北穂高岳で味わう至福のひと時

標高3000㍍の北アルプスに登っていたころの写真記録、国内外の旅行、反戦平和への思いなどを備忘録として載せています。

「東南海地震」と「三河地震」:太平洋戦争末期の2つの「隠された地震」(上)

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 戦時中に情報統制されていたことが分かる内務省新聞検閲係の「勤務日誌」(国立公文書館で保管)

 

 

目次

≪下≫

 地元紙・中日新聞はきちんと報道したか?

  被害を報道していない

 ネックになった政府と軍による「検閲」

  政府が情報統制していた証拠

  中日新聞社の社史にみる見解

 隠された地震から学びとるもの

 

 

 

 

隠されたのは「東南海地震」と「三河地震

 ハワイの真珠湾奇襲攻撃で始まった太平洋戦争の末期に、いま心配されている南海トラフ地震と、その地震に誘発された内陸直下型の地震が相次いで起こり、愛知県を中心に3000人以上が倒れた家の下敷きになるなどして命を落としました。77年も前のことですが・・・。

 時の政府は情報統制をして新聞が詳しく書くことを禁じました。そのため国民はほとんど知らず、隠された地震と呼ばれています。

 

 私の母(現在91歳)とその家族が住んでいた愛知県・渥美半島の家の母屋は、その時の地震でつぶれました。

 

 先日、公開資料に当たって母の家の被災状況を調べましたが、被災写真はおろか、記録文書も満足のいくものは出てきません。当時の様子をうかがい知ることができないというのは、なんともむなしいものです。

 

 以下は、調べた内容です。

 

 

 

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 政府地震調査研究推進本部のHPから引用した地図。青色の円が東南海地震」と「三河地震」の震源

 

 

 2回の地震の舞台となったのは、愛知県三河(みかわ)地方三重県熊野灘沿岸でした。

 

 

◆1つめは、1944年12月7日午後1時36分に発生した東南海地震紀伊半島の南端から浜名湖近くまで、海底の岩盤が破壊されて起きました

 必ず将来起こる南海トラフ巨大地震の、想定される震源域の一部にあたります。

 この時の地震の規模は、マグニチュード7.9。揺れによる被害は愛知、三重、静岡の3県に集中し、家屋倒壊と津波による死者は1233人に上りました。

 

 

◆2つめは、約1ヶ月後の1945年1月13日午前3時38分三河地震東南海地震に影響された誘発地震とみられています。内陸の地下の断層がずれて発生した地震で、マグニチュード6.8。

 被害は現在の愛知県安城市から西尾市を経て蒲郡市に至るエリアが大きく、渥美半島の先端でも家がたくさん壊れました。家屋倒壊による死者は2306人でした。

 母の家がつぶれたのは、こちらの「三河地震」でした

 

 

 

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 南海トラフ巨大地震の想定震源域(ウィキペディアから引用)

 

 

 

母の故郷は渥美半島の先端

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 渥美半島は、上の図の下部。黄色三河地震震源星印は最初に岩盤の破壊が起きた震源。(産総研のHPから引用)

 

 

学徒勤労動員で豊川海軍工廠の寄宿舎暮らし

 母は、渥美半島福江町の集落で生まれ、育ちました。

 三河地震の発生前の1943年(昭和18年)に愛知県豊川市国府(こう)高等女学校(現在の県立国府高校)に入学して学校の寄宿舎暮らし。

 1944年4月に学徒勤労動員が始まると、豊川海軍工廠(こうしょう)に動員され、工場の「第三女子学徒寮」で寝泊まりするようになりました。

 豊川海軍工廠は、海軍の航空機や艦船が装備する機銃や銃弾を製造する兵器工場でした。

 1945年1月13日の三河地震当時、母は14歳。当日は工場の寄宿舎にいました。

 

 

家の母屋は倒壊

 母が後日、親(私の祖母)から聞いた話ですと、福江町の家の2階建ての母屋は、2間あった2階部分が1階に落ちて倒壊しました。1階に広い土間を設けるために柱を抜いていたことが影響したようです。家から橋を渡ったところにある養魚場わきの民家も壊れ、500メートル先の医王寺の本も壊れました。母の家から医王寺まで一直線に亀裂が入ったそうです。

 

 

医王寺の本堂も壊れる

 愛知県田原市が2015年(平成27年)に発表した「田原市南海トラフ地震被害調査報告書概要版」に、「記録に残る主な地震」として次のような記述がありました。

昭和20年(1945年)1月の三河地震では、医王寺の本堂が破損している

 

 

 

豊川海軍工廠が空襲で破壊され、多数の死者

 終戦間際の1945年(昭和20年)8月7日の昼前豊川海軍工廠は米軍のB29爆撃機120機による空襲に遭い、250キロ爆弾が1538発も落とされました。約2500人が亡くなり、うち18人は国府高等女学校の勤労学徒でした。

 母はたまたま、福江町に帰省していて無事。勤務を代わってくれた仲の良い同級生が亡くなりました。

 

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 豊川海軍工廠の敷地内に落とされた爆弾の位置を示す図。白い無数の点々が着弾地点。海軍工廠庶務課作成。(近藤恒次著「学徒動員と豊川海軍工廠」から引用)

 

 

 母は1948年(昭和23年)3月に女学校を卒業するまで、敗戦直後の混乱期を含めて豊川市で寄宿舎生活をしていたこともあって、三河地震後の「福江町」の家について記憶が薄いようです。

 

 

 

渥美半島の被災の様子は「数字」だけ

政府の中央防災会議がまとめた震災報告書

 

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 報告書の表紙。

 

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 報告書の口絵。地表に現れた断層。

 

 

 太平洋戦争中に発生した2つの地震による被害についてまとめた資料の1つが

『1944東南海・1945三河地震報告書』です。

 政府の「中央防災会議・災害教訓の伝承に関する専門調査会」が2007年にまとめたものです。

 

 報告書によりますと、時の政府は、地震被害を極力隠すために新聞社には被害について詳しく書くことを許さず、住民にも地震についてうわさすることを禁じたほどでした。

 当時、県や市町村、警察、学校などが記録した災害対応などの資料は、終戦直後に米軍による占領を念頭に置いて処分され、また近年の市町村合併の際にも多くが処分されたようです。

 

 それでも地震から30年後、当時愛知工業大学教授(名古屋大学名誉教授)の飯田汲事(くみじ)氏が中心になって、愛知県防災会議の仕事として、各地に散在していた資料を整理し、被害の全容を数字でまとめました

 ただ、市町村ごとの個別具体的な被害はこの資料からは分からず、原資料に当たるしかありません。

 

 

 

「町史」にも写真はなくて被害は見えない

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 私の母の家は、震災当時の住居表示は「福江町」ですが、戦後間もなく福江町、伊良湖岬村、泉村の3町が合併して「渥美町」になりました。

 その「渥美町」が1991年3月に発行した渥美町 歴史編 下巻」に戦時中の2つの地震について記述がありました。でも、中身はシンプルで、実質3ページ余り。被害写真はありません。

 

「・・・昭和19年(1944年)12月7日13時36分ころに、熊野灘震源とするマグニチュード8の大地震が東海地方を襲った。のちに東南海地震と名付けられた地震である。(中略)。この地震の復旧工事も始まらない20年1月13日3時38分ころに、追い討ちをかけるように渥美湾を震源とするマグニチュード7.1の三河地震が発生したのである。福江町では震度6の烈震、泉村伊良湖岬村では震度5の強震であった。(中略)。2度の地震で一番大きな被害を受けたのは、地盤の弱い福江町であった。(中略)。戦争中ゆえ、地震に対する正確な情報は流されなかった人々は本土決戦に備えて、婦人会、警防団、在郷軍人会を中心にして、震災下にもかかわらず、竹やり訓練などの各種軍事訓練に励んだのである。(以下略)。」

 

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 「福江町」の被害状況は、数字で表にはめ込まれていました。それをみますと・・・

 ◆東南海地震(1944年)

【愛知県防災会議資料】総戸数2163戸

死者1、負傷者1、住家全壊115、住家半壊336、非住家全壊144、非住家半壊299

 

 

 ◆三河地震(1945年)

【宮村攝三(せつみ)・元東大地震研究所教授による資料】(総戸数2048戸)

死者1、負傷者3、住家全壊47、住家半壊327

【愛知県警本部警備課の発表資料】

死者1、負傷者3、住家全壊14、住家半壊186、非住家全壊11、非住家半壊90

 

 

 「住家全壊」47のうちの1戸が母の家とみられますが、それ以上のことは分かりません。

 

 県警本部や県庁には、地元の駐在さんや町役場の職員が「数字」を報告しただけなのでしょうか。

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