北アルプス涸沢の山小屋「涸沢小屋」でランチ!
北アルプスの涸沢(からさわ)に、10ヵ月ぶりに行ってきました。テントで2泊して涸沢カールの「お花畑」の写真撮影と、北穂高岳のピークハントを計画しましたが、北穂からの眺望を期待できそうになく、次の機会に回しました。
それにしても――。「コロナ禍」で登山をめぐる環境がちょっと変わってきましたね。
登山者は登山中の発症や山小屋での感染を心配するようになりました。
山小屋自体も宿泊定員をコロナ前の半数ぐらいに減らしたうえ完全予約制にしています。
この先、どうなっていくのか、小さな動きを記録しておきました。
目次
高速バス「さわやか信州号」に空席が目立つようになった
2022年8月3日(水)午後10時25分、バスタ新宿発の夜行バス「さわやか信州号」に乗って、長野県の上高地バスターミナルに向かいました。
座席が3列の「グリーンカー」というタイプです。車内の空気は約5分で入れ換わるという話です。
このバス、定員26人なんですが、空席が7つもありました。コロナ禍以前は悪天候でもこの時期、空席は1つか2つでしたが・・・。
それぞれの座席の背もたれには、飛沫がお隣さんに飛んでいかないようにという配慮なんでしょうが、アクリル板が取り付けられていました。(上の写真)
左右の窓側の席には、カーテンを荷物棚から垂らすことができるようになっていて、こしつかんかくを味わえたのはよかったですがね。
上高地に早朝到着、涸沢に向かう
午前5時45分、小雨の中、カッパ上下を着て上高地バスターミナル(標高1500m)から歩き始めました。
ザック(上の写真)は、例によって20㌔と重いです。
軽量化できない最大原因は、20年前に買った容量60㍑のこのザック(カナダ・アークテリクス)が、腰ベルト部分がぶあつく、2.7㌔もあるシリモノなんです。
軽いザックが出回っているんで欲しいのですが、奥さんから「新品を買うくらいなら、トシを考えて山をヤメロ!」といわれているので無理です。
このザックに、ポカリスエットの粉末をぶち込んだ水2.5㍑やテントで2泊するための装備を入れてます。
河童橋にサルの群れ
木の吊り橋の端っこの天井部分に、ポツンと居座るサル。分かりますかね。
子どもを抱えていますね。
欄干にもサル。
ゾロゾロ・・・。
背中にピタッ。
サルは上高地全体に生息しているんだそうです。
ん?
「サル」だけじゃなく、「クマ」もいますよ、という看板。
小梨平キャンプ場に置かれるようになった「食物入れ」です。
小梨平キャンプ場では2020年8月8日の深夜、都内の50代女性がテントで眠っていた際、ツキノワグマにテントを引き裂かれ、右脚を爪で引っかかれてケガをしました。女性は逃げましたが、ザックの中のレトルトカレーはクマにきれいに食べられました。
事故後、キャンプ場のあちこちに設置されたのが、利用者の食料を夜間、保管しておくための鉄製コンテナなんですね。(上の写真)
午前6時40分、明神館前。
雨が止んだので、ここでカッパを脱ぎました。
明神館の脇で撮影。
登山道わきに設置されている鈴!
徳沢の手前です。鈴をチリチリチリンと鳴らして通過しました。
徳沢キャンプ場。
午前7時45分、徳澤園。「涸沢ヒュッテ」の休業を知らせる看板あり。
雨が本降りになり、雷も「ゴロゴロ」。嫌な感じ。また、カッパを取り出して着ました。
午前8時50分、横尾に到着。
カッパがビタビタ。カッパの中は汗をかいているため、袖口を緩めると水が流れ出てきました。
トイレのひさしの下で、カッパを脱いでタオルで汗をぬぐい、あんぱんを食べて糖質を補充しました。30分もここで休んでしまいました。
午前9時43分、「岩小屋跡」。
横尾から20分ほど歩いたところです。自然にできた洞窟をむかし、山小屋代わりに使ったようですね。いまは岩が崩れた状態になっています。
午前10時3分、「製材所跡」。なんでしょう、これ? 看板が新しいのですが・・・。
午前10時8分、「2のガリー」通過。
ガリーというのは、岩壁が侵食されてできたV字状の溝。
午前10時15分、「3のガリー」通過。
午前10時30分、本谷橋。
ここからが本格的な登りになります。本谷橋は横尾から涸沢カールに向かう途中、横尾谷を渡るための吊り橋。雪が降る直前に取り外され、雪が解けるとまた設置されます。
午前11時10分、屏風沢を通過。
高校生が数人、ひと固まりになって下山してくるのに出くわしました。彼らは岩壁の側に寄って道を開けてくれました。男の子に「お疲れさまです」と声を掛けられ、「すいませ~ん」と礼を言いながら通過していると、今度は女の子の声で「がんばってくださ~い」。
重そうなザックを背負っている私を見て、くたばっていると思ったのでしょうね。うれしいような情けないような・・・。
午前11時35分、「青ガレ」通過。
午前11時57分、「Sガレ」。標高2080m。
横尾から涸沢カールに向かう谷が、「S字型」に曲がるポイント。ここからは背丈のある針葉樹林から低木の広葉樹林になります。
休憩地になっており、天気がよければ、涸沢ヒュッテが見えます。
なにか、張り紙が・・・。
午後0時55分、山小屋「涸沢ヒュッテ」の玄関に到着。
長い休憩時間を入れて「7時間」もかかってしまいました。装備が重いから、標準コースタイム「6時間」(休憩含まず)より時間がかかってしまいましたね。
「立入禁止」だって。
信州の山小屋、「コロナ」で一時休業相次ぐ
人気の「涸沢ヒュッテ」が12日間休業
山小屋「涸沢ヒュッテ」はコロナ禍のために泊める人数を従前より大きく減らして、140人に絞って「完全予約制」で今年度の営業を始めていました。
ところが、スタッフが感染しました。
地元長野県紙「信濃毎日新聞」デジタル版によると、窓口業務にあたっていたスタッフが7月24日朝に発熱し、抗原検査キットで陽性判定が出たほか、別のスタッフの感染も判明。
涸沢ヒュッテは24日付で宿泊と外売店の営業自粛をHPに掲載しました。(上の文書)
地元の「信越放送」によりますと、その後、およそ15人のスタッフ全員に感染が広がり、営業休止を余儀なくされたということです。(8月10日配信)
涸沢ヒュッテのスタッフはこの日以降の宿泊予約者に電話し、営業を取りやめることを伝えました。
慌てたのは、途中まで登ってきている登山者でしょうね。涸沢カールにあるもう1軒の山小屋「涸沢小屋」に急きょ電話して泊めてもらうことにした人もいるし、涸沢小屋が定員を満たしたために、もっと標高の高いところにある「穂高岳山荘」まで行った、と山行記録に書いている人もいました。
「8月5日」に営業再開予定というお知らせ。
8月4日午後に「涸沢テント場」に張られたテントの数は?
涸沢テント場 (8月4日午後1時撮影)。
少ないですね。
8月4日午後2時15分撮影。
テントの数は、30~40でしょうか。
涸沢ヒュッテ、営業再開へ
涸沢ヒュッテのヘリポートに食材を空から降ろす東邦航空ヘリ(8月5日正午撮影)
涸沢ヒュッテのテラス。宿泊営業再開日の8日正午過ぎから続々と泊まり客が到着。まだ受付が始まらないために、テラスで景色を楽しみながら、行動食を口に運んでいました。(午後零時20分撮影)
ところが、いろんな人がいるんですねえ。
関西弁で何やらしゃべりながら、このテラスに現れた男性2人。1人が「なんで生ビール、やっとらんねん。あれがよくてここに来てんねん。どないなっとんねん」と、大声で相方にしゃべりました。
近くのテーブル席でそれを耳にしたおばさん数人。顔を見合わせ、首をかしげていました。「休業していた」ということを知らずに登山してきたのでしょうか。
この5日の涸沢ヒュッテの宿泊者は95人(定員140人)だったようです。
テント場も、午後になって、混んできました。
テントの受付(午後2時15分撮影)
テント場(8月5日午後2時15分撮影)
涸沢ヒュッテの「こいのぼり」
8月5日昼すぎから、涸沢ヒュッテの「外売店」の営業が再開されました。名物のおでんや生ビールを売る店です。
ほかの山小屋も休業相次ぐ
信州の山小屋では、涸沢ヒュッテのほかにも7月下旬から営業自粛が相次ぎました。
燕山荘
それぞれの山小屋で、スタッフや宿泊客が感染し、一時営業を自粛したようです。
山小屋の経営者もたいへんですが、感染したスタッフも傷ついてしまいましたね。立直ってほしい。
テント泊の人間は「涸沢ヒュッテ」の建物の中に入れない
山小屋の前にあるテント場にテントを張って泊まる登山者でも、コロナ前は夕食・朝食の時、お金を払えば、山小屋の食堂で食事をすることができました。
ところが、「テント泊」の人間は、山小屋の館内での夕食や朝食はできなくなったのです。昼食だけは希望すれば食べさせてもらえます。
涸沢ヒュッテでは、正面玄関を入ったところには石油ストーブがあり、衛星放送で天気予報をみることもできたのですが、完全に排除されました。やむを得ないかも。
8月5日、私は「お花畑」へ
北穂高岳方面。午前5時45分撮影。
前穂高岳方面。午前5時45分撮影。
朝、快晴でした。小鳥がピヨピヨとさえずり、気分爽快です。
テントの前のゴロゴロした岩に、シュラフやシュラフカバーなど広げました。ご近所さんも同じです。
昨夜は夜中まで雨が降り続き、ズボンも下着も雨と汗でビタビタ。テントの中で、そのまま体温で乾かそうと、ぬれた体をシュラフとシュラフカバーに突っ込んで寝たため、シュラフもビタビタなんです。
山の天気は変わりやすいです。
午前7時を回ると、雲がモクモクと。
これは花を撮影するうえでまずいね、早く撮影しないと、いうわけで、「お花畑」に急ぎました。
「お花畑」です。
花のことは、次にまとめて書きます。
山小屋「涸沢小屋」。
8月5日午前11時10分、涸沢小屋でランチです。
生ビール1000円
もつ煮800円
おいしかったですよ。雪が残る涸沢カールやテント場、人の動き、雲の動きなんかをみていると、時間が経つのを忘れます。飽きませんね。
夕方から、また雨が降り出しました。
8月6日、下山へ
午前3時ごろ、テントから顔を出すと、東の空に明るい星が1つ、見えました。目を凝らすと、ほかにも星が数個。
一番赤明るかったのは、火星だと思われます。
1時間後には、ガスがかかって星は見えなくなりました。
午前5時10分、テント場を出発しました。
テント場の朝。午前5時20分撮影。
松本市営「上高地アルペンホテル」は登山者に配慮を
外来入浴で、汗臭いにおいを落とし、着替えるためです。
このホテル、もともとは旧安曇村の村営施設。2005年に松本市と合併して松本市営施設になりました。
ここ3年間で、外来入浴時間と料金が変わりました。
「料金」は長い間、「600円」でした。それが2019年8月に一気に「1000円」に値上げ。それでもお土産に「フェイスタオル」が付いていました。
ところがコロナ禍で2年間の外来入浴休業を経て今年再開したのですが、お土産の「フェイスタオル」が消えました。料金は「1000円」のままです。
登山者にとって深刻なのは、外来入浴時間です。コロナ前は、「正午から午後2時30分まで(受付終了午後2時)」でした。
ところが今年の外来入浴時間は、「午前9時30分から正午まで(受付終了午前11時30分)」なんです。
これだと、涸沢の山小屋やテント場で泊まった登山者は、下山に5時間30分は要しますから、「午前6時」前に、涸沢を出発しなければ間に合いません。
経費削減に努めているらしいのですが、公営施設なんですから、観光客だけでなく登山者にも優しい気配りが欲しいところです。
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