新聞に一度載った記事を取り消し、「謝罪」した朝日新聞社社長。
(2014年9月12日付「朝日」朝刊1面トップ記事)
新刊本の帯(おび)に目が止まりました。「すべて実名で綴る内部告発 ノンフィクション」。なんだろう、と本のタイトルを読むと「朝日新聞政治部」――。
著者は、東京電力福島第一原発事故をめぐる「吉田調書」報道で失脚、退社した朝日新聞社の元政治部デスク。鮫島浩さんという方でした。
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この本の素材となっているのは、政府が非公開にしていた吉田昌郎(まさお)福島第一原発所長(2013年死去)が政府の事故調査検証委員会の聴取に答えた内容を記録した「吉田調書」です。
鮫島氏は「吉田調書」の入手からスクープ報道、その記事の真偽をめぐるネット上での「朝日」バッシング、安倍政権による「吉田調書」公表直後の朝日新聞社社長辞任までの社内状況を、暴露しているのです。
本の登場人物に、何度か見かけたことがある人物が複数いました。ストーリーも面白く、文章もうまいので、2日で読み切りました。
読んだ後の感想は、筆者と「朝日」経営陣の「傲慢さ」が記事取り消しという事態を生み、経営の屋台骨を揺さぶっているんだ、という思いです。
第一報のスクープ記事での行き過ぎた表現を早めに訂正しておくべきだったのに、放置したその傲慢さ。それが、結果的に猛烈な勢いでの新聞離れを起こしたと考えます。
おごりへの戒めの書ですね。手遅れでしょうが・・・。
目次
- 特ダネの「吉田調書」で勇み足報道
- ネットで記事批判が出始める
- 「驕り(おごり)」が訂正のタイミングを逸した
- 「朝日」たたきに動き出した安倍政権――「吉田調書」公開へ
- 「吉田調書」の内容
- 衝撃の木村社長会見
- マスコミ志望者には参考になる本かも
特ダネの「吉田調書」で勇み足報道
朝日新聞社の木村伊量(ただかず)社長が辞任するきっかけになったのは・・・。いくつかある要因の1つが、スクープした「吉田調書」の評価でした。
(注)事故当時の3月14日夕には「2号機」の様子が深刻になっていました。原子炉の格納容器の中の圧力が異常に上昇して、危険な状態に。吉田所長たちは格納容器が壊れるのを防ぐために、放射性物質を含む格納容器内の気体を外に放出する「ベント」という操作をして圧力を下げようとしましたができませんでした。
3月15日午前6時10分ごろ、2号機の格納容器内の圧力抑制室付近で大きな衝撃音があり、圧力抑制室内の圧力が急低下。このころ2号機の原子炉格納容器が一部破損したとみられ、大量の放射性物質が空中にばらまかれました。
この時に、「東電社員は所長命令に違反して持ち場から逃げ出したのかそうではないのか」という点が関心事の1つになりました。
「吉田調書」を入手したのは、経済部の記者。事故から3年近く経っていました。この「吉田調書」については当時の菅義偉官房長官が「吉田氏は外部への開示を望んでいない」と記者会見で述べていて開示されていませんでした。
取材班が鮫島氏を含む4人で結成され、スクープの第一報は、2014年5月20日付朝刊に載りました。
5月20日付朝刊の1面です。見出しは以下のようになりました。
「政府事故調の「吉田調書」入手/所長命令に違反 原発撤退/福島第一 所員の9割/震災4日後、福島第二へ」です。
この見出しと、1面前文で所員の9割の現場離脱を「命令違反」と断じて、「撤退」と表現したことが、のちに問題となりました。
批判の声は――吉田所長が待機命令を出したことや、所員の9割が第二原発に「退避」したことは事実としても、所長の命令が全所員に届いたという保証はなく、命令を聞いていない所員の退避を「命令違反」と報じるのは事実をねじ曲げている、というものです。
「2面」です。
2面には、「担当記者はこう見た」というカットをつけて、この特ダネを報じる意義の解説記事を載せました。
「再稼働論議 現実直視を」という見出しで、社員が現場を離れていなくなる事態が生じた時、だれが対処するか答えを出さないまま原発を再稼働させてはいけない」ということを言いたかった、と書いています。
ただ、入手した「吉田調書」全文は公開しませんでした。
ネットで記事批判が出始める
スクープから1ヶ月たって6月に入ると、「待機命令を知らずに退避したのを命令違反と言えるのか」という指摘がネットでちらほら出始めました。
鮫島氏は、第一報の説明不足や不十分な表現を補おうと考え、丁寧に説明する特集紙面をつくることを、編集局長や部長に提案しました。
編集局長は了承しましたが、その上の編集担当、広報担当、社長室長ら危機管理を担う役員の了承がとれないということでした。それは「社長が吉田調書報道を新聞協会賞に申請すると意気込んでいる。いまここで第一報を修正するような続報を出すと、協会賞申請に水を差す」というものでした。
「新聞協会賞」というのは、新聞業界で名誉ある賞です。全国の新聞社・通信社・放送局で組織している一般社団法人「日本新聞協会」が年一回、優れた報道の担い手に贈る賞で、業界各社が獲得を目指しています。
「驕り(おごり)」が訂正のタイミングを逸した
鮫島氏の反省。
「第一報(5月20日付朝刊)で、吉田所長の待機命令に焦点を当てたこと自体は合理的な判断であったと私は考えている」といいます。
そのうえで「福島第二原発への退避が結果的には吉田所長の待機命令に反する行為だったのは事実だと私は考え、所員1人1人が待機命令を認識していたか否かを個々に突き詰めて取材する必要性を感じなかった。」
「その事実を報じるにあたり、『命令に違反して原発から撤退した』と表現することに問題はないと考えた。」と書いています。
同時に、「私も記事中の表現が100点とは思っていない。『混乱のなかで待機命令に気づかないまま福島第二原発に向かった所員もいたとみられる』という一文を入れた方がよかったし、(中略)あえて『撤退』という表現にこだわる必要もなく『退避』に弱めてもよかった。少なくとも『待機命令に違反し』という表現を『待機命令に反するかたちで』と弱めるか、『吉田所長は待機命令を出していたのに、所員の9割はそれに結果的に反するかたちで福島第二原発に退避した』と丁寧に記述すればよかったと反省している」と一歩引いた弁もあります。
しかし、です。続けてこう書いています。
「だが、これらは『配慮が行き届いていなかった』『表現が不十分だった』という問題であり、誤った事実を伝えた『誤報』ではないと私は考えている。ましてや事実を意図的に捻じ曲げた『捏造(ねつぞう)』では断じてない。このレベルの『説明不足』や『不十分な表現』を『誤報』と認定するのなら、日々の朝日新聞に『誤報』はいくらでも見つかる。(以下略)」
この筆者、鮫島氏は「誤報」と認めないのです。「吉田調書」はいま公開されていて、だれでも読むことができるのですが・・・。
「朝日」たたきに動き出した安倍政権――「吉田調書」公開へ
8月になると、「官邸サイドが報道各社に『朝日』のどこが間違っているかを非公式にレクチャーし始めた」「官邸はマスコミ対策を終えた後に一転して吉田調書の公開に踏み切る」という情報が、筆者・鮫島氏の耳に入ったと言います。
そして8月18日、産経新聞が「吉田調書」を入手した、と報道。読売新聞、共同通信も続きました。
これを受けるかたちで、菅官房長官は9月11日に公表すると発表。内閣記者会(=首相官邸記者クラブ)所属の各社に『9月11日午後解禁』という縛り付きで、「吉田調書」のコピーを配布したのです。
「吉田調書」の内容
その核心部の内容は――
(内閣府ホームページ 政府事故調査委員会ヒアリング記録 吉田昌郎 2011年8月8~9日 事故時の対応④からの引用)
福島第一原発構内の【免震重要棟】。この2階に発電所対策本部が置かれ、吉田所長らが陣取った。(東電提供写真)
(質問者) 当時ですと、本部に詰められている東電の社員の方々、いますよね。その人たちはどう(対処したのですか)。
(吉田所長)本部といいますか、サイトですね。免震重要棟。総務の人員を呼んで、何人いるか確認しろと。(中略)使えるバスは何台あるか。たしか2台か3台あると思って、運転手は大丈夫か、燃料入っているか、(バスを)表に待機させろと。何かあったらすぐに発進して退避できるように準備を整えろという指示はしています。
(質問者) それは2号機とか4号機がああいう感じに、(2011年3月)15日の(午前)6時になりますね。それよりももっと前にそういうふうにして。
(吉田) ずっと前です。2号機はだめだと思ったんです、はっきり言って。
(質問者) それは3号機よりも2号機・・・
(吉田) 3号機は水、入れてましたでしょ。1号(機)も水、入れていましたでしょう。(2号機は)水、入らないですもの。水、入らないということは、ただ(核燃料棒が)溶けていくだけですから、燃料が。燃料が溶けて1200度になりますと、何も冷やさないと、圧力容器の壁を抜きますから、それから格納容器の壁もドロドロで抜きますから、チャイナシンドローム(=溶けた核燃料が高熱で圧力容器や格納容器の壁突き抜け、放射性物質が外に漏れ出すこと)になってしまうわけですよ。我々のイメージは、東日本壊滅ですよ。
「2号機」の原子炉建屋。(東電提供)
「2号機」(写真左側)。(東電撮影・提供)
(質問者) そのころに、(東電本店ではなくて、(福島第一原発)サイト内のある方のメモ書きなどによると、(3月15日午前)5時ぐらいに菅さん(=菅直人首相)が(東京・内幸町の東電本店に)来られて。
(吉田) 本店ですね。
(質問者) 本店の方に。本店の本部のところで、テレビ会議から写るところに来られた。
(吉田) 本店の状況はよくわからないんですけれども、(中略)5時ではなくて、ちょっと過ぎたころだと思うんですけれども、菅さんがそこに現れて(中略)、そこで菅さんが、何でこんなにたくさん集まっているんだと。かなり態度悪く、怒り狂ってわめきちらしていたという記憶はあります。
(質問者) そのときの書き取った人なりの印象に残った言葉が書かれているところがあるんですけれども、確認なんですですけれども、私がアッと思ったのが「撤退はない」とか「命を懸けてください」とかですね。
(吉田) それは(首相は)言っていました。
(質問者) そういうことを言っているんですね。その前に、いま、話を確認させていただいたら、細野さん(=細野豪志首相補佐官)なりに、そういう危険な状態で、撤退ということも。
(吉田) 撤退というのは、私が最初に言ったのは、全員撤退して身を引くということは言っていませんよ。私は残りますし、当然、操作する人間は残すけれども、最悪のことを考えてこれからいろんな政策を練ってくださいということを(細野首相補佐官に)申し上げたのと、関係ない人間は退避させますから、ということを言っただけです。
(質問者) おそらく、そこから伝言ゲームになると、伝言を最後に受ける菅さんからすると、ニュアンスの伝え方があると思うんですね。
(吉田) そのときに、私は伝言障害も何のあれもないですが、清水(正孝東電)社長が撤退させてくれと菅さんに言ったという話も聞いているんです。それは私が本店のだれかに伝えた話を、清水に言った話と、私が細野さんに言った話がどうリンクしているのかわかりませんけれども、そういうダブルのラインで話があって。
(質問者) もしかすると、(吉田)所長のニュアンスがそのまま、所長は結局、その後の2号機の時をみてもそうですけれども、円卓のメンバーと、運転操作に必要な人員とか、作業に必要な人員を最小限残して、そのほかは退避という考えでやられているわけですね。
(吉田) そうです。
(質問者)一回、(第二原発に)退避した人間たちが帰ってくるとき、聞いたあれだと、3月15日の10時か午前中に、GMクラス(=グループマネジャー:部課長級)の人たちは、基本的にほとんどの人たちが帰ってき始めていたと聞いていて、実際に2F(=第二原発)に退避した人が帰ってくる、その人にお話をうかがったんですけれども、どのクラスの人にまず帰ってこいとかいう。
(吉田) 本当は私、2F(=第二原発)に行けと言っていないんですよ。ここがまた伝言ゲームのあれのところで、行くとしたら2Fか、という話をやっていて、退避をして、車を用意してという話をしたら、伝言した人間は、運転手に、福島第二に行けという指示をしたんですよ。私は、福島第一の近辺で、(発電)所内にかかわらず、線量の低いようなところに一回、退避して、次の指示を待て、と言ったつもりなんですが、2Fに行ってしまいましたと言うんで、しょうがないなと。2Fに着いた後、連絡をして、まずGMクラスは帰ってきてくれという話をして、まずはGMから帰って来て、ということになったわけです。
(質問者) そうなんですか。そうすると、所長の頭の中では、1F(=第一原発)周辺の線量の低いところで、例えば、バスならマスの中で。
(吉田) いま、2号機があって、2号機が一番危ないわけですね。放射能と言うか、放射線量。免震重要棟はその近くですから、ここから離れて、南側でも北側でも、線量が落ち着いているところで一回退避してくれ、というつもりで言ったんですが、確かに考えてみれば、みんな全面マスクをしているわけです。それで何時間も退避していて、死んでしまうよねとなって、よく考えれば2F(=第二原発)に行った方がはるかに正しいと思ったわけです。いずれにしても、2Fに行って、面を外してあれしたんだと思うんです。マスク外して。
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吉田昌郎所長は、2F(福島第二原発)に行った発電所員の行動を評価しているんですね。その前にも「行くとしたら2Fか」とも発言していますので、『朝日』の1面見出しのように、『所長命令に違反 原発撤退』とは読めませんね。
衝撃の木村社長会見
2014年9月12日付朝刊1面の記事。
安倍政権が「吉田調書」を公開した2014年9月11日当日の夜、木村社長は朝日新聞本社で突然の記者会見を行いました。席上、5月に華々しく放った「吉田調書」のスクープ記事を「誤報」と断定して、記事全体を取り消したのです。
「関係者を厳正に処罰する」と宣告し、自らも退任する意向を示唆しました。(その後退任)
9月12日付朝刊、2~3面。「吉田調書をめぐる本社報道 経過報告」。
4~5面。「政治家の調書概要」「専門家の調書概要」。
14~15面。「吉田調書」(抜粋。
12月5日付夕刊1面の記事。
木村社長はこの日の臨時取締役会で社長を辞任しました。
「吉田調書」のスクープ記事を書いた記者2人は、9月に記事が取り消された後、ほどなく退社。デスクを務めた鮫島氏も2021年に退社しました。
マスコミ志望者には参考になる本かも
この本は、自分たちはエリート集団なんだという鼻持ちならない悪臭がが全編に漂っていますね。不快に思う方も多いと思います。
筆者は言います。
「政治記者として多くの政治家に食い込んできた。権力者の内実を熟知することが権力監視に不可欠だと信じ、朝日新聞政治部がその先頭に立つことを目指してきた」
すごいですねえ。ゴーマンですねえ。
ただ、この本は、企業の危機管理部門の方には、「失敗例」として読む価値はあるでしょうね。
そして、マスコミ、いまやマスゴミといわれていますが、新聞社やテレビ局で記者をやろうと思っている方には、実情を垣間見ることができますので特におすすめです。「総理番」「官房長官番」のこと、社会部とは一味違う政治取材の裏側の一面も描かれていますから。
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