北穂高岳で味わう至福のひと時

標高3000㍍の北アルプスに登っていたころの写真記録、国内外の旅行、反戦平和への思いなどを備忘録として載せています。

上高地の嘉門次小屋から「ピッケル」が消えた!(追記あり)

 「嘉門次小屋」の入り口

 

 

 「嘉門次小屋(かもんじごや)」――といわれても、何じゃそりゃ、知らん!という方が99%かと思います。「上高地」に関係する小屋なんですが・・・。

 

 長野県の上高地では毎年6月に、ウェストン祭というお祭りがあります。英国人宣教師ウェストンの功績をしのぶイベントです。

 そのウェストンが、いまの北アルプスを登山した時にガイド(=山案内人)を務めた上條嘉門次(かみじょうかもんじ)が住んでいた家なんです。

 上高地焼岳に登山した翌日の2023年5月26日(金)嘉門次小屋に立ち寄って、名物のイワナの塩焼きを食べました。

 その時の記録です。

 

 

目次

 

 

 

イワナの塩焼き定食」が売れているらしい

 嘉門次小屋

 

 嘉門次小屋は、人気スポットの河童橋(かっぱばし)から1時間ほど梓川沿いに上流に向かって歩いた明神池(みょうじんいけ)のほとりにあります。

 泊まることもできるそうですが、お昼時に散策途中立ち寄る観光客がほとんどのようです。

 

 チケットの自販機まである!

 

 

 私が着いたのは午後1時少し前でしたが、名物とされる「イワナの塩焼き定食」は注文してから20分待ちでした。

 宣伝が上手なこともあって、人気のメニューらしい。

 チケット

 

 

 イワナを焼いている囲炉裏

 

 このイワナ、小屋の前の川の中に設けた生け簀から、焼く寸前に取り出して、串に刺して囲炉裏の薪(たきぎ)の火でじっくり焼き上げています

 イワナの塩焼きは全部、ここでこんなふうにして焼いているとのことでした。

 

 これがウワサの「イワナの塩焼き定食」ですね。1700円

 ちょこっと見ただけでは、高いなあ~と思いましたけど。

 

 しかし・・・皮はバリバリ。アタマからしっぽまで、丸ごと食べることができます。確かにおいしかった。この素晴らしい自然環境の中で新鮮なイワナを食べられるんだから、まあ値段相応かな。

 

 

 

 

ピッケルがない!

 (上の写真は私のピッケル

 

 焼岳の登ったあと、ここまでわざわざ来た理由は2つ。1つは評判の「イワナの塩焼き定食」を食べることでしたが、もう1つは、うわさのピッケル」の実物を見ることでした。

 

 ピッケルというのは、雪が積もって凍っている山で使うツルハシのような形をした登山道具です。(上の写真)

 雪山の斜面に突き刺してツエにしたり、雪の斜面を登る時に雪を崩して足を置く場所をつくったり、滑落しかかった時に雪面にピックというとがった部分を即座に打ち込んで体を覆いかぶせ、滑り落ちるのを止めるときに使います。とても大事な道具です。

 

 

 あったはずのピッケル(嘉門次小屋スタッフブログから引用)

 

 嘉門次小屋の「囲炉裏のある部屋」の板壁には、嘉門次がウェストンから「友情のあかし」として贈られたピッケルがあったはずなんです。嘉門次が猟で愛用した銃と一緒に。

 ところが、見当たらないんです。

 上の写真の、左上の部分にあるはずでしたが・・・・・

 


 囲炉裏でイワナを焼いていた従業員に、「ウェストンから嘉門次がもらったというピッケルを見に来たんですが、どこにあるんですか?」と声を掛けますと、「いやぁ、博物館に預けることになっちゃって、しまってあるんですよ」と申し訳なさそうなしぐさに。

 

 なんでかなあ、と納得できないので、しつこくレジ係に方にも「博物館に持っていくんだって?」と聞きますと、事件が多くて、飾れなくなったんですよ。散弾銃とか・・・」

 

 確かに、前日にも同じ長野県の中野市で、猟銃立てこもり事件が起きました。

 嘉門次小屋に飾ってあるピッケルが凶器になってはまずい、というわけなんでしょう

 なんとも息苦しい世の中になってしまいましたね。

 

 

 

嘉門次とウェストンのこと

 いかだの上に板を敷いて、イワナとりをする嘉門次(「上高地ものがたり」浅野孝一著・新潮社から引用)

 

 

 上條嘉門次は、明治時代を上高地猟師兼山案内人として生きた人です.明神池のほとりに小屋を建て、夏は明神池や梓川イワナを釣り、冬はカモシカやクマを撃って暮らしていたそうです。

 

 イギリス人の宣教師、ウォルター・ウェストンが布教のために来日して、趣味の登山で「上高地」に足を踏み入れた1893年(明治26年)、嘉門次はウェストンを案内して前穂高岳に登りました。

 

 ウェストンは3年後の1896年、日本での山登りの思い出を『日本アルプスの登山と探検』という題でロンドンの出版社から刊行。この本の中で嘉門次について、「うってつけの山案内人として紹介してもらった」(岩波文庫訳)と書いて嘉門次をたたえました。

 本のタイトルに「日本アルプス」という表現が使われたことから、これ以降、日本アルプス」が海外で知られるようになったということです。

 

 上の写真は、ウェストンが1913年(大正2年)に嘉門次の案内で槍ヶ岳に登った時に、槍沢の坊主岩小屋前で撮ったもの。

 左から、嘉門次、根本清蔵(山案内人)、ウェストン。撮影は、一緒に登ったウェストン夫人とみられています。

 【「上高地ものがたり」(浅野孝一著・新潮社)からの引用】



(追記)4ヶ月後に「ピッケル」は大町山岳博物館に寄贈された

 嘉門次小屋の囲炉裏の壁にかけられていた嘉門次愛用の「」と、ウエストンから嘉門次に贈られた「ピッケル」はその後、長野県大町市大町山岳博物館で常設展示されることになりました。2023年9月30日からです。

 

 嘉門次小屋のホームページには「銃が規制の対象になることが判明したことからこのようなことになった次第です。」「この銃とピッケルは日本近代登山史上の資料として、また、ウエストン氏と嘉門次の友情のあかしとして、いっしょに展示して欲しいという私どもの意を大町山岳博物館がくんでくださり、今回の運びとなりました。」「万一の盗難や、将来の散逸を防ぐためにも、よい方法であったと思っております。」などと書かれています。

 ほかにも嘉門次が猟のために使った道具が展示されています。

 

www.shifukunohitotoki.net

 

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