北穂高岳で味わう至福のひと時

観光旅行ではふつう行かない外国の風景、戦争遺跡、不思議な人体など見たり学んだことも備忘録として載せています。

ニュース深掘り~コロナ禍の東電福島第一原発構内視察の印象記

 

 2011年の「3・11」東日本大震災東京電力福島第一原子力発電所メルトダウン炉心溶融)を起こし、周辺住民が避難させられた事故からもうじき10年。都内の団体の一員として原発構内に入る機会があり、水素爆発を起こした1号機を間近でみることができました。

 

 マスクも防護服も着けずに移動できる範囲は、構内の96%にまで広がっています。

 

 しかし、大量に浴びると人体に悪い影響を及ぶ「放射線」と「熱」を出し続けている使用済み燃料は、まだ傷ついた原子炉建屋の上部の燃料プールに大量に残っており、慎重に取り扱うため取り出しにあと11年もかかるとのこと

 

 原子炉格納容器の底に溶け落ちた燃料(=燃料デブリ)は、どんな形の物体に変化しているのか分かりません。放射線が強くて、人間は近づけないのです。

 

 あと30年で廃炉終了、という計画ですが、できるのかなあという印象です。

 

(構内の写真は、すべて東京電力撮影)

 

目次

 

  

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1号機原子炉建屋の上部

 

イチエフ(1F)への玄関口~廃炉資料館

 東電福島第一原発は、作業員の間でイチエフ(1F)と呼ばれます。

 その1Fに入ったのは、2020年9月9日(水)。視察を受け入れてくれることが決まったのは、昨年秋でした。

 

 

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廃炉資料館の外観

 

 1Fに視察に行くには、まず東京電力廃炉資料館に立ち寄らなければなりません。

 廃炉資料館は福島県富岡町のJR常磐線富岡駅の近くにあって、事故前はエネルギー館と呼んだそうです。

 

 ここで廃炉事業の説明などを受けた後、会議室にカメラ、携帯電話、財布など所持品を置いて、東電専用のバスで20分ほど先の大熊町の1Fに向かいます。廃炉資料館を出たら、視察後ここに戻るまでは撮影ができないわけです。その代わり、案内役の東電社員が1F構内で記念撮影をしてくれます。

 

 

 

イチエフ(1F)構内の様子

1F構内

 

 参加16人は、「新型コロナの3密対策」で2班に分かれ、構内専用マイクロバスで1時間、広い構内を案内してもらいます。

 入退域管理棟で本人確認を済ますと、個人線量計を渡され、胸ポケットに入れます。さらに手袋を受け取りますが、これは不織布マスクとと同様、コロナ対策です。

 

 

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高台からみた1号機の原子炉建屋

 

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半分にカットされた1号機と2号機共用の排気筒



 

 視察ルートは決まっていて、バスに乗ったまま見て回るのが基本ですが、1号機から4号機まで見渡せる高台で一瞬、降ろしてもらえます

 

 下車した視察者の100m先には、水素爆発で原子炉建屋の天井が吹っ飛び、鉄骨がむき出しの1号機が立ちはだかっていました。

 

 8分間でしたが、建屋と向き合うことができました。

 

 

 

1号機

 

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1号機原子炉建屋内の「使用済み燃料プール」の真上がこんな状態

 

 原子炉建屋には、原子炉のほかに上部に使用済み燃料プールがあって、使用済み燃料と新品の燃料棒が入っています。

 このプールから燃料を取り出すためには、覆いかぶさっているガレキを取り除く必要があり、慎重に作業中です。

 

 

 

撮影禁止

 1F構内はカメラの持ち込みが禁止です。

 構内に侵入して施設を破壊し、国中を混乱させようとするテロリストに情報を出さないためにはやむを得ないでしょうね。

 

 

 

放射線

 

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構内の放射線量は、マイクロバスの中では・・・表示はゼロに近い

 

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しかし、放射線量は、1号機までわずか100㍍という高台では高い数値

 

 

 1Fの構内マイクロバスに乗り込んだ直後、入退域管理棟前では、バスの中の線量モニターはゼロを表示していました。

  しかし、高台で1号機を真正面からみていると、1時間当たり112マイクロシーベルト(写真撮影時は81.8を表示)となり、少し下がってモルタルの壁に隠れると、1時間当たり45マイクロシーベルトと急に数値が下がりました。

 

 

 

 1号機のガレキにくっついている放射性物質を含むチリが、風が吹いて舞い上がると放射線量が上がると考えられます。

 

 高台には8分間滞在しただけで、他の場所に移動しました。

 1時間の視察を終えた時の放射線による被ばく線量の合計は

10マイクロシーベルト歯のレントゲン撮影1回分でした。

 

 

 

2号機

 

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2号機原子炉建屋の外観

 

 2号機は一見、何ごともなかったように見えます。

 2号機は隣の1号機の水素爆発の影響で、原子炉建屋上部の海側(東)のパネルが開いたため、充満していた水素が外に排出され、水素爆発を免れました。

 

 しかし、格納容器自体が傷ついたと考えられ、格納容器から直接、セシウム137(半減期30年)、ストロンチウム90(半減期29年)、ヨウ素131(半減期8日)などの放射性物質が空中に飛散して、広い範囲で住民に避難を余儀なくさせました。

 

 2号機では、原子炉格納容器の底の、燃料デブリとみられる堆積物の調査が進んでいて、燃料デブリの取り出しはこの2号機から、2021年に「試験的」に始める計画です。

 

 

 

3号機

 

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3号機原子炉建屋の外観

 

 

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下から仰いだ3号機原子炉建屋

 

 

 3号機も水素爆発を起こしました。原子炉建屋上部にドーム型の屋根を設置して、その中で2019年4月から使用済み燃料プールからの燃料取り出しを進めています。

 

 

 

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2号機と3号機の原子炉建屋の前

 

4号機

 

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4号機原子炉建屋の上部

 

 事故当時、4号機は定期点検のため原子炉の運転はしていませんでした。

 しかし、隣の3号機で発生した水素が配管を通して流れ込んできて、水素爆発を起こしました。 

 

 使用済み燃料プールに事故当時あった燃料棒は、その後すべて取り出して、別棟の共用プールに移したため、原子炉建屋での不安はなくなりました。

 

 

  

汚染水はどう処理する?

 

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構内のタンク保管エリア

 

 

 原発の1号機から3号機の原子炉(圧力容器・格納容器)には、燃料デブリと呼ばれる溶けて固まった燃料があり、核分裂生成物がを出しています。

 この燃料デブリの熱を取り除くために、水を注いで循環させていますが、水がデブリに触れて放射性物質を含んだ汚染水になります。

 もう1つ、地下水や雨水が原子炉建屋とタービン建屋に流れ込んで汚染水と混ざり合って、新たな汚染水が発生しています。

 

 

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ALPS(アルプス)を収容している建物

 

 

 これらの汚染水は、ALPS(アルプス)、正確には「多核種除去装置」という名の設備を通過させることによって、含まれている放射性物質を取り除いています。


ALPS(Advanced Liquid Processing System)

には、放射性物質の「吸着剤」が満たされていて、汚染水に含まれているヨウ素セシウムストロンチウムなど62種類の放射性物質の濃度を、海に放出する場合の国の基準値以下にすることができます

 

 

 しかし、トリチウムという放射性物質だけは取り除くのが難しく、

東京電力トリチウムを含んだ水を汚染水とは呼ばずに、処理水と名付けて区別し、タンクに保管しています。

 

 

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フランジ型タンク

 

トリチウムという放射性物質を含んだ「処理水」は、構内の一角にあるタンクで保管されています。

 上の写真のタンクは事故のすぐ後から使われてきたボルト締めによるフランジ型(組立型)タンクです。このタイプでは構造上の問題で処理水が漏れる心配が生じてきたため、信頼度の高い溶接型タンクに2019年3月末までに移送されたそうです。

 

 

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溶接型タンク

 溶接型タンクは高さ約10㍍で、漏えいリスクが低いとのことです。

 

 

  

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タンク下の堰(せき)

 万一の「漏れ」に備えて、タンクの外側には2重の堰(せき)が設けられています。

 

 

 

 敷地内のタンクの数は、1000基になりました。タンクの増設スペースが少なくなってきたこともあって、トリチウムなど放射性物質を含む水をどう処分するかが、当面の重大問題の1つになっています。

 

 1Fでは事故前は、他の原発と同様、汚染水は薄めて海に放出していました。しかし、事故後は風評被害を恐れている地元漁業者の反発を考慮して慎重に対処しているのです。

 

 経済産業省が設置した小委員会は2020年2月、「海水で薄めて海に放出する方法は、水蒸気放出に比べると、確実に実施できる」とする報告書をまとめました。

 

 政府は地元や漁業関係者から意見聴取中。漁業関係者は「海洋放出をすれば、福島の海で獲れた魚は汚染されているという風評被害につながって、日本の漁業は壊滅的な打撃を受ける」として反対しています。

 

 

 

原発の街はいま

  1F構内に入る前日の9月8日(火)国道6号線富岡町(とみおかまち)から、1Fのある大熊町(おおくままち)、双葉町(ふたばまち)を経て浪江町(なみえまち)まで大型バスで走りました。

 

 

国道6号線…人は歩けない

 

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放射線が強い帰還困難区域の入り口(富岡町

 

 富岡町の東電・廃炉資料館から5分ほ仙台方向に車で走ると、放射線量が多い帰還困難区域に入ります。

 

 これまで4輪車のみ通行が許可されていましたが、2020年3月から、2輪車の通行が可能になりました。

 しかし、いまも軽車両と歩行者は通行禁止です。

 

 

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家の入り口は10年経ってもバリケードで封鎖されたまま。

 

 

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ここもあそこもバリケード

 

 

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店もバリケード

 

 

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この先、右にも左にも入れません

 

 

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草木が生い茂る店(双葉町

 

 

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荒れた土地に目立つ太陽光パネル

 

 

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除去土壌運搬車と書かれた緑色のゼッケンを付けて走るダンプ

 

 国道6号線でたくさんすれ違ったのがダンプ。中間貯蔵施設に向かいます。

 

 中間貯蔵施設は、除染で出た放射性物質を含む土や枯れ葉、灰を貯蔵する施設で、

1Fを取り囲むように大熊町双葉町に整備されています。中間貯蔵開始後「30年以内」に国が責任をもって「福島県外で最終処分する」ことになっていますが、最終処分地は決まっていません。

 

 

 

放射線

 

 人間は生涯(積算)で100m㏜(ミリシーベルト)の放射線を浴びると、

放射線によるがん」が原因で死亡するリスクが0.5%増えると考えられています。

 

 つまり仮に100歳で死亡するとしても1年間の被ばく量が1m㏜なら我慢できます。

 

 そこで国は除染の長期的目標を「年間1m㏜以下」に下げるとしていて、一定の前提で1時間当たりに換算した数値

1時間あたり0.23μ㏜(マイクロシーベルト国や福島県の除染の目安になっています。

 

 

 ちなみに大熊町の国道6号線でみた空間線量計は、1.576μ㏜/h

双葉町の国道6号線では、0.719μ㏜/h

浪江町の町営施設「いこいの村なみえ」は、0.213μ㏜/hでした。

 

 東京・新宿が0.05μ㏜/h(2020年7月18日)でしたから、

低くないです。

 

 

 

 

 浪江町請戸(うけど)小学校・・・津波で周りの家が消えた

 

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ポツンと残る請戸小学校の校舎

 

  浪江町請戸(うけど)地区は、津波で家々が壊され多数の命が奪われました。草が生い茂る広大な荒れ地に、校舎がポツンと残っています。

 請戸小学校です。海岸から300㍍、1Fから6㌔北です。

 

 校舎1階の天井まで津波が押し寄せましたが、児童82人は教職員に引率されていち早く高台に向かって走り、全員が無事でした。

 町は校舎を「震災遺構」として保存することを決めています。

 

 

 

 

道の駅なみえ

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  原発事故で町民2万1000人が避難を余儀なくされ、全国に散り散りになった浪江町。その後、一部地区で居住できるようになりましたが、戻ってきたのは1400人です。

 2020年8月1日、役場近くに「道の駅なみえ」がオープンしました。9月8日夕方に立ち寄りましたが、駐車場はガラガラ。名物「焼きそば」を土産に買いました。

 

 

 

 

東京電力はこうして視察を受け入れてくれた

事前の厳格なチェック

1Fは視察の受け入れ対象を限定しています。観光目的は不可です。視察希望の場合、以下の要請があります。

 

①視察の目的は何ですか

②参加者全員の住所、名前、連絡先など必要事項を書いた書類を、視察日の3週間前までに提出してください

③本人確認のための身分証明書を当日、持参すること。身分証明書は運転免許証、パスポート、写真付きマイナンバーカード、写真付き住民基本台帳カード在留カードの5種類。当日、忘れた場合は入構できません。期限切れの身分証明書は不可

④カメラ、スマホなど撮影機材の構内持ち込み禁止

⑤服装は長袖・長ズボンを着用。放射性物質の肌への付着を避けるためです

 

こんな具合です。

 

 

 

コロナ対策

2週間前からの行動確認

 「コロナ」感染拡大で、1Fは視察者の受け入れを2月29日から6月30日まで中止し、7月から再開しました。

 しかし、視察希望者には視察日14日前までの行動を1人ひとり聞き取り、行動に問題がないことを確かめてから視察を受け入れています。

 

 

見えない作業員

 1Fでは毎日、4000人の作業員が仕事をしているといいます。しかし、作業員を見かけたのは入退館管理棟と構内で10数人のみでした。

 視察者からのコロナ感染を防ぐため、ニアミスを避けてるようです。

 

 

昼食は原発の「外」で

 コロナ禍が深刻になるまでは、私たち視察者が昼食をとる場所は、慣例通り1F構内の大型休憩所2階の作業員用食堂と理解していました。

 ところが“本番”では、1Fの外の「大熊食堂」。東電の単身赴任者や独身者が夕食と朝食に利用する東電の施設です。ここでゆったり昼食をとりました。

 

 

 

見て感じたこと

・国道6号線沿いに延々と続く家々のバリケード。ニュースではみることがありましたが、実際に自分の目で見ると、こんなにも悲しく、寂しいことはありません。10年近くたっても、かつて暮らした家に入れない。これからもここで寝泊まりできない・・。

 ひとたび原子力の事故が起こると、どんなに影響が大きいことか――。

 

 

共用プールでの使用済み燃料の集中管理について

 1Fの1号機から6号機の使用済み燃料プールにあるすべての燃料は、安全性が高い「共用プール」に2021年までに移す計画です。素人考えで「共用プールって大丈夫なの?」と聞くと、予想通り「頑丈です」という返事がきました。

 

 でも、一度ウラン235を原子炉で核分裂させると、使った燃料は「使用済み」とはいえ燃料はたっぷり残っており、強い放射線と熱を出し続けます。

 そのため使用済み燃料を「水」につけて保管し、発生する「崩壊熱」を水で取り除かなければならないのです。

 燃料が熱を出さなくなるまでには「18年から20年かかる」という。

 そんなに長い期間、熱を水に伝えて外部に逃がす必要があるのです。原発には・・。

 

 

 

「福島のために頑張りたい」

 1Fでの視察を終えて廃炉資料館に戻ってからの質疑応答で、参加者の1人がこう聞きました。

 

廃炉まで30年。社員の方は一生懸命やっていると思う。でも、前を向いていく仕事ではないですよね。前というか、未来を。避難先に出て行った人の気持ちを思うと、社員の方はどういう気持ちで働いていらっしゃるのかな、と思うのですが・・・」

 

 すると、担当者は「この(廃炉の)仕事は東電社員にしかできないと思っています。みんな、福島のために、という決意をもって取り組んでいます」と答えました。

 

 

 

入社動機は「福島のために」

 

 【はいろみち」というタイトルの情報誌を1Fが発行しています。その中に、若手社員の入社動機が載っています。読んでみました。

 

「父が東電社員で埼玉で配電の仕事をしていたが、震災後、復旧の応援で2年、1Fに勤務した。元気に働く父の姿から、廃炉に関する仕事に意義を感じた」(震災時、埼玉の高校2年生)

 

「全町避難となった大熊町に生まれ育った。1人でも多くの人が町に1日でも早く帰還できるよう廃炉作業の役に立ちたいという気持ちから」(震災時、高校2年生)

 

「自分の周りに原発事故で避難生活をしている友人、知人がいた。福島のために何か自分にできることはないかという思いを抱いた」(震災時、福島県いわき市内の中学2年生)

 

富岡町の自宅が津波で被害を受け、その夜は町の体育館で過ごした。大学卒業を控えた時、地元に戻って復興に貢献したいと思うようになった」(震災時、高校1年生)

 

「自分は新潟県柏崎市生まれで、幼いころ柏崎刈羽原発のサービスホールによく行き、原発に興味を持つようになった。震災で廃炉の技術者が必要になるだろうと考え、その道に進むことに迷いはなかった」(震災時、茨城高専1年生)

 

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 核分裂によって発生するエネルギーで発電する「原発」をどう考えるかは、視察参加者の間でも様々です。

 ただ、誌面で知った若い人たちの「福島のために」という気持ちは私には新鮮で、ずっと持ち続けて欲しいと思います。

 

 やっぱり現場を踏み、現場で考えることは大事です。視察の調整をしてくださった東電福島広報部に感謝しています。