北穂高岳で味わう至福のひと時

標高3000㍍の北アルプスや富士山登山、新聞記者としての首相外遊同行、大切な奥様との旅行、反戦への思いを備忘録として載せています。

羽田空港で「ガイド」を始め、「雪山テント泊の断念」を決意した2025年

 羽田空港第3ターミナルビル・3階出発ロビーに、暮れに展示された映画「ゴジラ」の像。全長40m・高さ9m。外国人向けの東宝による宣伝?

 

 ちょっと大げさですが、2025年はわが身辺において、2つの画期的なことがありました。

 1つは、羽田空港の国際線のターミナルビルを舞台にしたガイドをボランティアで始めたこと。もう1つは、生きがいにしてきた「雪山登山でのテント泊」をやめる決意をしたこと。

 

 以下、ボランティアガイドについて少し触れ、残りは「雪山登山」でテント泊を楽しんだ古き良き時代を振り返ります。

 2025年も、あと3日――。

 

 

目次

 

 

 

羽田空港国際線でガイドを始めた

 展望デッキからの眺め。

 

 

 私が入ったボランティアガイドの団体は、東京都大田区の大田観光協会が活動を支援してくれている任意団体です。

 外国の飛行機が発着する「第3ターミナルビル」の1階から5階展望デッキまで、一般の見学者が通行できる範囲内での案内が仕事。

 飛行機や滑走路のこと、航空管制官の仕事、それにビルのいろんな設備について話をします。

 

 4月からガイドを始めたわけですが、空港の見学会は毎月1回、日曜日に開催。ツアーは午前と午後の2回で、定員は各回30人。無料ということもあって希望者が多いので抽選です。1人のガイドが数人ずつ担当して、90分間歩きます。

 

 ガイドは「日本語」でします。時々、すれ違った外国人から質問を受けます。でも、聞きとれないし、聞きとれても英語で説明するなんてことはできませんので、

【Pⅼease ask at the information desk.】なんて言って逃げることが多いです。情けないですけど。

 でも、ツアー見学に参加してくれた方が羽田空港に魅力を感じ、楽しんでくれればうれしいです。

 

雪山登山の強烈な思い出

 標高3000メートルの日本アルプスを目指して登山を始めたのは30年前でした。きっかけは、ザックにピッケルをしばりつけて冬山に向かう人を駅で見かけ、カッコいいと思ったからです。

 社会人山岳会で鍛え、凍てついた雪の上にテントを張って氷点下の世界で眠っても苦痛は感じませんでした。

 あれから30年。70歳を過ぎて、肉体的にも精神的にも、もう無理ですね。 

 以下は、印象に残っている登山のメモです。

 

その1:南アルプス・易老岳~光岳

 光岳(てかりだけ)の山頂で記念撮影。

 

 社会人山岳会の仲間4人でパーティーを組み、南アルプス南部の易老岳(いろうだけ・標高2354m)光岳(てかりだけ・標高2591m)を目指しました。

 2001年の暮れのことです。

 

▼2001年12月28日深夜、登山口の易老渡(いろうど)の手前で、乗ってきた車の左後輪ががけの上から落ちたと思われる小鹿のツノを踏んでパンク。凍てつく雪の中でのタイヤ交換だった。

▼12月29日朝、易老渡の駐車スペースでテントをたたんで登山を開始しようとすると、車が2台到着。びっくりしたのは、車のうしろにキツネが1匹ついてきたこと。聞けば、このキツネが鹿を食べていたという。

▼12月30日朝、易老岳(標高2354m)に到着。積もった雪が膝上まであり、横殴りの吹雪の中を光岳(標高2591m)に向かう。気温はマイナス9度。「三吉平」の標識を過ぎ、しばらく進んだが、風が強くて前進を断念して「三吉平」まで戻ってテントを張ることにした。しかし、20分ほど前に歩いた靴跡は新雪で消えていた雪山が怖いのは、トレース(足跡)が消えることだ、と痛感。

▼12月31日は快晴。前日の吹雪がウソのよう。光岳まで登った帰りにルートを誤らないように、「赤布」を木の枝に結びながら進んだ。正午前に光岳山頂に立った。

 

▼2002年1月1日の日の出前、「三吉平」でテントをたたんでヘッドランプをつけて下山へ。午前7時15分、遠くの雲がオレンジ色に染まった日の出だ。(上の写真)

 

 

その2:北アルプス・燕岳近くの燕山荘前のテント場

 2004年暮れの苦い思い出です。

 3人パーティで年末年始を燕岳(つばくろだけ)~大天井岳(おてんしょうだけ)~常念岳蝶ヶ岳上高地というルートで縦走しようと計画しました。しかし、燕岳まで進んで、敗退しました。

 

▼2004年12月30日未明、都内から「ムーンライト信州号」に乗車。JR穂高駅で下車。合戦尾根の「第2ベンチ」付近でテント泊。

▼12月31日早朝、ヘッドランプをつけて登山開始。仲間の1人の体調が悪く、大天井岳を越えて大天荘(だいてんそう)の冬期小屋まで行けそうにないため、燕山荘(えんざんそう)の前にテントを張ることにした。(下の写真)

 

▼2005年1月1日未明、テントの中で睡眠中、押される気配を何度を感じ、テントの外では女性の悲鳴が上がった。テントのチャックを少し開けてみると、雪の壁ができていた。テントは雪に圧迫されて狭く、コンロをつけるスペースもない。山小屋「燕山荘」に逃げ込むことを決めた。

 テントのスソは60センチほど雪に埋もれており、テントを掘りだしているうちにテントポールが2カ所で折損。さらにテントを引っ張り上げた瞬間、底の部分が破れてしまった。とにかく丸めて、山小屋に避難した。

 仲間の1人は、アイゼンをテントの張り綱の支点に使っていたため、アイゼンの回収に必死。見つけなければ歩くこともできず、遭難必至だ。

 3人とも無言で下山した。

 

 

その3:北アルプス北穂高岳

 2007年5月のゴールデンウィーク。吹雪で視界が悪い中、北穂高岳(標高3106m)に無謀な登山をしました。今生きているのは、たまたま運が良かっただけかもしれません。

 

▼4月30日、北アルプス穂高連峰の登山基地、涸沢(からさわ)のテント場に到着。(上の写真)

▼5月1日、吹雪のためテント場で沈殿。テント内で小説を読み、ときおり外に出て天を仰ぐ。

▼5月2日、降雪で相変わらず視界が悪く、北穂高岳に登るか、それとも下山するか迷ってると、2、3人がテント場を出て登って行った。引きずられるように、私も頂上を目指すことを決断。

 先行者を追いかけるが、視界がすこぶる悪い。

 進むべき方向が時々、分からなくなる。そんな時、山頂の山小屋「北穂高小屋」の軒先につるしてある「鐘」を鳴らしてくれた登山者がおり、山小屋の方向が分かった。

 

 山小屋には山岳カメラマンが数人、連泊しているようだった。ひと休みしてから、さあ下山しようかと思ったが、一面、真っ白で、どこから降りるのか下山ルートが見えない。一歩間違えて踏み出せば、足が雪面に着くこともなく、そのまま真っ逆さまだ。

 瞬時の判断で思いとどまって、山小屋に泊まることにした。

▼翌5月3日は、上の写真のように、快晴。大キレット槍ヶ岳がきれいだ。

 でも今回は危険な登山だった。