北穂高岳で味わう至福のひと時

標高3000㍍の北アルプスに登っていたころの写真記録、国内外の旅行、反戦平和への思いなどを備忘録として載せています。

ガザ病院勤務の日赤看護師が帰国後の会見で涙の訴え

 記者会見する川瀨佐知子看護師(11月17日午後0時30分撮影)

 

 

 パレスチナ自治区ガザの病院で、通常の医療支援活動をしていた日本赤十字社(日赤)派遣の看護師2023年11月17日、東京都千代田区日本記者クラブで会見し、イスラエル軍によるガザ地区の病院攻撃などの様子や現地スタッフへの思いを語りました。

 

 記者会見したのは、大阪赤十字病院・看護部集中治療室・看護係長の川瀨佐知子看護師(45)です。

 

 川瀨看護師は、パレスチナ赤新月社ガザ地区で運営するアルクッズ病院に2023年7月から12月までの予定で派遣され、現地の看護師への技術指導の当たっていました。

 しかし、10月7日に発生した、ガザを実効支配するイスラム武装組織「ハマスイスラエル軍衝突に遭遇。11月5日に帰国しました。

 

 川瀨看護師は「現地の人のナマの声を聴いて欲しい」と、声を詰まらせながら訴えました。

 

目次

 

 

 

 

 以下は、川瀨看護師が話した内容と、記者との質疑応答の一部です。

 

 

2023年10月7日に武力衝突発生

 2023年10月7日に突如として始まりました。爆発音がどんどん激しくなり、すぐ近くに攻撃を受けたかと思いました。

 私はもともと有事に備えて事前に荷物をまとめており、まずはその日のうちにICRC(赤十字国際委員会)の別のシェルター(=宿舎)に避難しました。

 日赤スタッフは、ICRCの規則に従って行動することになっています。

 

 アルクッズ病院の看護部長に連絡をとると、「危険なので病院には来ない方がいい。自分たちはこんな状況になれているから大丈夫だ」と言われました。

 病院には負傷者が絶え間なく運び込まれていて、看護部長はずっと滞在して家族とは電話で安全を確認していました。

 

 10月12日までシェルターに退避して、10月13日に、エジプトとの国境付近の南部ラファに移動しました。

 

 

救急医が見た運び込まれた患者は死んだ我が子

 南部のラファに移動した後も、私は現場(=ガザ)のスタッフと毎日連絡を取り合いました。その時、聞いた話です。

 

 同僚の医師が救急外来で患者対応に当たっている時に、近くで爆撃に遭って運ばれてきた2人の負傷者を見た時に、自分の子どもであることに気付きました。1人はすでに亡くなられていて、もう一人は重体で集中治療室で治療を受けていると聞きました。

 その状況を聞いて、自分が想像しただけでも、こんなつらいことってあるのかな、と。それでも働き続けなければならない状況。

 その後もどんどん患者さんが来るので、同じ医療者として、一人の人間として、厳しい状況が続いている。

 

 

南部ラファへの退避

 10月13日に退避したラファでは、国連の倉庫の一角を間借りして仕事をしていました。そののち、別のオフィスに移動して活動をしていました。

 

 主な仕事は、そこに集まって来た避難民の健康管理、応急処置、薬の手配など同僚と一緒にしました。

 でも、ラファも安全が確保できなくなり、エジプトへ移動しました。

 

 

現地を去ることの葛藤(かっとう)

 11月1日に、ガザ地区南部のラファからエジプトに越境しました。

 

 写真は、夕方午後5時ごろの夕日です。

 いつか出る日が来るとは思っていたんですけど。帰国したいという思いもありましたけれども、現地スタッフを残して、ガザを出てもいいのかな、という思いはありました

 

 エジプトに越境する時に、現地のスタッフに、あした越境すると伝えた時に、私はガザから出ることに申し訳ないという気持ちでいっぱいになって電話で伝えたんですけど、当人は「安全なところに行けるんだったら、それは自分にとってすごくうれしい」と言ってくれました

 その彼が言ったことばが、心に突き刺さっています

 

 

「私たちは本当にミゼラブルだ」

 この場で皆さんにお伝えしたくて、書かせていただきました。(涙声)

 

 「私たちは本当にミゼラブルだ」っていうことを、彼は涙声で訴えました。

 

 

 返す言葉がありませんでした。

 「自分たちは無視された存在だ」と言っていました。

 

 

傍観者であってはならない

 現地のほうはたいへんな状況です。

 皆さんに、この言葉は絶対に伝えなければいけないと思って、きょうはこの場にこさせていただきました。

 

 私が記者会見しているこの瞬間も、死者は増え続けています。

 私たち一人ひとりが、この歴史的な悲劇の傍観者であってはいけないと思っています。

 

 

 

≪質疑応答≫(一部のみ)

問い

イスラエル軍ガザ地区最大の病院「シファ病院」の敷地内のトンネルの奥に、ハマスの司令部があるので病院を攻撃している、と主張しますが、川瀨さんが見聞きしている範囲内で、そのようなことができる状況かどうか教えてください。

 

答え

報道で、いろいろ出ていますけど、私個人的には全く考えることすらない状況です。

 

問い

川瀨さんが勤務された「アルクッズ病院」から「シファ病院」までは地図を見ると近いのですが、シファ病院の敷地内でハマス戦闘員や武器をみかけたことがあるのかどうか、そして医療機器が多くあるところに武器を置いておくことが可能なのか、お聞きいたします。

 

答え

シファ病院までは徒歩で30分ぐらい、車だと10分ぐらいです。集中治療室など視察にいったことがあります。敷地が広く、全部は回れなかったのですが、ふつうに大きな総合病院です。そういうふうな目で見たこともないですし、私は武器についての知識がないので・・・。

 

問い

現地に戻る機会があれば、また戻りますか?

 

答え

戻れるチャンスがあれば・・・というお話ですが・・・複雑な思いです。突然のことなので、みんなに別れの挨拶ができてないですし、仕事も心残りがありますし、戻りたい気持ちもあります。やっぱりこの状況で戻りたいとはなかな言えないところがあるんで・・・。お答えするのに難しいところです。もう一度、ガザの皆さんに会いたいという思いもあります。

 

問い

日本の皆さんに伝えたいことをおっしゃってください。

 

答え

現地の状況は、倒壊した建物の映像は流れてくるのですが、それに死者が何名、負傷者が何名とか。でも、1人ひとりの声はなかなか届かないのかな、と思っています。そのままの言葉で伝えていただきたいな、と思います。

 

 

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