もう20年も前のことです.。
2002年の新年を南アルプスの山中で迎えようと、2001年暮れに光岳を目指しました。南アルプスの山々のいちばん南にある日本百名山の1つです。てかりだけと読みます。
凍てついた冬山を安全に登る技術を学ぼうと、社会人山岳会に入って間もない時期で、本格的な冬山はこれが初めてでした。
パーティーは男性3人、女性1人の計4人で、リーダー以外は冬山初心者でした。
深田久弥の「日本百名山」では、光岳は日本列島でハイマツが生える最南端の山、と紹介されています。
私たちの登山口は、長野県飯田市の易老渡(いろうど)。易老岳(いろうだけ)を経て光岳に登るルートでした。
目次
行程
▼2001年12月28日
夕方、都内を出発。中央道八王子インター~飯田インター~三遠南信自動車道~矢筈トンネル~国道152号線~北又渡発電所~易老渡駐車場(標高880㍍)泊
▼12月29日
易老渡(8:20)~面平(11:36)~標高1990㍍地点(15:00)泊
▼12月30日
標高1990㍍地点(7:30)~「標高2254㍍の小ピーク」(9:15)
~易老岳(標高2354㍍)(10:25)~三吉平(12:50)~少し前進してから退却~三吉平(標高2200㍍)泊
▼12月31日
三吉平~光岳小屋前(10:40)~光岳(標高2591㍍)山頂(11:22→12:00)~三吉平
▼2002年1月1日
三吉平(6:15)~易老岳(8:00)~易老渡駐車場(11:05)
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【2001年12月28日(金)】
深夜、私たち4人の乗った乗用車は、雪こそないものの、小さな落石がゴロゴロ転がる山道を、登山口の易老渡に向けて走っていた。もうじき到着という地点で、
道に横たわっているシカの姿がヘッドライトに浮かび上がった。「あれまあ・・・」。道の左側は壁。シカのツノでパンクするのは嫌だから、ハンドルを右に切ってすり抜けたつもりだったが、なんと左後輪がパンク。凍てつく寒さの中、男3人でタイヤを交換。100㍍ほど進んだ駐車場で、車の横にテントを張って寝た。他に車はなかった。
【12月29日(土)】
朝8時20分、出発しようとしたところ、「6人パーティー」(A)が車2台で到着した。その時、驚いたのは、キツネが1匹、車についてきているではないか。
東京から来たというそのパーティーの1人は、このキツネがシカを食べていたという。
天気は快晴のようだ。が、最初からの急登でメンバーの1人の足が重い。非常に遅いペースで進む。昼前に「6人パーティー」(A)に追いつかれ、昼すぎには
「若者3人パーティー」(B)にも抜かれた。
足元の雪質はパウダーで、蹴りこみも効かず、歩きにくい。
午後3時、1990㍍地点でテントを張ることにした。
予定では、易老岳(標高2354㍍)か、その直下の平らなところを考えていたが、無理だった。テントを張り終えてしばらくすると、
「男1人、女2人の3人パーティー」(C)が登ってきた。「コンチワ」と声をかけたが、先頭の女性は無愛想だった。
【12月30日(日)】
未明からすさまじい風。吹雪いていて、朝テントから顔を外に出すと、20~30㌢ほど新雪が積もっていた。樹林帯の木々がザーザーと音を立てて揺れていた。
朝7時30分に出発したがペースは遅く、3時間近くかかって易老岳に到着。光岳方面に進むと、膝上まで雪に沈む状態になり、「輪かんを持ってくるべきだった」と事前の調査不足を反省することに。
雪が横殴りに吹き付けるために、昼ごろ立ったまま休憩。ザックに付けている温度計を見ると、マイナス9度。
午後0時15分、前方の光岳方面から「若者3人パーティー」(B)が戻ってきた。どうしたのかと思って声をかけると、「ルートが分からない。僕らのメーン(の山)はここじゃない。体力を消耗したくないから」という返事。どうやら光岳ではなく聖岳(ひじりだけ・標高3013㍍)が本命らしい。
その30分後、今度は「6人パーティー」(A)が戻ってきた。「稜線は風が強いし、視界は50メートルしかない」といい、光岳をあきらめて易老岳の先の茶臼岳、上河内岳方面に転進した。
私たちは午後0時50分、「三吉平」の標識を通過。相変わらず横殴りの細かい雪がヤッケをたたいていた。少し光岳の方に進むが、午後1時16分、前進をあきらめ、三吉平まで戻ってテントを張ることにした。
雪山が怖いのは、≪道が消える≫ということだ、とつくづく思った。つい20分ほど前に通ったルートが、戻ろうとしたら、もう消えているのだ。雪はパサパサで股間までズボッと入ってしまう。次の足を出しにくい。テントの中では風の音が不気味だ。これが冬山だな、と思う。
【12月31日(月)】
快晴。前夜の吹雪がうそのよう。光岳に向けて上る途中、下山ルートを間違えないようにと、万全を期して木の枝に目印用にヒモを縛り付けながら進んだ。
しかし、歩くペースが遅いために、単独行の男性2人と
「中年の6人パーティー」(D)に抜かれた。「中年の6人パーティー」が赤テープを木の枝に結び付けながら進んでいってくれる。私たちはその後に続くが、一歩一歩が股間にまで沈んでしまい、ひどい疲れ。疲れた仲間はアイゼンをズボンのすそに引っ掛けて転んだりして、息遣いが粗い。
光岳小屋近くは風の通り道になっているのか、アイスバーン状態のところがあるかと思えば、ズボッと足をとられるところもあって歩きにくい。
小屋近くにザックを置いて、光岳のピークへ。
光岳の山頂です。標高2591㍍。
ザックを拾って、来た道を戻る。午後2時、前日と同様の三吉平にテントを張った。
【2002年1月1日(火)】
午前4時起床。いつものようにテントの中で、シュラフカバー、シュラフの順で袋に詰め、マットを半分に折ってその上に座る。そしてすぐ、ガスカートリッジと板とストーブを出す。すかさず仲間がライターで火をつける。雪を鍋に入れてお湯を作り、仲間のテルモスに次々と入れていく。アルファ米に湯を入れてふたをし、続いて汁も作る。
食事後、キジ撃ちをし、テントを撤収。午前6時に下山にかかった。気温はマイナス9度。月明かりがロマンチックな雰囲気を醸し出している。丸い月が雲の中で、ややぼやけて見えた。
ヘッドライトをつけて歩いていると、雪面がキラキラ輝く。木々の枝にも雪が凍りついていて、キラキラと輝く。
午前7時15分。遠くの雲がオレンジ色に染まり、周囲が一気に明るくなった。感動した。これが冬山だ、雪山だ、と。
午前8時、易老岳に到着、ここからは早いペースで山を下り、午前11時すぎに易老渡の駐車場に着いた。
車の中で、シカの遺体があればツノを切って持ち帰ろうか、なんて不純な話をしながら帰路を急いだが、シカはなかった。
あのシカは、ハンターに撃たれたのか斜面から滑り落ちてきたのか、それとも車にはねられたのか、分からないままだ。