軽井沢駅に停車中の観光列車「ろくもん」。
毎日3度のメシで世話になっている奥様に、たまにはゴマをすっておこうと旅行に誘い、昼食付の観光列車で2023年11月19日、長野県に泊まりがけで行きました。
乗ったのは、軽井沢から長野まで走っている『しなの鉄道』の観光列車「ろくもん」。奥様は食事に満足し、付き人の私は、雪をいただいた浅間山の姿に心が躍りました。
もくじ
- 観光列車「ろくもん」とは?
- 名前の由来は?
- 外から見た「ろくもん」のボディ
- 車内の構造
- 【3号車】
- 【2号車】
- 【1号車】
- 食事のメニュー
- 客室乗務員や駅員による「おもてなし」
- 観光列車「ろくもん」にかける期待
観光列車「ろくもん」とは?
これが「ろくもん」3号車の車内。
「ろくもん」は、長野県の軽井沢と長野駅の間、約75キロを走る臨時の快速列車です。3両編成で、週末に1日1往復しています。2014年夏から運行しているとのことです。
「しなの鉄道」という鉄道会社のことは、この旅行を計画する時まで知りませんでした。
北陸新幹線の「東京」~「長野」間が1997年10月に開業した時に、新幹線と並行して走る「信越本線軽井沢~篠ノ井間」についてJR東日本から経営を受け継いだ会社だとか。
名前の由来は?
「ろくもん」という名前の由来ですが、ちょっと調べてみたところ、鉄道沿線の長野県上田市が戦国時代の武将・真田幸村(=本名は信繁)ら真田一族の本拠地だったことから、真田一族の家紋の『六文銭(ろくもんせん)』にちなんで愛称を「ろくもん」にしたようです。
ちなみに、「真田幸村(さなだ・ゆきむら)」という呼び名は、真田信繁の死後数十年経ってから軍記物語に「真田幸村」として登場し、これが講談で超有名になったために以後、実名ではなくて「幸村」が定着したそうです。
「ひのもといちのつわもの」と称賛された真田幸村
真田幸村こと真田信繁(のぶしげ)は、徳川家康が豊臣家をほろぼして名実ともに天下統一を成し遂げた「大坂の陣」では、豊臣方につきました。
真田幸村は、1614年の「大坂冬の陣」で、徳川家康が大阪城に籠城した豊臣秀頼(=秀吉の子)の軍を包囲した時、大阪城の外堀の外に真田丸(さなだまる)という出城を築いて、ここを拠点に徳川方の猛攻を撃退。このいくさを引き分けにしました。
そして翌年の大坂夏の陣では、幸村は城外に出て家康の本陣に2度にわたって迫り、家康が自害を覚悟したと伝えられるほど追い詰めました。
しかし多勢に無勢、幸村は討ち死にしました。
真田幸村の勇猛果敢な戦いぶりは諸大名から評価され、後日、幸村の武勇伝を知った薩摩藩主・島津忠恒(ただつね)は国許(くにもと)に送った手紙の中で、「真田日ノ本一の兵(ひのもといちのつわもの)、古(いにしえ)よりの物語にもこれなき由(よし」(島津藩記録集『薩藩旧記雑録(さっぱんきゅうきざつろく)』)と、幸村をたたえています。
外から見た「ろくもん」のボディ
真田一族を強く意識した「ろくもん」です。
車体の色は、濃い赤色。これは『真田の赤備え(あかぞなえ)』をイメージした車両です。
幸村が率いる真田の軍勢は「大坂冬の陣」「大坂夏の陣」で胴を守る鎧(よろい)や頭を守る兜(かぶと)などの武具を赤色で統一し、家康の軍勢に挑みました。
その様子が後年、「真田の赤備え」と言われるようになったそうです。
真田一族の家紋は「六文銭(ろくもんせん)」と呼ばれました。6枚の一文銭を上下に3枚ずつ横に並べたもの。いくさの時の「「のぼり旗」や、幸村の兜に付けられました。
その六文銭が車体に描かれています。
「六文銭」のほかにも「結び雁金紋(むすびかりがねもん」という家紋もありました。水鳥の「雁」を図案化した家紋で、鳥の羽を丸くねじった格好です。
こちらは真田一族が、いくさのない平時に使ったそうです。
車内の構造
車内の特長の1つは、長野県産の木材を座席やテーブル、床など各部分に使っているということです。
1号車はカラマツ、2号車はスギ、3号車はヒノキを主に使うという凝りようです。
【3号車】
3号車は2人連れの旅行者向けの車両です。
通路の両側に障子を配置して個室のように区切り、ぬくもりのある空間で食事を楽しめるようにつくられていました。
窓枠などにも長野県産のヒノキを使って「和室」のように見せています。
列車の車内にいるということを、しばし忘れさせてくれます。
天井部分。
木の棚。
通路の奥の車両の端っこには、ノレン。
車いす対応のトイレ。
【2号車】
2号車です。(「上田駅」に停車中に撮った写真。)カウンター席もあって沿線を眺めながら食事を楽しめますね。
ソファー席もありました。
バーカウンター。
記念撮影用のコーナー。
【1号車】
こちらは1号車。家族連れやグループ向けの車両だそうです。2人掛けと4人掛けのイスやソファーが配置されています。
1号車は食事のサービスがありません。乗車券と指定席券だけで乗車できるとか。
1号車の車両の中央には、写真のようなコーナーがありました。子どもの遊び場。木製の玉が敷き詰められていて、中に入れます。
食事のメニュー
さて、いちばん大事な「食事」です。
信州産の食材がたくさん使われていました。
前菜5種。
①蓼科麦豚(たてしなむぎぶた)と信州茸(きのこ)のテリーヌ ビーツのソース
②信州茸のムース 信州サーモンのポワエ添え
③柿のロースト リコッタチーズと生ハム
④信州産ふじ林檎酢(りんごす)で漬けた信州野菜の自家製ピクルス
⑤安曇野信州シャモと高原野菜の信州林檎のソースマリネ
信州味噌(みそ)のフォカッチャ 胚芽パン
スープ (※カボチャが入っていました)
安曇野信州サーモンのグラタン仕立て
太郎ポークのガランティヌ
蓼科牛サーロインのロースト
濃厚パンナコッタ
信州林檎と赤ワインのコンポート添え
さつまいものブレットケーキ
ほうじ茶
お土産
利用料金は、運賃込みで1人、1万5800円
むずかしい名前の料理ばかりで私には理解できませんでしたが、おいしかったです。ぜいたくをさせていただきました。
客室乗務員や駅員による「おもてなし」
しなの鉄道のスタッフは乗客に、一生懸命サービスをしていました。
観光列車「ろくもん」が出発する軽井沢駅では、ホームで客室乗務員が「ほら貝」を吹くと、ドアが開きました。
戦国時代の合戦をほうふつとさせるイベントでした。
最高の景色です。浅間山(標高2568メートル)です。
信濃追分駅を過ぎてすぐ、客室乗務員が通路を歩きながら「間もなく浅間山をご覧いただけます。進行方向右手をご覧ください」などと案内してくれました。
説明によると、昨夜雪が降ったそうで、うっすらと雪化粧していました。
浅間山をゆっくり鑑賞できるように、信濃追分~御代田駅間で1分間ほど臨時停車してくれました。
ここは上田駅。10分間の停車時間中に、ホームでは「ろくもん」を背に、客室乗務員の方が記念撮影のサービスをしてくれました。
沿線の保育園では園児やお母さんが手を振ってくれました。
駅員も停車駅を出る時にはホームで客を見送るというサービスぶりでした。
観光列車「ろくもん」にかける期待
「ろくもん」を運行しているのは「しなの鉄道」という第三セクターの会社です。JRの本体ではありません。なぜ第三セクターか、ということですが・・・・・。
背景には、1997年10月のJR東日本による北陸新幹線「東京~長野間」開業という事態がありました。
北陸新幹線開業によって並行して走る在来線の「信越本線軽井沢~篠ノ井間」約65キロは、JR東日本にとって「お荷物」になったのです。
そこでかねてからの申し合わせ通り、政府と自民党はこの区間の在来線をバッサリ切ったのです。
しかし、です。切り捨てられる区間は、沿線住民の生活面の「足」ですので、長野県が中心になって沿線の自治体と民間企業が共同出資して「第三セクター」の「しなの鉄道」(本社・上田市)を設立し、鉄道を経営することにしたのです。
出資割合は、長野県が74%、長野市など沿線の11の市と町が計17%、八十二銀行はじめ地元の企業・団体9%。(2023年7月現在)
そして「ろくもん」という観光列車を走らせることによって客を確保し、利益をひねり出そうとしているわけですね。
ただ、コロナ禍で落ち込んだ鉄道の利用者は回復傾向にあるものの、電気料金が高いために「今年度末の決算は1億円超の赤字が見込まれます」と社長が8月の会見で言っています。
なんとかがんばってほしい。