北穂高岳で味わう至福のひと時

標高3000㍍の北アルプスに登っていたころの写真記録、国内外の旅行、反戦平和への思いなどを備忘録として載せています。

『3.11』の記憶が薄れて原発再稼働に向けて動く世論

毎日新聞」2011年3月12日付朝刊。(陸に押し寄せ、家屋をのみ込む大津波宮城県名取市で11日午後3時55分撮影)

 

 

 

 原子力発電所の「再稼働(さいかどう)」の話です。

 

 2011年の「3.11東日本大震災」のときに、東京電力福島第一原子力発電所で爆発事故が起きたことから、全国の原発が運転を一時中止しました。

 それがいま、各地で電力会社が政府の後押して「再稼働」に向けてジワジワと動いています。

 この動きを国民はどう見ているのか――。

 

 朝日新聞社が2024年2月17、18両日に行った世論調査では、原発再稼働について「運転再開賛成」が50%、「反対」が35%でした。(2月19日Web)

 

 原発の広報団体「日本原子力文化財団」の世論調査でも、「再稼働すべきだ」という声が徐々に多くなっています

 

 事故から13年経過。「炉心溶融メルトダウン」という旧ソ連チェルノブイリ原発事故(1986年)と同じような深刻な事態を経験しながらも、当時の思いは人間の記憶から薄れていくんでしょうかね。

 

 わが日本列島は地震の巣です。南海トラフ地震も首都直下地震も間違いなく起こるでしょう。そのとき、原発はどうなるんでしょう。

 原発が抱える最大の課題は「核のゴミ」の処分です。原発の運転で今後も産み出される高濃度の放射能の「核のゴミ」を、どこの市町村が受け入れてくれるんでしょうか。

 

 「再稼働」には厳しく対処しなければいけないと考えます。

 

 福島の原発事故を思い出すために、手元にある雑誌類をめくって報道写真をながめました。

 

目次

 

 

 

原発が水素爆発したときの記録写真

福島中央テレビの映像。(「原発災害、その時テレビは・・・」から引用)

 

 写真は、2011年3月12日午後3時40分に、日本テレビ系列のローカル局福島中央テレビ」が流した映像です。

 東日本大震災の発生翌日、東電福島第一原発1号機原子炉建屋で起きた「水素爆発」の発生4分後のようすです。

 

 撮影したのは、原発から17キロ離れた山中にある送信所のお天気カメラです。郡山市の本社から遠隔操作でき、福島第一原発のようすを24時間収録してきました。

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 3月12日のようすを福島中央テレビの報道責任者が次のように書いています。

 

 「煙!」。午後3時36分、ニュースセンターの中のすべての目がモニターにくぎ付けになった。5号機と1号機の建屋が大きな白煙に包まれて、見えなかった。白煙は次第に左に、北の方角に流れていく。すべてのスタッフがカットインに向けて動き始めた。

 ※カットイン=突発事故や事件を速報するために、放送中の番組を急きょ変更して特別番組を差し込むこと。

 

 福島第一原発で何が起きたのか。VTRを巻き戻して再生すると、1号機が爆発しているように見えた

 「カットインします」。報道部長が福島県内向けに特別番組を差し込むことの了解を各担当者に対して伝えた。

 3時40分、アナウンサーがヘルメットをかぶってブースでしゃべり始めた。

 「先ほど、、福島第一原発1号機から大きな煙が出ました。大きな煙が出ました。」「煙が来たぬ向かって流れているのが分かるでしょうか。」「この煙が何か、危険なのかどうか分かりません。現在確認を急いでいます。」などと、パニックを避けるために❝爆発❞とはあえていわずに、ひたすら繰り返した。カットインは7分55秒続いた。

 4時49分、キー局の東京の日本テレビからの呼びかけに応えるかたちで、福島中央テレビのアナウンサーがこのニュースを初めて全国に伝えた

 政府の枝野幸男官房長官が記者会見で、「何らかの爆発的事象があった」と認めたのは、そのあとの午後5時46分だった。

 

 

福島民報」の3月13日付紙面。(「M9.0東日本大震災 ふくしまの30日」から引用)

 

 

 ≪1号機原子炉建屋の水素爆発までの経緯≫東京電力のHOから引用)

 

「3月11日午後2時46分の地震発生で、1号機は直ちに原子炉に制御棒が挿入され、原子炉は自動停止した。この地震原発施設外部の送電網から発電所に供給される『外部電源』が停止してしまったが、非常用ディーゼル発電機が自動的に起動し、非常用復水器を使って炉心の冷却を進めた。

 しかし、地震発生から約50分後、大きな津波の直撃を受け、非常用ディーゼル発電機バッテリー電源盤などすべての電源を喪失して冷却機能を失った

 これによって原子炉の圧力容器の中の水は蒸発を続け、約4時間後に燃料棒の集合体が水面から露出し、核燃料が高温で溶けて崩れる「炉心溶融」(=メルトダウンが始まった。

 相前後して、燃料棒を覆っているジルコニウム合金と水蒸気が化学反応を起こして「水素」が大量に発生。水素は圧力容器や格納容器の壊れた部分から漏れ出て原子炉建屋の上部にたまり、何らかの原因で引火して、津波襲来から約24時間後の3月12日午後3時36分に爆発した。

 また、溶融した核燃料は圧力容器の底を貫通して格納容器の床面のコンクリートを侵食した。」

 

 

 

福島民報」3月14日付紙面。

 

3月15日付紙面。

3月14日午前11時1分、3号機の原子炉建屋で水素爆発が発生した」という報道です。

 

水素爆発を起こし、白煙を噴き上げる3号機の建屋。(「緊急復刊アサヒグラフ 東北関東大地震」から引用)

 

 

3月16日付紙面。

 

 この原発事故で大量の放射性物質が大気中や海にバラまかれました。

 主な放射性物質は、「ヨウ素131」「セシウム134」「セシウム137」「ストロンチウム90」など。

 

 将来にわたって健康面で特に問題になる放射性物質は、セシウム137。放出された量が多かったうえ、半減期が約30年と長いのです。東日本の広い範囲の森林や田畑に沈着したとみられています。

 福島県では、住宅地や田畑は表面の土を削り取る「除染」が行われましたが、森林はほとんど手付かずの状態です。

 

3号機原子炉建屋。(「復刊アサヒグラフ 東北が泣いた1年」から引用)

 

3号機原子炉建屋(左)と4号機(中央奥)。(「ふくしまの30日」から引用。爆発翌日の3月15日に東電社員が撮影)

 

 

1号機原子炉建屋。(東電提供写真、2020年9月9日撮影

 

2号機(左側)と3号機(右側)。いずれも東電撮影。

 

 

原発「再稼働」に寛容になってきたらしい

 日本原子力文化財という原発推進団体が2023年10月に行った「2023年度原子力に関する世論調査の結果をネット上で見つけました。

 以下、その内容です。「再稼働」の部分だけ取り出しました。

 

 毎年行っている調査で、調査対象は全国の15歳から79歳までの男女。調査員が家庭訪問して質問票を渡し、後で回収する方法。回収したサンプル数は1200人

 

 質問は「原子力規制委員会による新規制基準への適合確認を通過した原子力発電所は、地元自治体の了解を得て、再稼働されることになります。以下のような再稼働に関するご意見について、あなたのお考えにあてはまるものがありましたら、すべてお選びください。(〇はいくつでも)」。

 

 回答で、最も多かったのは「再稼働を進めることについて、国民の理解は得られていない」の46.9%。半数近くの人がさめた認識をしているようです。

 

 そんな中で目を引いたのは、ここ5年間で「再稼働」に肯定的な意見が増え続けているんですね。

 具体的には、「電力の安定供給を考えると、原発の再稼働は必要」「新規制基準への適合確認を経て再稼働したのであれば、認めてもよい」「地球温暖化対策を考えると、原発の再稼働は必要」「原発を止めると、日本経済に大きな影響を与えるので、再稼働すべき」といった意見が年々増え、否定的な意見を上回っているのです。

 

 

どうするのか、「核のゴミ」の処分地

 原発で発電に使った「使用済み核燃料」は放射性物質をたっぷり含んでいるわけですが、いまは各発電所の構内に保管されています。増える一方です。

 

 政府は「使用済み核燃料」から、再び燃料として使える「燃え残りのウラン」と、「原子炉内で生まれたプルトニウム」を取り出す計画でいるのですが、その作業をすると放射能レベルが非常に高い「廃液」が残ります。この廃液が「核のゴミ」という厄介者です。非常に強い放射線を出すため「高レベル放射性廃棄物」と呼ばれ、無害化するまでに「10万年」かかるとされています。

 

 今の政府はウランとプルトニウムを再利用する「核燃料サイクル」を原子力政策の基本としています。

 その一環で、青森県六ケ所村使用済み核燃料の「再処理工場」を建設中です。

 

 しかし、「核のゴミ」はどう処分するんでしょう

 日本では地下300メートルより深い位置岩盤に埋めるという「地層処分」を考えています。が、それで未来永劫、安全かどうかはだれも分かりません。

 

 どこの市町村が「核のゴミ」を埋める用地を提供するのでしょうかね

 「核のゴミ」は原発が抱える最大の課題。これからも「解決策の先送り」を続けるんでしょうね。

 

 

手元に残っている資料

◆「原発災害、その時テレビは・・・」(福島中央テレビ発行、2013年10月発行)

 

◆「河北新報のいちばん長い日~震災化の地元紙~」(著者・河北新報社、2011年10月発行、文藝春秋

 

◆「南三陸から」(著者・佐藤信一、2011年9月発行、発売・日本文芸社

 

◆「M9.0 東日本大震災 ふくしまの30日」(編集・発行 福島民報社、平成23年4月発行)

 

◆「報道写真全記録 東日本大震災」(著者・朝日新聞社朝日新聞出版、2011年4月発行)

 

◆「AERA臨時増刊 東日本大震災 レンズが震えた」(朝日新聞出版、2011年4月発行)

 

◆「特別報道写真集 巨大津波が襲った 3.11大震災」(河北新報社、2011年4月発行)

 

◆「サンデー毎日緊急増刊4月2日号 東日本大震災」(毎日新聞出版企画室編集、毎日新聞社発行)

 

◆「サンデー毎日緊急増刊4月23日号 東日本大震災②」(同上)

 

◆「緊急復刊アサヒグラフ 東北関東大震災全記録」(朝日新聞出版、2011年3月発行)

 

◆「復刊アサヒグラフ 全記録 東北が泣いた1年」(朝日新聞出版、2012年2月発行)