北穂高岳で味わう至福のひと時

標高3000㍍の北アルプスに登っていたころの写真記録、国内外の旅行、反戦平和への思いなどを備忘録として載せています。

「山岳雑誌」が次々と身売り! コロナ禍も部数減に影響?

 

 

 山が好きで、3年前に「登山」を柱にしたブログを始めました。でも、少ないんですね、ブログをやる山好きの人が・・・。ブログを書き始めてからそれに気づきました。

 

 「山」といえば、山岳雑誌の身売りが続いているんです。「コロナ禍」で1枚の布団に2、3人が寝るという「山小屋泊まり」を中高年登山者が避けるようになったので、山関係の雑誌も売れなくなったようです。出版不況にコロナは追い討ちをかけました。

 

 山岳雑誌は山と渓谷」「岳人(がくじん)」が双璧。これに続く「PEAKS(ピークス)」の、ここ10数年の動きを整理しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『PEAKS』はどうなるのかしら

 雑誌『PEAKS』の最新号・・・2023年1月号

 

 

 『PEAKS』は「ピークス」と読み、枻(えい)出版社という会社が2009年5月に創刊した雑誌です。創刊にたずさわったフリーライター・森山憲一氏のブログによると、読者層を30代に想定していたらしい。

 

 その『PEAKS』ですが、去年の12月15日に「2023年1月号」を発売して以降、いまだに「2月号」「3月号」が出てこない。

 「どうしたのかしらん」・・・というわけで、パソコンでPEAKS公式サイトをみてビックリ。画面右上に目立たないように、こんなふうに書かれていました。

 

 

 紙の雑誌『PEAKS』を発行していた「ピークス株式会社」2022年12月1日から「ADDIX(アディックス)」という会社と統合したというのです。

 

 そこで「ADDIX」のホームページをみると、実態は「ピークス株式会社」が吸収合併されたことが分かりました。

 

 

 少し込み入っているので、この雑誌の沿革を調べますと――

 

 『PEAKS』を創刊した枻出版社は2021年2月5日、雑誌『PEAKS』の発行事業を投資会社の「㈱ドリームインキュベータに譲渡。

 ㈱ドリームインキュベータは100%出資で新設した子会社「ピークス株式会社」で雑誌『PEAKS』の発行を続けました。

 

 その直後の2021年2月9日、生みの親の枻出版社は「コロナ禍」の影響もあって広告収入が減り、約58億円の負債を抱えて経営が破綻東京地裁民事再生法の適用を申請しました。(⇐帝国データバンクの情報)

 

 ところが2022年4月、ドリームインキュベータは子会社の「ピークス株式会社」の全株式を㈱ADDIX(アディックス)に譲渡することを決定。㈱ADDIXは2022年12月1日、ピークス株式会社を含む関係子会社4社を吸収合併した、という流れです。

 

 ㈱ADDIXは、ITを使って企業に新規事業開発を支援している会社らしい。

 紙の雑誌『PEAKS』はこれからどうなるんでしょうかね。

 

 

 

 

『岳人』は「東京新聞」から「モンベル」に

8年前に「廃刊」されようとしていた!

 「東京新聞」発行の「岳人」最終号(=2014年8月号)

 

 

 雑誌『岳人』は長い間、東京新聞出版局が発してきました。

 その『岳人』を2014年に東京新聞が手放した時は、「なんで?」と思った人が大勢いました。愛読者の私もその1人でした。

 後日、発行元の「中日新聞社」が「廃刊」を考えていたと知った時には、怒りすら覚えましたよ

 

 

 

『岳人』をつくったのは京大山岳部有志

 『岳人』創刊号(=1947年5月1日発行)

 

 

 『岳人』は、アジア太平洋戦争が終わって間もない1947年(昭和22年)、京都大学医学部学生の伊藤洋平が、仲間と京大山岳部を立ち上げた時に、合わせて発行を始めた山岳雑誌です。

 

 1947年1月中旬、伊藤は山岳部の池田孝蔵、杉山喜一の3人で、北アルプス白馬岳に登りましたが、山に向かう満員の夜行列車の中で「雑誌を出そう」という話になったといいます。ザックに腰を下ろして語り合っているうちに、雑誌のタイトル池田がつぶやいた、山岳の「岳」に「人」を付けた「ガクジン」がいいね、ということになったといいます。(「岳人」2014年8月号参照)

 

 創刊号は、1947年5月1日に出されました。

 

 創刊号の最終ページ

 

 

 

 発行所は、京大北門の向かいにあった書店の空いていた机を1つ借りて、店先に「岳人社」という表札を出しました。

 

 出版し始めたころの内容は、いまふうの軽い情報誌ではなく、登攀(=クライミング)の記録を重視。冬山の報告や、雪洞、凍傷など登山に関する研究論文が多く、著名な登山家が伊藤らの熱意にこたえて『岳人』に寄稿しました。

 

 しかし、『岳人』に掲載する広告はそれほど多くないために原稿料を払えず、山岳部員らが自腹を切って第13号まで2年間、発行し続けました。

 

 そして、第14号以降は、名古屋に本社があった中部日本新聞社(現・中日新聞社)が発行することになります。

 きっかけは、編集責任者の伊藤洋平の第八高等学校(=名古屋大学教養部)時代の後輩で、なおかつ『岳人』の編集を手伝っていた立平宣雄が、京大法学部卒業後に中部日本新聞社に入社したことが縁になり、「中日」が発行を申し出たようです。

 

 『岳人』は1960年1月号から、東京新聞」を発行している中日新聞社の東京本社(当時は東京支社)で発行することになり、雑誌の「発行元」は「東京新聞出版局」と表記されるようになったのです。

 

 

 

 

『岳人』という商標権を譲渡するという報道

 出版界の売り上げは1996年をピークにして、翌年からは右肩下がりの出版不況に突入しました。

 

 中日新聞社でも、『岳人』の売れ行きが鈍りました。返品された雑誌の裁断費用がかさむばかりだという愚痴を、東京新聞出版局の知り合いから聞くようになりました。

 そして、2009年6月1日付で、「出版局」という名称が廃止になり、イベント屋の「事業局」の一部門に「出版部」がくっつきました。降格ですね。

 『岳人』の商標権が譲渡されたのは、その5年後の2014年3月です。

 

 

 

 2014年3月の新聞記事

 

 

 驚きました、上のベタ記事を読んで・・・。

 同時に、この新聞社は『岳人』の歴史の重みやカネでは買えない『岳人』の価値がわからない人や「山」を知らない人が経営トップと出版部門の責任者をやっているんだね、と残念に思いました

 知り合いの話だと、発行するたびに赤字を産み出すお荷物を処分した功績は大きい、と、担当者は高い評価を受けたそうです。

 

 

 

モンベル」が「岳人」を救ってくれた

 登山用品メーカーモンベル」の辰野勇会長は、『岳人』の出版事業を継承する決断をしたシーンを次のように書いています。

 

 「モンベル 7つの決断~~アウトドアビジネスの舞台裏~~」(ヤマケイ新書、2014年11月発行)からの引用】

 

 

 

 ことの発端は、2014年1月中日新聞東京本社の事業局長モンベル本社を訪ねてきたことに始まる。

長年お世話になりましたが、ことしの8月号で休刊したいと考えています

 一般に、業界で「休刊」は「廃刊」を意味する

「そうですか・・・・・」

 私は一瞬、言葉を失った。

 『岳人』は、同社が発行する日本を代表する月刊山岳雑誌で、私も若いころから愛読していた。モンベルを起業してからは、広告の出稿や商品紹介など紙面で取り上げてもらうことも多かった事業局長は、クライアントでもあるモンベルに休刊を伝える事前のあいさつに来られたのだ。

「・・・・・モンベルで引き受けましょうか?」

 決して無責任な社交儀礼ではなく、とっさに「決断」した私の思いだった。「決断」はときとして、このように瞬時に行われる。(以下、略)

 

 

 新生『岳人』の創刊号(=2014年9月号)

 

 

 

 中日新聞社が持っていた『岳人』の商標権は、モンベル側に無償で譲渡されました。

 『岳人』はいま、モンベルのグループ企業で辰野勇モンベル会長が「社長」を務める「ネイチュアエンタープライズ社」が、引き続き発行。辰野社長自らが「編集長」になってがんばっています。

 

 

 

 

 

山と渓谷』もインプレスに買収された

 「ヤマケイ」と呼ばれて親しまれている山岳雑誌『山と渓谷』は、1930年(昭和5年)4月1日に創刊されました。

 

 早稲田大学で山岳部に属していた川崎吉蔵という人が、大学を卒業した直後に発行しました。出版社の名は「山と渓谷社」。

 

 「山と渓谷社」は経営情報を公表していないので経緯はわかりませんが、2006年(平成18年)11月30日に、IT企業の㈱インプレスホールディングスが「山と渓谷社」の全株式を取得して、自社の100%子会社にしました。

 

 『山と渓谷』という雑誌名は変わらないため、親会社がいるということを知る人は少ないと思います。

 

 

 

 

ワンダーフォーゲル』は2年前に休刊

 隔月刊の『ワンダーフォーゲル』は、山と渓谷社が発行していた登山雑誌。これは2021年5月10日発売の2021年6月号を最後に、休刊しました。

 

 

 

 唐突な感じでした。

 「休刊」に至る説明はありませんでした。

 

  『ワンダーフォーゲル』の前身は、1975年創刊の『夏山JOY』。その後、1994年に季刊雑誌『ヤマケイJOY』と改名。それをリニューアルする格好で、2011年に『ワンダーフォーゲル』として生まれ変わり、4月号が創刊号として発行されていました。

 

 30年ほど前に消えた『夏山JOY』という名称は、『ワンダーフォーゲル』の増刊号として復活していますが、こちらは存続しているようです。

 

 

 

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 スマホ」の普及が大きいんでしょうか。紙媒体で情報を得るなんて、もう、はやらないんですね。

 

 「週刊朝日」も2023年5月末に休刊するようです。 

 新聞業界では、毎日新聞社が東海3県で、夕刊発行をこの3月末でやめます。静岡新聞社も3月末で夕刊を廃止します。生活スタイルの変化で、夕刊を購読する世帯が減り続けていますからね。