登山道でのすれ違いは慎重に・・・。特に、岩場。ひとつ間違えると転落です。
この夏の経験と、思い出してしまった過去の話を記録しておきます。
目次
北穂のクサリ場でのすれ違い 困った
2019年8月10日午前8時すぎ、涸沢から北穂高岳山頂に向けて登山中、岩場の急登が続く南稜上部のクサリ場で、下山してくる男子高校生グループ数人と鉢合わせになりました。(次の写真)
上からみたクサリ場。(赤い屋根は涸沢ヒュッテ)
待つ時、谷側に寄らないように
登ろうとしている私の進路は、左手は岩の壁(上の写真では右側)、右側は切れ落ちた斜面。狭い登山道のその先には茶色の木の板が、橋のように渡してありました。(次の写真)
切れ落ちたい岩場でのすれ違い。右下に落ちたくない。
茶色の木の板の部分を、上部から見下ろすと、こうなっています。
昨年までは、狭い登山道の、登りの左手岩肌に、6段の鉄ハシゴが「登り専用」として使われていたのですが、ことしは「この上、通行禁止」と書かれた板が張られてバツ印が付いていました。(下の写真)
ハシゴの上の岩が崩れたのだろうか、「通行禁止」に。
高校生は4、5人が岩肌にくっついてくれたのですが、1人が谷側に突っ立ったまま。「まずいなあ」と思い、「岩の方に寄ってよ」と促しましたが、その生徒は自分が入るスペースが岩肌にはもうないと考えたのか、「ここの方が安全です」と言って動かない。
仕方がないと判断し、「腰を落として、絶対動かないでよ」と声を掛けて先に通過させてもらいました。
こんな時に、私のザックの一部が体に当たりでもしたら、アウトです。緊張しました。
磯貝猛・山岳カメラマンの遭難死
下山後、穂高岳山荘の前の支配人、宮田八郎さんの著書「穂高小屋番レスキュー日記」を読んでいると、山岳カメラマン・磯貝猛さんの遭難の話が出てきました。
磯貝さんは20年前、「丹沢を歩く」というタイトルのガイドブックを出したカメラマン。当時、私は丹沢の塔ノ岳に通いつめており、購入しました。
その磯貝さんが亡くなった場所は、北穂高岳でした。2010年8月29日。55歳でした。
磯貝さんと親交のあった宮田八郎さんは当時、遭難現場に駆けつけた1人で、著書で次のように状況を書いています。
「(涸沢方面から)南稜テント場に差しかかる手前で、右手のガラ場に数人の人影が見えました。息せき切って駆け寄ると(中略)懸命に、横たわるイソちゃんに心臓マッサージを行っていました。すぐに『……代わるわ』と声を掛けて心肺蘇生を交代しましたが、イソちゃんは既に意識はおろか自発呼吸も心肺も停止しており、胸部のポンピングもむなしい手応えしかありませんでした。」
磯貝カメラマンが転落した現場付近 (写真は、北穂高岳南稜と奥穂高岳への分岐点)。
著書ではさらに・・・
「聞けば、昨夜、北穂高小屋に泊まったイソちゃんは、(中略)ゆっくりと下山を始めたそうです。そして南稜と奥穂への分岐点の直下、谷側の路肩がオンダテの茂みで覆われた地点で、下から登ってきた子供さんを避けようと、ほんの少し谷側によけた瞬間、左足を半歩踏み込んだその茂みの下は空中だったため、バランスを崩して頭から転落。運悪く、そこにあったとがった岩に頭部を打ちつけ、そのまま100㍍近くを転落してしまったということでした。」
「イソちゃんは、一般登山者と比べてはるかにキャリアを積んだ山人でした。そのイソちゃんが、ケアレスミスともいえるほんの些細な不注意で、あっけなくこの世を去ってしまったのです。」
「登山道ですれ違うとき、下る人は谷側によけてはいけません。下る人が山側へよけて、登る人に路肩に注意しながらすれ違ってもらうべきです。下りでバランスを失うと、致命的な結果となるのです。そんなことは、きっとイソちゃんもどこかのコースガイドに書いていたはずなのに。」
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すれ違いは冷静に判断を
次は、私の体験。
2017年10月3日午前。小雨の降る中、重さ20㌔のザックを上高地から背負い、「本谷橋」を過ぎて涸沢に向かっていると、10人以上のツアーが下りてきました。
先頭のサブリーダー格の人が後続の人たちに、山の方に寄るよう指示したうえで、私に「登り優先ですからどうぞ」。
気持ちはありがたいけど、道幅が狭いうえ平らな岩がなくてゴツゴツしており、「いやだなあ」と思いつつも譲ってくれた以上やむを得ず、傾いてぬれている岩に「エイッ、ヤー」と右足を置きました。
すると案の定、ツルッと滑って右の肩から転倒、亀のように仰向けになりました。進行方向右下の樹林に落ちずに済みましたが…。
山の世界には「登り優先」という暗黙の了解がありますよね。でも、登る側に少しでも不安があけば、岩肌(山側)に身を寄せて下りの人に道を譲るというということが必要でしょうね。