北穂高岳で味わう至福のひと時

標高3000㍍の北アルプスに登っていたころの記録、国内外の旅行、反戦平和への思いなどを備忘録として載せています。

昭和の時代に活躍した漫画家・長谷川町子~多磨霊園に眠る著名人⑤

 31歳のときの長谷川町子。漫画を執筆中。(「別冊太陽 長谷川町子」から引用)

 

 

 『昭和』の時代が遠くなりましたね。昭和64年(1989年)の1月7日に昭和天皇が亡くなって、『平成』の時代になりました。

 

 あれから30数年経ちましたが、ちょっと「昭和の時代」にさかのぼってみました。

 長谷川町子(敬称略)の話です。

 

もくじ

 

 

 

何をした人なの?

 (写真は、著書「長谷川町子 私の人生」の表紙

 

 長谷川町子は、『昭和』を描いた漫画家です。

 代表的な作品は「サザエさん。中断があったものの、28年間も新聞に4コマ漫画が載りました。

 

 ニッコリ笑うと、漫画のサザエさんそっくりの温かいユーモラスな(ゴメン!)顔になる、という話です。

 

 「いじわるばあさん」も愉快で、人気がありました。

 

 

 

長谷川町子の略歴は?

 大正9年(1920年)に佐賀県で生まれました。

 アジア太平洋戦争中の昭和19年(1944年)7月、福岡県に本社のある西日本新聞社に入社し、編集局絵画部の校閲に配属になりました。

 終戦の翌日、退社しています。

 

 そして終戦翌年の1946年4月西日本新聞のグループ会社のフクニチ新聞社(福岡市)が『夕刊フクニチ』を創刊すると、漫画の連載を頼まれ、引き受けました

 

 

サザエさん」という名前はどこから?

 連載漫画の登場人物は、漫画のネタ探しのために自宅近くの百道(ももち)海岸という磯辺を散歩しているうちに、ヒントを得たそうです。

 

 漫画の舞台となる一家は「磯野家」。主人公は若い女性にすることにして、名前は「サザエさん」。

 ほかの登場人物も海産物から得ました。妹は「ワカメ」。弟は「カツオ」。両親は「波平」と「フネ」。ダンナさんは「マスオ」・・・。

 

 

サザエさん」の最初の作品

 「サザエさん 第1巻」(単行本)の表紙。

 

 サザエさん」は『夕刊フクニチ』(=現在は廃刊)で終戦翌年の4月22日から連載がスタートした4コマ漫画です。

 

 昭和21年4月22日初出の4コマ漫画。お芋を食べながら部屋に入ってくる主人公サザエさんの登場に、読者は親近感を覚えたようです。

 

 この時のサザエさんヘアスタイルと、着ていた白いブラウスに黒のボレロとスカートが、トレードマークになりました。

 

 

 漫画は日曜日以外、ほぼ毎日掲載されました。

 

 敗戦後の混乱期に、ごく普通の家庭で起きていた日常の出来事を、サザエさんというおてんばでそそっかしいけれど、明るく正義漢あふれる主人公を通して、淡々と描いた漫画でした。

 たくさんの人が、サザエさんから元気をもらったようです。

 

 途中、作者の体調不良などで休載しながらも、『朝日新聞』の朝刊に掲載されるようになり、昭和49年(1974年)2月21日まで連載が続きました。

 

 

 

サザエさん「4コマ漫画」をいくつか紹介

 長谷川町子は姉妹で出版社『姉妹社』を設立して、「サザエさん」を単行本にして出版。全部で「68巻」出しました。

 町子が亡くなった後は、『朝日新聞出版』が文庫本として再版しています。

 

 

★第16巻の表紙。昭和28年(1953年)の掲載分が収められています。

 お釜、茶碗、手縫いの雑巾、一升瓶・・・「昭和」をほうふつとさせます。

 

 

★第58巻の表紙。昭和44年(1969年)の作品。

 焼き芋を買って食べたいけど、ドレスを着て澄ましているからなあ・・・と戸惑うサザエさん

 

 以下、4コマ漫画と、一部解説――

 

昭和21年(1946年)7月27日掲載

 サザエさんらしいシーンです。

 

 

昭和21年(1946年)8月6日掲載

 

★ヤミ物資を「やみいち」で買って、田舎に持って行って物々交換する人も。

 

 

昭和44年(1969年)7月4日掲載

 

★「エッチ」という言葉がはやりましたね。

 

 

 

★昭和45年(1970年)8月6日掲載

 サザエさん、怒ってますね。

 

★「公害」が深刻なのに、笑っている場合じゃないよ、というわけです。

 

 

昭和45年(1970年)8月8日掲載

 盗聴器の話。1970年に宮本顕治共産党委員長(当時)が住んでいた東京都杉並区の家の電話線に、「盗聴器」が仕掛けられていた事件。当時の創価学会顧問弁護士・山崎政友が1980年、週刊誌に自分が実行犯の1人だと盗聴を告白しました。

 

 

昭和47年(1972年)11月24日掲載

 

★「1人寝たきり老人」とおしゃべり。

 

 

 

昭和48年(1973年)1月10日掲載

 

★チンピラ・・・・・

 

 

昭和48年(1973年)2月23日掲載

 

★貧困から「捨て子ばやり」。

 

 

昭和49年(1974年)2月21日付「朝日」朝刊社会面掲載。

 これがサザエさん」連載の最終回となりました。

 

 この日の4コマ漫画は、小学校に行くカツオがサザエさんから「弁当」を手渡されるシーンから始まります。3コマ目でカツオが教室の隅っこに目を向けると、4コマ目で、電気コンロを使って自炊している級友がいて、親が共働きで朝が早いために「弁当」を作る余裕がないことをうかがわせています。

 

 この当時は、オイルショックで「狂乱物価」と呼ばれるほど物価が高かった時代です。給食回数を減らす学校も出ました

 

 漫画掲載から2日後の2月23日付朝刊に、「おことわり」として「筆者病気のためしばらく休みます」というお知らせが載りました。

 しかし、再開されることはなく、これが長期にわたった「サザエさん」連載の最後になりました。

 

 

 

テレビでアニメの「サザエさん」が続いている・・・

 この「サザエさん」ですが、テレビでは昭和44年(1969年)からフジテレビ系列で放送されたそうですが、まだ続いている・・・

 

 アニメの「サザエさん」は毎週日曜日に3話の作品が放送されますが、1話の作品に必ず1点以上の「原作」を使うようになっているそうです。

 

 

 

いじわるばあさん

 「いじわるばあさん 第1巻」の表紙。

 

 

 「いじわるばあさん」は、「サザエさん」と並ぶヒット作。

 

 主人公のおばあさんによるブラックユーモアが受けました。

 

 「いじわるばあさん」は『サンデー毎日』に昭和38年(1963年)から単発で数回発表。好評だったために昭和41年(1966年)から連載されるようになって5年間続きました。

 昭和41年暮れからは単行本(全6巻)が「姉妹社」から順次、発行されました。

 

 『サンデー毎日』連載に当たって、長谷川町子は次のように書いています。

 「虫も殺さぬ円満なる人物にも、意地悪の心は潜んでいます。まして匹夫(ひっぷ=教養のない男)、凡婦(ぼんぷ=平凡な女性)においておや。まして孤独の老境を迎えるにおいておや。どうぞ読者の皆様、わが将来の姿とおぼしめして、ご寛容をもってごらんくださいますよう、ひとえにお願い申し上げます。」

(『サンデー毎日』昭和40年12月26日号)

 

 意地悪を繰り返す「「いじわるばあさん」ですが、スカッとさせてもらえます。

 

 

いじわるばあさん「4コマ漫画」をいくつかご紹介

 



 

 



何歳で亡くなったの?

 長谷川町子は1992年5月に、心不全で亡くなりました。72歳でした。

 

 亡くなって2ヶ月後、宮澤喜一内閣から国民栄誉賞を受けました。

 「家庭漫画『サザエさん』を通じて第2次世界大戦後の日本社会に、潤いと安らぎを与えた」という理由です。

 

 

【参考資料】

●「別冊太陽 長谷川町子」(監修・執筆 長谷川町子美術館平凡社:2021年6月発行)

●「長谷川町子 わたしの人生」(長谷川町子著・朝日新聞出版・2023年1月発行)

●「サザエさん 第1巻」(長谷川町子朝日新聞出版・2020年1月発行)

●「サザエさん 第68巻」(同上・2021年11月発行)

●「いじわるばあさん 第1巻」(長谷川町子朝日新聞出版・1995年11月発行)

 

 

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