もう20年も前のことです.。
2002年の新年を南アルプスの山中で迎えようと、2001年暮れに光岳(標高2592m)を目指しました。南アルプスの山々のいちばん南にある日本百名山の1つです。てかりだけと読みます。
その2年後の2004年の新年も南アルプスで迎えようと、茶臼岳(標高2604m)まで登りました。
その2回の記録を載せました。
目次
- ★2002年正月 南アルプス・光岳
- 【2001年12月28日(金)】
- 【12月29日(土)】
- 【12月30日(日)】
- 【12月31日(月)】
- 【2002年1月1日(火)】
- ★2004年正月 南アルプス・茶臼岳
- 【2003年12月30日(火)】
- 【12月31日(水)】
- 【2004年1月1日(木)】
- 【1月2日(金)】
★2002年正月 南アルプス・光岳
パーティーは男性3人、女性1人の計4人で、リーダー以外は冬山初心者でした。
深田久弥の「日本百名山」では、光岳は日本列島でハイマツが生える最南端の山、と紹介されています。
私たちの登山口は、長野県飯田市の易老渡(いろうど)。易老岳(いろうだけ)を経て光岳に登るルートでした。
行程
▼2001年12月28日
夕方、都内を出発。中央道八王子インター~飯田インター~三遠南信自動車道~矢筈トンネル~国道152号線~北又渡発電所~易老渡駐車場(標高880㍍)泊
▼12月29日
易老渡(8:20)~面平(11:36)~標高1990㍍地点(15:00)泊
▼12月30日
標高1990㍍地点(7:30)~「標高2254㍍の小ピーク」(9:15)
~易老岳(標高2354㍍)(10:25)~三吉平(12:50)~少し前進してから退却~三吉平(標高2200㍍)泊
▼12月31日
三吉平~光岳小屋前(10:40)~光岳(標高2591㍍)山頂(11:22→12:00)~三吉平
▼2002年1月1日
三吉平(6:15)~易老岳(8:00)~易老渡駐車場(11:05)
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【2001年12月28日(金)】
深夜、私たち4人の乗った乗用車は、雪こそないものの、小さな落石がゴロゴロ転がる山道を、登山口の易老渡に向けて走っていた。もうじき到着という地点で、
道に横たわっているシカの姿がヘッドライトに浮かび上がった。「あれまあ・・・」。道の左側は壁。シカのツノでパンクするのは嫌だから、ハンドルを右に切ってすり抜けたつもりだったが、なんと左後輪がパンク。凍てつく寒さの中、男3人でタイヤを交換。100㍍ほど進んだ駐車場で、車の横にテントを張って寝た。他に車はなかった。
【12月29日(土)】
朝8時20分、出発しようとしたところ、「6人パーティー」(A)が車2台で到着した。その時、驚いたのは、キツネが1匹、車についてきているではないか。
東京から来たというそのパーティーの1人は、このキツネがシカを食べていたという。
天気は快晴のようだ。が、最初からの急登でメンバーの1人の足が重い。非常に遅いペースで進む。昼前に「6人パーティー」(A)に追いつかれ、昼すぎには
「若者3人パーティー」(B)にも抜かれた。
足元の雪質はパウダーで、蹴りこみも効かず、歩きにくい。
午後3時、1990㍍地点でテントを張ることにした。
予定では、易老岳(標高2354㍍)か、その直下の平らなところを考えていたが、無理だった。テントを張り終えてしばらくすると、
「男1人、女2人の3人パーティー」(C)が登ってきた。「コンチワ」と声をかけたが、先頭の女性は無愛想だった。
【12月30日(日)】
未明からすさまじい風。吹雪いていて、朝テントから顔を外に出すと、20~30㌢ほど新雪が積もっていた。樹林帯の木々がザーザーと音を立てて揺れていた。
朝7時30分に出発したがペースは遅く、3時間近くかかって易老岳に到着。光岳方面に進むと、膝上まで雪に沈む状態になり、「輪かんを持ってくるべきだった」と事前の調査不足を反省することに。
雪が横殴りに吹き付けるために、昼ごろ立ったまま休憩。ザックに付けている温度計を見ると、マイナス9度。
午後0時15分、前方の光岳方面から「若者3人パーティー」(B)が戻ってきた。どうしたのかと思って声をかけると、「ルートが分からない。僕らのメーン(の山)はここじゃない。体力を消耗したくないから」という返事。どうやら光岳ではなく聖岳(ひじりだけ・標高3013㍍)が本命らしい。
その30分後、今度は「6人パーティー」(A)が戻ってきた。「稜線は風が強いし、視界は50メートルしかない」といい、光岳をあきらめて易老岳の先の茶臼岳、上河内岳方面に転進した。
私たちは午後0時50分、「三吉平」の標識を通過。相変わらず横殴りの細かい雪がヤッケをたたいていた。少し光岳の方に進むが、午後1時16分、前進をあきらめ、三吉平まで戻ってテントを張ることにした。
雪山が怖いのは、≪道が消える≫ということだ、とつくづく思った。つい20分ほど前に通ったルートが、戻ろうとしたら、もう消えているのだ。雪はパサパサで股間までズボッと入ってしまう。次の足を出しにくい。テントの中では風の音が不気味だ。これが冬山だな、と思う。
【12月31日(月)】
快晴。前夜の吹雪がうそのよう。光岳に向けて上る途中、下山ルートを間違えないようにと、万全を期して木の枝に目印用にヒモを縛り付けながら進んだ。
しかし、歩くペースが遅いために、単独行の男性2人と
「中年の6人パーティー」(D)に抜かれた。「中年の6人パーティー」が赤テープを木の枝に結び付けながら進んでいってくれる。私たちはその後に続くが、一歩一歩が股間にまで沈んでしまい、ひどい疲れ。疲れた仲間はアイゼンをズボンのすそに引っ掛けて転んだりして、息遣いが粗い。
光岳小屋近くは風の通り道になっているのか、アイスバーン状態のところがあるかと思えば、ズボッと足をとられるところもあって歩きにくい。
小屋近くにザックを置いて、光岳のピークへ。
光岳の山頂です。標高2591㍍。
ザックを拾って、来た道を戻る。午後2時、前日と同様の三吉平にテントを張った。
【2002年1月1日(火)】
午前4時起床。いつものようにテントの中で、シュラフカバー、シュラフの順で袋に詰め、マットを半分に折ってその上に座る。そしてすぐ、ガスカートリッジと板とストーブを出す。すかさず仲間がライターで火をつける。雪を鍋に入れてお湯を作り、仲間のテルモスに次々と入れていく。アルファ米に湯を入れてふたをし、続いて汁も作る。
食事後、キジ撃ちをし、テントを撤収。午前6時に下山にかかった。気温はマイナス9度。月明かりがロマンチックな雰囲気を醸し出している。丸い月が雲の中で、ややぼやけて見えた。
ヘッドライトをつけて歩いていると、雪面がキラキラ輝く。木々の枝にも雪が凍りついていて、キラキラと輝く。
午前7時15分。遠くの雲がオレンジ色に染まり、周囲が一気に明るくなった。感動した。これが冬山だ、雪山だ、と。
午前8時、易老岳に到着、ここからは早いペースで山を下り、午前11時すぎに易老渡の駐車場に着いた。
車の中で、シカの遺体があればツノを切って持ち帰ろうか、なんて不純な話をしながら帰路を急いだが、シカはなかった。
あのシカは、ハンターに撃たれたのか斜面から滑り落ちてきたのか、それとも車にはねられたのか、分からないままだ。
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★2004年正月 南アルプス・茶臼岳
この時のパーティーは男性ばかり3人でした。
計画したルートは、易老渡から登って、易老岳、茶臼岳、上河内岳、聖岳を制覇して易老渡に戻る、というものでしたが、茶臼岳までが精一杯でした。
【2003年12月30日(火)】
午前3時に易老渡(標高880m)の駐車場に到着。テントを張るのが面倒だったため車中で仮眠。
午前8時歩き始めた。
途中、メンバーの1人の脚がつって、ペースダウン。易老岳(標高2354m)まで7時間半もかかってしまった。テントを張る。
【12月31日(水)】
前夜から雪が降り始め、朝には膝近くまでの積雪に。午前6時50分に行動を開始した。
山頂の樹林帯を歩き始めたものの、ラッセルに手間どって「希望峰」まで4時間も費やしてしまった。夏場のコースタイムが2時間30分のルートだ。
樹林帯はじょの希望峰で終わり、先はハイマツ帯だ。樹林帯を抜けた途端、左手(北側)から強烈な風が吹き付けてきた。メンバーの技術、体調に不安があり、現在地でビバークを決断した。午前11時30分だった。
午後4時の気象通報を聴いて天気図を書くと、二つ玉低気圧が通過中。これから天候が荒れることが予想されるため、あす元日は茶臼岳をピークハントして往路を戻ることにした。
【2004年1月1日(木)】
茶臼岳山頂へ(1月1日午前7時12分撮影)
未明、テントの外に出ると満天の星。流れ星が1つ、西から東に走った。朝、お雑煮を食べて6時50分、快晴のもと、茶臼岳に向けて出発。
午前8時30分、茶臼岳(標高2604m)に立った。
この日は、易老岳山頂まで戻り、2日前と同じ位置にテントを張った。
【1月2日(金)】
午前7時、テント場発。3時間後に易老渡に着いた。
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