厳重でしょうが、隔離されてしまうような、奇妙な気持ちでした。
ホテルの正面玄関(写真左端が入り口)。
モスクワ中心部にあるこのホテルは14階建て、とあとで知りました。1983年に開業して、ロシアをはじめソ連邦の各共和国のトップや外国の政治訪問団を受け入れた場所だそうです。自民党の訪問団も、その1つだったわけですね。
作家の佐藤優さんは、ロシアの日本大使館に三等書記官として勤務したことがある元・外交官。彼の記事を読むと、私たちが泊まったオクチャブリホテルは、ソビエト社会主義共和国連邦が崩壊したあとは、ロシア連邦大統領府が管理する「プレジデントホテル」と名前が改められ、今日に至っているようです。
記事をみますと、この建物は、ブレジネフソ連共産党書記長時代にノーメンクラトゥーラ(=ロシア語で特権階層のこと)のために建てたとか。
正しい名前は、オクチャブリ第2ホテル。フィンランドの建設会社が建てたようで、佐藤さんは「天井が高く、ホールが大理石張りの準迎賓館だ」と書いています。
204室あるようです。だだっ広い部屋に1人ずつ、入れられました。
テレビ(左端)は、あの当時、ブラウン管でしょうね。
こんな広いスペースを1人で使ってええんだろうか、KGB(秘密警察)に監視カメラで見られているかも、とか、テレビが怪しい、なんて思ったりしました。
写真がボケていますが、トイレと浴室です。広く、かつ、きれいでした。ビックリしました。
部屋から見たモスクワの冬景色・・・。
ホテルの2階に設営されたプレス・ルーム。卓上には、電話機がポツンポツンと置かれています。
日本に電話する時は、部屋の片隅にいる交換手の女性の世話になりました。
いま「プレジデントホテル」と改称
道路から見たオクチャブリホテルの外観。
ホテルは今、プレジデントホテルというふうに名前が変わっているので、昔のことを知らない旅行者もいるようです。
リフォームされたホテルは、ヨーロッパからの観光客に使われるし、日本人もそれなりに泊まっているようです。国際会議に使われるようですね。
モスクワのみやげ物屋の入り口。
おみやげに、ウサギの毛皮の帽子を買いました。あったかいです。
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