桜が満開の弘前公園(2023年4月14日撮影)
「日本三大桜名所」に数えられる青森県の弘前公園。恒例の「弘前さくらまつり」は、4月21日から5月5日までですが、会場の弘前公園ではソメイヨシノ約1700本が満開!
公園を管理している青森県弘前市は4月13日、「満開」を宣言しました。平年よりも14日早い宣言です。
気象予報会社の「ウェザーニュース」は、桜吹雪は4月20日と予想しています。
たまため、旅行の予定日と合致し、4月14日に楽しんできました。
目次
園内の散策にかかった時間は2時間
弘前市のパンフレットから引用
弘前公園には、JR弘前駅からバスが出ていますが、歩いても30分ほどで着きます。
私と奥さんは駅から案内表示板に従って、西にドンドン歩いて、お城の外濠(そとぼり)に出ました。
外濠沿いの車道に沿って、桜を眺めながら北(右手)に進み、「東門」(上の案内図の右端中央部)から公園に入りました。
桜を眺め、コンパクトデジカメで写真をバシバシ撮りながらうろついていると、2時間はすぐに経ってしまいますね。
外濠の土手に咲く桜。湖面には花びらのじゅうたん・・・
「二の丸東門」
1882年(明治15年)に植えられた樹齢140年のソメイヨシノの古木。いまだに花をたっぷり付けていますね。
赤い橋は「下乗橋(げじょうばし)」。二の丸と本丸を結ぶ橋で、この橋を渡って本丸に入る時には、弘前藩の藩士は馬から降りるように定められていたそうです。
橋の向こうに見えるのは、現在一時的に移転されている「天守」。
花筏(はないかだ)。散った花びらが水面を漂っています。
春陽橋からみた西濠(にしぼり)
春陽橋・・・
「桜のトンネル」と名付けられている土手道。公園には樹齢が100年を超えるソメイヨシノの老木が約300本あるとのこと・・・。老いたとはいえ、見事に花を咲かせていました。
ボート乗り場からみた西濠
イチョウです。根っこが目を引きますね。木の高さは32㍍ほど。樹齢は「300年以上」と推定されています。
弘前公園は昔の「弘前城」!
写真は、石垣修理が始まる前の2014年4月当時の天守(弘前市作成のパンフレットを接写)
石垣は現在も修繕中だった
弘前城の歩み
弘前城は、津軽地方を支配していた弘前藩・津軽家の居城で、江戸時代初期に築かれました。
5層の天守を本丸の西南隅に築きましたが。落雷で焼失。以後、長い間、天守はありませんでした。
江戸時代の末期の1810年(文化7年)になって、それまで本丸の南東隅にあった「辰巳櫓(たつみやぐら)」という「物見」を解体・撤去し、3層3階のの天守が再建されました。これが現在の天守だそうです。
そして明治時代になって、弘前城一帯が弘前公園として一般に開放されました。
「天守」の引っ越し
仮安置されているいまの天守
弘前城の天守は現在、本来の位置から70㍍ほど離れた場所に、台車を使って移され、安置されています。
元の位置に戻されるのは2025年度中の予定だそうです。
「天守」というお城の核心部分を動かした理由――それは、天守を載せていた「石垣」が外側に膨らんで、大きな地震が起きた場合には天守も一緒に崩れる心配が出てきたからなんですね。石垣を修理しなければならないのです。
弘前市役所は石垣の修理に先立って2015年、天守を解体することなしにそのまま別の場所に移動させる「曳家(ひきや)」という工事をしました。
翌2016年から、こわれかけている石垣の解体と修復をする工事を続けているのです。
それにしても、建造物ごと引きずって移動させたとは、驚きですわ。
「天守」は江戸時代のまま
本丸御殿の模型
「天守」は何をするところだったのか、ということですが・・・
江戸幕府ができるまでの戦乱の世では、戦(いくさ)の時に城主が立てこもって戦う最後の砦でした。それが家康の天下統一によって性格が変わり、単なる「城主の権威の象徴」になったようです。
「天守」はその後、明治時代になってから軍用地として使い道のない城が次々と壊されたり、アジア太平洋戦争中の米軍による空襲で多くが失われました。
今も残っている天守は、全国で松本城、姫路城、彦根城、犬山城など「12」だけ。東北地方では「弘前城」のみとなっています。
弘前城の3層目に、「本丸御殿」のミニチュア模型が展示されていました。
本丸御殿は藩主の生活の場であり、政(まつりごと)をつかさどる場でもありました。
その本丸御殿も明治時代になってから軍事には役立たないということで取り壊され、弘前市民の憩いの場として「弘前公園」になったそうです。
多かった訪日外国人
それにしても、弘前では外国人の方をよく見かけました。
「コロナ禍」で外国人の入国は水際作戦ということで政府によって規制されていましたが、2022年10月に規制が緩められて外国人の個人旅行が解禁されました。
JR新青森駅から弘前駅に向かう奥羽本線の列車の車中や、弘前公園の桜の木の下などで、「中国語」をよく耳にしました。
習近平の中国なのか、それとも台湾なのか、私には分かりませんでしたが、中国からの入国者はコロナがらみの規制が続いていることもあって観光客は少ないようですから、台湾からの旅行者だと思いました。
ほかにも「韓国」「タイ」の言葉で会話する人を見かけました。米国人も見かけましたね。
でも、青森という地で外国語をこれほど耳にするとは思いもよりませんでした。
「桜」は観光資源なんですね。桜の魅力を再認識した次第です。