八ヶ岳・硫黄岳の凍てついた北斜面を登る単独行の男性(2003年3月2日撮影)
目次
長野県と山梨県にまたがる八ヶ岳(やつがたけ)連峰には、20年前、よく登りました。
起点となるJR茅野駅構内のコンコースで深夜、シュラフ(寝袋)にもぐり込んで何度か寝ました。「ステーションビバーク」と言っていました。
ホームレスみたいですが、違うんです。当時は駅員さんも黙認してくれました。(今はどうなのか、知りません)
手元の古い山行記録を整理しました。
「ステーションビバーク」なんて、聞いたことがないかもしれません。
「ビバーク」というのは登山用語で、「想定外のことが登山中に起きて、やむを得なく野宿すること」を本来は言います。が、昔は、駅のコンコースや待合室で“計画通り”寝ることもステーションビバークと言っていました。
なんでそんなみじめなことをするんだ、と思う方もいるでしょうが、
宿泊費をケチって駅前から登山口に向かうバスの始発に乗るためです。
2003年の雪山登山の記録 (同僚のメモをもとに作成)
地形図(2万五千分の一)の中央上がテントを張った「夏沢峠」、
地図下が登った「硫黄岳」山頂。地図右側(東側)は硫黄岳爆裂火口の崖っぷち。
★日程:3月1日~2日
★メンバー:社会人山岳会の同僚と私の2人
★ルート:茅野~(バス)~渋の湯~東天狗岳~夏沢峠(テント)~硫黄岳~赤岳鉱泉 ~美濃戸口~(バス)~茅野
【2003年3月1日】
午前零時40分、JR八王子駅で夜行快速「ムーンライト信州」号
(新宿午後11時54分発白馬行き)に乗り込んだ。
(※前年の2002年12月1日のダイヤ改正で廃止された「急行アルプス」に代わって運行開始した夜行列車)
私のザックの重さは21㌔、同僚は18㌔。テント、食料、ピッケル、アイゼン、スコップなどと冬山装備は夏山と違って重い。「ムーンライト信州」は乗車率80%で、ほとんどがスキー客。
ステーションビバーク
午前3時42分、茅野駅で下車。下りた登山者は数人。すぐにコンコースに移動し、ザックから引っ張り出したシュラフを通路の端っこに敷いてもぐり込んだ。駅員さんが通りがかったが、お互い見て見ぬふり。
3時間ほど仮眠して、食事後、午前6時35分始発のバスに乗り、終点の「渋の湯」に7時30分到着。乗客はほかに、単独行の男性1人だけだった。
登山計画書を箱に投げ込んでから、つぼ足で歩き始める。通年営業の黒百合ヒュッテ(標高2400㍍)からが本格的な登山だ。
ヒュッテ前で目出帽(めでぼう)をかぶり、ゴーグルもすぐ取り出せるようにし、アイゼンをはいて歩き始めた。
東天狗岳(標高2640㍍)手前の岩場で、下山してくる6人パーティーとすれ違う。この6人は前夜、黒百合ヒュッテに泊まって、東天狗岳までピークハントしてきたグループだ。
風が強く、視界も効かないため、東天狗岳の頂上で証拠写真だけ撮って、根石岳方面に前進した。
強烈な吹きさらしの風。目の前が白っぽくてよく見えないが、進行方向左手は、地形図を見ると爆裂火口の崖っぷちのはず。アイゼンをひっかけて転倒しないように、そして雪庇(せっぴ)を踏み抜いて爆裂火口に転落しないように気を付けて進んだ。
根石岳を越えて樹林帯に入り、ホッと一息。あとは緩やかな下りだ、と気を抜いて木のそばを歩いたら、ズボッと深い雪にはまってしまった。
地形図を見ると、夏道は崖沿いに付いている。膝まで潜る崖沿いの雪の中を慎重に歩き、午後2時30分、
夏沢峠(標高2429㍍)手前の樹林帯で、整地してテントを張った。バスで一緒だった男性がすでにテントを張っていた。
気象通報を聴いて「天気図」を書く!
当時は冬山登山の基本動作に忠実だった。
午後4時近くなるとラジオのスイッチを入れた。NHKラジオ第2放送で午後4時からの気象通報を聴いて「天気図」を書くためだ。気象庁が観測した正午現在の主要都市とアジア大陸のいくつかの都市の天気が放送された。
例えば、「石垣島では、北東の風、風力3、天気雨、気圧、1010ヘクトパスカル、気温19度。那覇では・・・」という具合。これを天気図用紙に記号で書き込んでいく。低気圧の位置や等圧線の間隔を知って、遭難のリスクを小さくするためだった。今はどこのテント場でも、気象通報を聴くなんて光景は見たことがないが・・・・。
水をつくる
天気図を書いた後は、飲む水をつくった。
用意していったビニルのゴミ袋に、降ったばかりのきれいな雪を入れて、これをテント入り口に置いた。そしてガスストーブに載せたコッフェルに雪を随時入れて融かし、飲み水や晩飯用の水にした。
【3月2日】
朝、ゆっくり食事をしてテントを撤収して午前7時30分、硫黄岳に向けて出発。
積雪は膝上ぐらい。夏沢峠にある二軒の小屋、「山びこ荘」と「ヒュッテ夏沢」の間の道は、積雪3メートルほどの吹きだまりになっていた。
樹林帯が続き、ラッセルをしながらノソノソ進む。
標高2500㍍を過ぎたあたりから森林限界になり、岩稜地帯が広がった。
ここは硫黄岳の北側斜面。岩稜地帯でラッセルの必要はなくなったが、
風が強い。足元はアイスバーンのところもある。
単独行の男性が我々に追いついてきて、ラッセルのお礼を述べた後、先に進んだ。
(写真は、単独行の男性)
午前11時10分ごろ、硫黄岳(標高2760㍍の山頂に到着。証拠写真撮影後、温かいコーヒーとレーション(行動食)をとって下山へ。
手が冷えてきたため、2人ともオーバー手袋をつけることにしたが、同僚のオーバー手袋の片一方が、強風で飛んで行ってしまった。
冬山では、防水と保温のために「手袋」を3枚着ける。手の上に直接つける「インナー手袋」、その上に「ウールの手袋」、一番外に、防水目的の「オーバー手袋」だ。
通常、ウールとオーバー手袋の手首部分には、幅1センチほどのゴムを通しておいて、ゴムを手首に通しておくものだが、うっかりして手首に通しておかなかったらしい。
幸い、山行を続ける上で不都合はなく、無事下山した。
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