整備中のボーイング777型機(2023年2月25日撮影)
ふだんは立ち入ることのできない格納庫を見学するツアーに、運よく当選して参加しました。
機体を間近で見ることができて満足です。
目次
格納庫のある位置
出向いたのは、東京・羽田空港の第1ターミナルビルの南隣にあるJALメインテナンスセンターという建物。
カタカナの名前が付いていますが、要するに「格納庫」です。
最寄りの駅は、東京モノレールの「新整備場」駅。出てすぐです。
JALメインテナンスセンターには、格納庫が2つあります。
①鉄骨7階建ての「JALメインテナンスセンター1」(以下、「M1格納庫」と表記します)
②鉄骨7階建ての「JALメインテナンスセンター2」(以下、「M2格納庫」)
このうちの、飛行機5機を同時に格納して整備できるM2格納庫が、主な見学対象でした。
展示コーナー
QRコード付きのストラップ
見学の受付は「M1格納庫」の1階ですが、建物への立ち入りは厳しく規制されています。(当たり前ですが)
受付を済ますと、エレベーター利用で3階に移動します。ここが「展示コーナー」でした。
3階の展示コーナーに入ると、真正面に居座っている構造物に目が行きます。
「コックピット」です。
この機首部分は、JTA(日本トランスオーシャン航空)で実際に、ボーイング737-400型機のフライトシミュレーションとして使われていたものだそうです。
機首の裏側にまわると、コックピットが現れます。操縦席に座ることができますので、記念撮影をする人が続々と・・・。パイロットはかっこいいからね。
ミニスカート時代を思い出させる「制服」の歩みコーナー
女性の「客室乗務員」の制服の実物が年代を追って、展示されていました。
こちらは、「東亜国内航空」の制服です。右端が初代の制服。1971年です。
東亜国内航空は1971年に発足した会社で、国際線に進出するために1988年、日本エアシステムに社名を変更しました。しかし、経営悪化で2002年10月、日本航空と経営統合し、やがて消滅しました。
日本航空㈱の設立は1951年(昭和26年)。中央がJAL初代(1号)の制服。
昔は「スチュワーデス」という呼び方でしたが、今はそんな呼び方をすると、「なに、このおじさん」と白い眼でみられますよ。
男女雇用機会均等法という法律ができたことで、男女を区別する職業の呼び方はだめよ、ということになったためらしい。
昨今は「客室乗務員」とか「キャビンアテンダント」、「CA」と日本では呼ばれていますね。
左から、4代目、3代目、2代目の制服。
左から、6代目、5代目、香港線クルー用制服。
1970年代の5代目制服は「ミニ」だった、と、この展示で知りました。
この制服は1970年7月に、ジャンボジェットと呼ばれたボーイング747の就航に合わせて採用されたそうです。
紺のミニスカートワンピースに幅広の赤いベルト、左胸の外ポケットに「JAL」の刺繍。スカーフが初めて導入されたそうです。デザイナーは森英恵さん。
70年代の一時期、私、学生さんでしたが、男は長髪にラッパズボン、女の子は確かにミニスカートをはいておりました。
ちなみに、現在は11代目(写真左端)だそうです。
歴代の機体の模型の陳列も
創業時のプロペラ機。実物の50分の1のサイズだとのこと。
これが最新鋭の「エアバスA350-900」。
格納庫
突然、目の前に巨大な空間・・・格納庫だ
「M1格納庫」3階の展示コーナーの片隅に進むと、突然、その先の扉が開きました。視界に入ったのは、ひろ~い格納庫でした。
ビックリして、扉が開く瞬間を撮るチャンスを逸してしまいましたわ。
「M1格納庫」でした。階段を1階まで降りましたが、案内人の方は立ち止まることなく進みました。直接、「M2格納庫」に行くようです。
この「M1格納庫」は飛行機2機を同時に収納できる広さだそうで、チラッと整備中の「コックピット」が見えました。(上の写真)
これは、取り外された客室の窓枠のようですね。
「M1格納庫」から「M2格納庫」に渡る連絡橋。環八通りの上を通っているんです。
連絡橋の下を通る「環八通り」。
さあ、到着です。
ここが「M2格納庫」。ここで丁寧な説明が聞けそうです。
見学デッキから、1階に降りました。
この「M2格納庫」は飛行機を5機、一度に収納できるスペースがあるとのこと。
この日は、4機いました。
機体の後部に、「ボーイング777」とあります。
ボーイング777型機は、アメリカのボーイング社が開発した大型ジェット機。一般的に「トリプルセブン」と呼ばれているらしい。
おなか。
おなかとおしり。
くび。
エンジンの大点検かな。
エンジンカバーの大きいこと大きいこと。飛行中に外れて落ちてきたら怖い。
扇風機の羽のような金属部品は「ファンブレード」という名前らしい。
正面からパチリ。
もう一発、ドーンと。
はて。
こちらは「ボーイング787型機」ですね。ボディに書いてありました。
格納庫には柱がなく、天井は網の目のように鉄骨が組み合わされていました。
「格納庫」とは?
格納庫は、飛行機の機体の整備と点検をする場所。整備士が実際に作業している姿を見ることができました。
羽田空港にあるJALの2つの格納庫は、それぞれ作業内容が違うようです。
「M1格納庫」では、「重整備」という厳しい整備が行われます。これは航空法に基づいて、1万6000時間飛行した場合、または3000日飛行した場合に、約25日かけて、機体の点検、改修、塗装などを徹底的に行う整備です。
「M2格納庫」では、通常の運行のための整備が行われます。これは500時間飛行するたびに、約8時間かけて実施する整備。
作業は、最終便で羽田空港に到着した後、翌朝の第1便までの間に、主に外部からエンジン、翼、脚などの状態を点検します。
また、6000時間飛行するたびに、ここで約1週間かけて、パネルなどを取り外し、諸系統の機能検査や作動検査など細部にわたって点検・検査しています。
JAL初のジェット旅客機「DCー8」機首内部の特別見学
格納庫の片隅に、「富士号」が展示されていました。むかし、「空の貴婦人」と呼ばれたジェット機です。
「富士号」はアメリカのダグラス社が開発した『ダグラスDCー8-32』という大型ジェット旅客機。JALはそれまでのプロペラ機に代わって、初めてこのジェット旅客機を就航させました。
機内の機首部分が保存されていて、そこを特別に見せてもらいました。
操縦席。
灰皿が見えます。コックピットの中で喫煙できたんですね、当時は。
操縦室の後ろにあったラウンジ。障子の木枠や西陣織のシートが配置されていたそうです。
至近距離で飛行機が次々と着陸してきた
格納庫の前は、「誘導路」になっています。飛行機が次々と、ゆったりと滑走路に向かいます。
誘導路の向こうには「A滑走路」があります。4本ある滑走路の一本です。
東京湾上空から飛行機がほぼ3分おきに「A滑走路」をめがけて降りてきます。格納庫にいると、機体を真横から見ることができるんですね。
いいですねえ。
エアバスA350-900です。誘導路を進んでいます。
JALは2019年9月にこれを国内線に導入しています。
機体記号が「JA05XJ」と読めます。
羽田を正午に出発して、福岡に向かう便でした。(午後0時7分撮影)
★「格納庫」の見学時間は実質40分。およそ30人が数人ずつのグループに分かれ、それぞれに説明役が付きました。
私のいたグループ(5人)の案内役は、69歳の元JAL機長。次々と着陸する飛行機を横目にみて、「アッ、見ちゃった、あれはうまくないね」などとユーモアを交えて操縦の技術的なことを説明してくれました。楽しかったです。