大正池に残る立ち枯れの木(後ろの山は、焼岳)
上高地の焼岳北峰(標高2399㍍)に登った翌日の2023年5月26日、大正池、田代池、岳沢湿原を散策しました。
その写真記録です。
目次
焼岳の噴火が造った「大正池」
大正池(たいしょういけ)は、焼岳(やけだけ)が造った最高の傑作です。
1915年(大正4年)6月6日に、焼岳で大規模な水蒸気噴火が起きました。火口から2㌔離れたところまで噴石が飛んで、爆風で1㌔以内の木々が倒れたそうです。
その時に、火口近くの斜面にたい積していた火山噴出物が土砂を取り込んで泥流となり、槍ヶ岳を源流とする梓川(あずさがわ)をせき止めたことによって現れたのが大正池なんですね。
「大正池」の景観危うし!
大正池ホテルの前のバス停から河原に降りたところが大正池。目の前の山は、活火山の焼岳です。
目を右に向けると、大正池越しに穂高連峰の山並みが見えます。あいにく3000㍍の稜線には白い雲がかかっていましたが・・・。
≪立ち枯れの木(写真左端)と穂高連峰≫
「大正池」といえば「立ち枯れの木」をイメージしますが、残念なことに、立ち枯れの木は数少ないですね。
かつて水中にあった立ち枯れのシラカバやカラマツの木々は、大雨のたびに倒れて水没しているようです。
大正池自体も、焼岳や霞沢岳(かすみざわだけ)の沢から崩れた土砂が絶えず流れ込んでいて、少しずつ小さくなり、かつ、浅くなってきたようです。
「立ち枯れの木」を目の前で見ることができる場所が、この近くにあることを聞きました。この大正池ホテル前の遊歩道を、河童橋方向に数分進むと、また河原に出ます。
ここです。
背丈のある枯れ木が1本、2本・・・。立ち枯れの木と焼岳のコラボ写真を記念に撮るには、ここが最高の場所かと思いましたね。ただ、いつまで耐えらるか。
大正池で見かけたマガモのつがい。時折、首を水中に突っ込んでいます。小魚を食べているんでしょうか。
≪浚渫≫によって美しさを維持する大正池
大正池には、梓川の上流と焼岳から絶えず土砂が流れ込んでいるため、1977年から浚渫(しゅんせつ)工事が行われています。
毎年、観光シーズンが終わった11月以降、大正池に浚渫船は持ち込まれます。電力土木技術協会の会誌によりますと、1年間に流入する土砂の量、約1.8万立方メートルに相当する土砂を浚渫し、ダンプカーで3000台分を下流の土捨て場に運んでいるとのことです。こうして美しさがなんとか維持されているんですね。
大正池の水は「発電」にも使われている!
大正池の左端の池尻に目をやりますと、堰堤(えんてい)で水がせき止められていることに気付きます。(上の写真)
ゴムでできていて、空気を抜くとこれが下がり、水が流れ出して大正池の水位が下がる、という仕組みです。
大正池は発電のための調整池としても使われているんですね。大正池を出た水は、下流の霞沢発電所に送られて、水力発電に使われています。新島々から上高地に向かう国道158号線から、山肌に張り付いている長さ400㍍ほどの2本の太い鉄管が見えますが、あの中を大正池の水が下っているわけです。
水が湧き出る「田代池」
こちらは、カラマツ林の中に広がる湿原・・・。田代湿原です。
田代湿原の向こうに見えるのは穂高連峰。
田代湿原の中に、ポッカリと浮かぶのが田代池(たしろいけ)です。
説明版。田代池というのは、すぐ横の霞沢岳(かすみざわだけ)や六百山(ろっぴゃくざん)に降った雨や雪が伏流水となって、それが何年か後にコンコンと湧き出てできた池だそうです。
池の底から、ポコポコ水が突き上げてるふうでした。
昔の田代池の様子。
「岳沢湿原」は立ち枯れの木が多かった
上の地形図の「左下」が田代池。そこから梓川沿いを歩いて、河童橋の先の岳沢湿原(だけさわしつげん)に向かいます。
岳沢湿原は、上高地のシンボル、河童橋(かっぱばし)から梓川右岸の遊歩道に入って15分ぐらい歩いたところ。
穂高の岳沢(だけさわ)と梓川が出会う位置に広がる湿原です。明神池までの遊歩道の途中です。
岳沢湿原は穂高の山肌に降った雪が伏流水となって湧き出ているところ。水がきれいでした。
清流を泳ぐイワナ。分かりますでしょうかね。
済んだ湧き水は小川となり、立ち枯れした木の間を縫うようにして流れています。
心が洗われます。
遊歩道は木道。
遊歩道の途中には、湿原にせり出す格好で展望ウッドデッキがありました。その端っこまで行きますと、立ち枯れの木々がよく見えました。撮影スポットですね。
正面の山は六百山(ろっぴゃくざん)。立ち枯れの木は、大正池よりもこちらの方が多いような気がしました。