18世紀に建設されたというオランダの風車
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「オランダ」といえば連想するのは「風車」でしょうか。
1997年6月25日、橋本龍太郎首相に同行して、政府専用機でオランダに行きました。
米国・デンバーでの主要国首脳会議(サミット)を終えてからの、次の訪問地でした。
オランダの風車
アムステルダムの空港に着陸して、バスでハーグ市に向かう途中、立ち寄ったのがキンデルダイクという地区でした。
キンデルダイクの風車群
1000余りの風車がオランダにはあるそうですが、19基という最大規模の風車群があるのがキンデルダイクです。
広々とした湿原にたたずむ風車のながめは壮観。1997年にユネスコの世界文化遺産に登録されました。
風車のある広大な牧草地には、乳牛が放牧されていました。オランダでは暖かい偏西風が吹いているために牧草がよく育つらしいのです。それで酪農が盛んなんですね。
風車の仕事
「風車」には2つの役割があるそうです。
1つは、風の力を利用して風車を回転させ、湿地帯の水をくみ上げて「運河」に排水し、人工的に干拓地を造ることです。湿地帯の干拓です。
オランダは国土の四分の一が海抜ゼロメートル以下だそうです。だから「運河」の水面が土地より高いところがたくさん目につきました。
風車の役割の2つ目は、小麦を粉にする時の道具です。菜種油絞りの時にもプレス機として利用されました。ほかに、丸太を切る時にも使われたそうです。
運河には小舟も係留されていました。地元の人の足なんでしょうか。観光にも使えそうです。
政府専用機でオランダに到着し、タラップを降りるた橋本龍太郎首相夫妻
戦争の傷跡
首相はハーグ市内の首相府で、オランダのコック首相と会談しました。そのあとの記者会見で、次のようなやり取りがありました。
橋本首相が会談内容について
「(日本とオランダは)実は多少、不幸な関係をつくってしまったわけですが、それを超えて一層友情を深めていく努力をしていきたいと申し上げたところであります」
と紹介しますと、
オランダの地元記者がこんな質問をしました。
「橋本首相にご質問がございます。日本とオランダの歴史の中には不幸な事件があるとおっしゃいました。ここで何十人かの第二次大戦の犠牲者のデモがあったことでございます。しかし、日本がこれを許したと、そしてまた、公の場での謝罪を要求しているのでございますが、そのようなことをお考えなのでしょうか」(同時通訳のまま)
橋本首相はこう答えました。
「われわれは過去にあったことを否定することはできません。(中略)いまオランダにおける戦争犠牲者の代表の方々と、日本のオランダに駐在する大使が、ずっと話し合いを続けてきていますが、これからもこういう対話は続けていきたいと思います。同時に今日、いまデモのお話もありました。そして私も先ほどコック首相に申し上げたことですが、この後、記念碑(注:ハーグ市の旧オランダ領東インド戦没者慰霊碑)にお参りさせていただきたいと思っています。それを受け入れていただけるかどうか、これはオランダの皆様の気持ちですが、私としてはこの犠牲者の碑にきちんと頭を下げて、申し訳なかったという気持ちを表して、そのうえでこの国を離れたい、そう思っています」(外務省の会見記録から引用)
ハーグ市内で、戦争犠牲者による日本に対する抗議デモが行われたとは、この時点まで知りませんでした。
「慰安婦」にされたオランダ人
アジア・太平洋戦争(第二次世界大戦)の時、日本軍はオランダ領東インド(=オランダが当時植民地支配していた現在のインドネシア)を1942年に占領し、
オランダ人を抑留・捕虜にしました。
民間人9万人、軍人4万人が収容所に入れられました。
一部の日本軍関係者は、収容所に抑留していたオランダ人女性を「慰安所」に強制的に連行して、そこで日本の将兵に対する性的奉仕を強いました。
オランダ政府は1993年に、
「日本占領下オランダ領東インドにおけるオランダ人女性に対する強制売春に関するオランダ政府所蔵文書調査報告」
を出しました。それによりますと、
日本軍の慰安所で働いていたオランダ人女性は200人から300人にのぼり、
うち65人は売春を強制されたことは「絶対確実である」とのことです。
(出典:「デジタル記念館 慰安婦問題とアジア助成基金」HP)
日本軍が占領したアジア各地に設けた慰安所に、強制的に移送された慰安婦の出身地は、日本のほか朝鮮半島が大きな比重を占めていましたが、インドネシアでも現地の収容所から、オランダ人女性が慰安所に強制連行されて慰安婦にされていたのです。これは日本ではあまり教えられていない事実です。
橋本首相の気持ち
橋本首相はハーグでの会見のあと、旧オランダ領東インドで日本軍に殺害されたオランダ人を追悼するためにハーグ市が設置した「記念碑」に献花しました。
◇ ◇ ◇
橋本首相は翌1998年7月、オランダのコック首相あてに次の書簡を送りました。(要旨)
「我が国政府は、いわゆる従軍慰安婦問題に関して、道義的な責任を痛感しており、国民的な償いの気持ちを表すための事業を行っている『アジア女性基金』と協力しつつ、この問題に対し誠実に対応してきております。
私は、いわゆる従軍慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題と認識しており、数多くの苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての元慰安婦の方々に対し心からのおわびと反省の気持ちを抱いていることを貴首相にお伝えしたいと思います。
そのような気持ちを具体化するため、貴国の関係者と話し合った結果、貴国においては、貴国に設立された事業実施委員会が、いわゆる従軍慰安婦問題に関し、先の大戦において困難を経験された方々に医療・福祉分野の財・サービスを提供する事業に対し、『アジア女性基金』が支援を行っていくこことなりました。
日本国民の真摯(しんし)な気持ちの表れである『アジア女性基金』のこのような事業に対し、貴政府のご理解とご協力をいただければ幸甚です」
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1945年8月15日、天皇が玉音放送で日本の降伏を国民に知らせました。以後、日本では「8月15日」は「終戦」記念日とされています。
オランダのハーグ市では同じ「8月15日」、市が設置した「記念碑」の前で戦没者追悼式が営まれ、旧オランダ領東インドでの戦争被害者とその関係者、政府関係者が出席するそうです。
戦争で捕虜として抑留され、過酷な労働を強いられた苦痛、性的奉仕を強いられた屈辱は忘れることはできません。
戦争がもたらす不幸は、あまりにも残酷です。