旧・首相官邸。
ひと昔前は「情報発信」を独占し、マスコミ界でふんぞり返っていた業界。それは新聞社と、そこで働く記者でした。
それが今やインターネットやスマホの普及で、だれもが「情報」を発信できます。そればかりか、新聞への不信が高まって、紙の新聞を読む人は減り続けていますね。新聞に公告を出す企業も減って、新聞社の収入源に歯止めがかかりません。テレビ業界も、若い層のテレビ離れが進んでいるらしくたいへんです。
私、新聞社に嘱託を含めて44年4ヵ月もすがりつき、うち8年間は出資先の地方テレビ局に出向しました。新聞記者生活の中でも東京本社政治部の12年と東京社会部の5年間は特におもしろく、やりがいがありました。
でも、これから10年後、ネット対応に立ち遅れた新聞社がどうなっているか気にはなります。
備忘録として、「新聞社の近況」と「地方テレビ局のホントの話」を、主観的に書いてみました。
目次
- ★新聞社★
- 首相官邸会見の主催者は内閣記者会である
- 安倍晋三政権から官邸の役人が会見を取り仕切る
- お行儀のよい記者さん
- 出身大学別にみる新人の採用傾向
- ★地方テレビ局★
- 初めて足を踏み入れた時のこと
- 「おつかれさまで~す」
- 「報道に飛ばされました!?」
- 東京キー局優位の業界風土
- おいしいビジネスモデル
- 自社で番組を作れば赤字!
★新聞社★
首相官邸会見の主催者は内閣記者会である
旧社屋の編集局。
ネットの普及もあってか、取材現場の風景がガラリと変わっています。
大きな変化の1つは、内閣のスポークスマンである官房長官が行う記者会見です。
官房長官会見は月曜から金曜まで、午前11時と午後4時の2回、行われます。首相官邸の敷地内にある内閣記者会(通称:官邸記者クラブ)が主催する会見です。
私の首相官邸詰めは4回ありますが、最初が1986年。当時は中曽根康弘政権で、後藤田正晴官房長官の会見は、内閣記者会の幹事社が最前列で司会をしていました。
その後の歴代政権でも、会見の司会は内閣記者会の幹事社でした。ただ、数十人が詰める定例の会見ではほとんど質問は出ず、緊張感はありません。なぜか。
実は、政治部記者の最大の関心事は、やがて訪れる自民党内の派閥の権力抗争、これを政変とか政局と言っていましたが、それに向けた政治家のホンネを探ることなんですね。「夜回り」という夜の個別取材もそれでした。
だから、表面的なことしか言わない「記者会見」よりも、会見後の「番記者」だけのオフレコ懇談の方が重要なんです。
官房長官の場合は、番記者が政治部ばかり10数人いて、官房長官の部屋で「番懇(ばんこん)」というオフレコ懇談をするのです。
「オフレコ」ですので懇談中はメモを取りません。頭に発言をたたき込みます。終わってから「懇談メモ」を作って、各記者クラブにファクスし、政治部内で情報を共有しました。
政治部はチーム取材です。各クラブ(官邸、自民党、野党)のキャップかサブキャップが懇談メモを基に政局に関する原稿を書きます。政治家の実名を原稿には書かず、「政府首脳」「官邸筋」「自民党筋」などといった具合ですね。
安倍晋三政権から官邸の役人が会見を取り仕切る
旧・首相官邸の正面玄関。
ところがいつの間にか、首相官邸での記者会見の司会が、記者の側から官邸に役人に移っていました。
調べてみると、その時期は安倍晋三氏が政権に復帰した2012年暮れ以降のことのようです。
首相の記者会見は、年頭や国会閉会後など節目に行われますが、会見の司会は「内閣広報官」という役人が仕切るようになっていました。
官房長官の朝夕2回の定例会見も、「官邸報道室長」時には「内閣広報官」という事務方が司会をするようになっていました。
ただ、いずれも主催者は内閣記者会なんですね。
背景には、首相官邸でのこうした記者会見に、常駐の政治部記者だけでなく、組織に属さないフリーの記者や雑誌、インターネット関係の記者が小泉純一郎政権以降、徐々に出席するようになったことがあるようですね。
そうなることによって、「記者会見は、権力者とメディアの真剣勝負の場」という位置づけになって、会見で質問がボンボンでるようになったと考えられます。
ただ、お役人が司会をすることには、問題がありますよね。
だれに質問をさせるか、その「指名権」は司会者の官邸側にあります。質問内容も事前に官邸側に知らせるよう要請されていると聞きます。これでは政権側に都合の悪い質問をしそうな記者は指名しませんよね。
いまの内閣記者会の各社は、どう考えているんでしょうかねえ。
お行儀のよい記者さん
それにしても、今どきの記者さんは礼儀正しいですね。
先日、首相会見の中継をNHKでたまたまみて、あきれました。
司会の役人に指名されてマイクの前に立った人物が「総理、お疲れさまです・・・」と発言していました。
お行儀のよさ、育ちの良さに感心したのですが、今どきはああいう発言が普通なんでしょうかねえ。
出身大学別にみる新人の採用傾向
警視庁。
1970年代に私は新聞社に入りましたが、その年は大卒定期採用は21人でした。内訳は以下の通り。(数字は人数)
≪1970年代のその年≫(21人)
【編集(取材記者・整理記者)】
名古屋大④、早稲田大③、東大①、一橋大①、慶応大①、愛知教育大①、大阪市大①
【営業(販売・広告・事業・経営管理)】
南山大②、早稲田大①、慶応大①、獨協大①
【技術】
大阪大①、愛知県立芸大①、中部工大①
【写真】
日大①
≪その翌年≫(11人)
【編集】
名古屋大③、東大①、大阪外語大①、名古屋工大①、慶応大①、南山大①
【営業】
早稲田大①、南山大①、創価大①
≪そのあとの年≫(14人)
【編集】
京大③、早稲田大②、大阪大①、名古屋大①、東京外語大①、慶応大①
【営業】
名古屋大①、早稲田大①、慶応大①、日大①
【技術】
名古屋工大①
でした。
あれから40年以上たった最近は・・・
古巣の知り合いが最近の採用状況を教えてくれました。(編集、営業など区分は不明)
≪2022年4月入社≫(36人)
名古屋大③、南山大③、法政大③、慶応大②、立命館大②、中京大②、明治大②、関西大②、京大①、一橋大①、東京外語大①、茨城大①、静岡大①、奈良女子大①、名古屋工大①、岐阜大①、名古屋市立大①、早稲田大①、青山学院大①、中央大①、上智大①、関西学院大①、近畿大①、名城大①、創価大①
≪2021年4月入社≫(37人)
名古屋大⑤、立命館大③、同志社大③、金沢大②、早稲田大②、慶応大②、法政大②、専修大②、九州大①、東京芸大①、静岡大①、岐阜大①、香川大①、電気通信大①、滋賀県立大①、愛知県立大①、愛知県立芸大①、愛知教育大①、横浜市立大①、上智大①、青山学院大①、中央大①、関西大①、東京理科大①
≪2020年4月入社≫(45人)
早稲田大⑤、名古屋大④、金沢大③、慶応大③、同志社大③、大阪大②、筑波大②、三重大②、法政大②、北海道大①、一橋大①、富山大①、神戸大①、豊橋技術科学大①、愛知県立大①、名古屋市立大①、立教大①、駒沢大①、青山学院大①、名城大①、関西学院大①、日大①、中央大①、愛知大①、明治大①、南山大①、京都女子大①、多摩美術大①
採用人数が倍に増えてますね。定年退職者の補充でしょうか。地方国立大が増え、「あれっ」と思うような私大も入ってきましたね。社の経営陣は、「個性」を重視するのか、それとも偏差値の高い大学生の方が新聞業界に興味を失ったのでしょうかね。
★地方テレビ局★
初めて足を踏み入れた時のこと
さて、地方テレビ局は、特定の道府県だけを放送エリアとしている放送局で、全国に129局あります。(独立U局を除いて)
1つの道府県に3局から5局あって、それぞれ東京のキー局に系列化されています。
東京キー局は、日テレ、TBS、フジ、テレ朝、テレ東の5局です。
地方テレビ局は基本的に東京キー局が制作した番組をオンエアーしていますが、地域ニュースと天気予報、情報番組を独自に制作しています。
地方テレビ局に、私、2007年6月に出向して2015年6月まで8年間役員として勤務。報道局担当役員でありながら報道局長も3年間兼務しました。
「テレビ局」というと、チャラチャラした華やかな印象がありますが、地方局は違いますね。
初めて足を踏み入れた出向先のテレビ局舎に入った時、昼間でしたが、くら~い印象を受けました。
局舎が照明を落としていたかもしれませんが、別の事情がありました。
平日の昼間の仕事は「ニュースサブ」という部屋でニュースを生放送するだけで、月曜から金曜までのいわゆる「ベルト番組」を自社制作していなかったからなんです。スタジオで番組を作らないから、ヒトもおらず静か、というわけ。(その後、ベルト番組を始めました。)
「おつかれさまで~す」
それでも局内をウロウロ歩いていると、すれ違うたびに「お疲れさまで~す」とあいさつがありました。お行儀のよさに驚きです。
そのあとも、午後に出社したアナウンサーにすれ違うと、午後なのに「おはようございま~す」。面白い世界でした。
古巣の新聞社が、ぶっきらぼうの人間ばかりでしたので、好印象でした。
「報道に飛ばされました!?」
地方テレビ局の社長は、ほとんどが系列の東京キー局からの天下りです。
私のいた局の社長さんは、キー局の営業畑の人で、口癖は「営業はよく頑張っている」。社員は150人前後。うちニュースを担当する報道局は契約記者を入れて25人程度でした。
「報道」と「営業」の入れ替え人事はひんぱんでした。地方テレビ局は社員数が少ないところは約70人、多くても300人ですから、やりくりが難しいんでしょうね。
これはネットワーク系列局20数社の報道局長が集まった会議でのことですが――。
「営業畑を若い時から歩いてきましたが、報道部門は初めてです」とあいさつした方が2人いました。
別の機会には、「報道に飛ばされました」と報道局長会議後の懇親会で口にした方もいました。まあ、報道をそんな風に位置付けている地方局があるということですね。
東京キー局優位の業界風土
地方テレビ局は、東京キー局を「「頂点」とするネットワークに組み込まれていて、キー局にはたてつけない、という風土があります。
なにせ、番組と❝ミルク代❞をセットでもらっているのですから。東京キー局は「上流」で、地方テレビ局は「下流」です。地方テレビ局にとって鉄塔(中継局)はお金を産み出す資産なんです。
おいしいビジネスモデル
おしまいに、テレビ業界のビジネスモデルに触れておきますね。
「売上高」は局によって「40億円」から「200億円強」(キー局と準キー局は別)とバラツキはあります。社員数も70人から300人前後まで。
私がいた局は、売上高(=放送収入)は80億円程度。社員は150人前後。
放送する「番組」の90%近くは東京キー局が制作したものをもらい、県内に張り巡らせた電波の中継局(鉄塔)を経由して、各家庭に番組を載せた電波を届けていました。この時、キー局からもらう手数料を電波料と言い、10数億円にもなりました。系列各局への配分額はバラバラで、キー局は非公表でした。
端的にいけば、東京キー局は、「番組」の中で流すCMののスポンサーからもらった広告料金の一部を使って「番組」を制作し、残ったお金を自分たちキー局と、番組をCMと一緒に放送してくれる系列局で分ける、という仕組みです。
くどいですが、地方テレビ局は、キー局が作った番組を県民に流すことによって、キー局から番組とともに「電波料」という❝ミルク代❞をもらえるんです。
このほか、「番組」と「番組」の間のすき間に時間ができますが、そのすき間に県内の企業から集めた「ローカルスポットCM」、これは15秒単位のCM時間枠ですが、この枠を売ることによって、年間60数億円が県内の広告主から入ってきました。これがドル箱ですね。
自社で番組を作れば赤字!
自社で作る「番組」の比率は、10%程度でした。どこの局も同じです。
残り90%はキー局からもらう、ということです。
なぜ低いかというと、県内でバラエティー番組を作っても、番組自体に広告主が付かないからです。
「自社制作番組を作れば作るほど、赤字が増える。だから、おれたちは番組を作らない方がいいんだよ」。こんな衝撃的な発言を役員から聞いたことがあります。
まあ、経営サイドからすればそういう判断が働くのでしょう。が、県民向けの自社制作番組は作っていかないと存在価値がないと思うんですが・・・・・。
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