北穂高岳で味わう至福のひと時

標高3000㍍の北アルプスに登っていたころの写真記録、国内外の旅行、反戦平和への思いなどを備忘録として載せています。

尾瀬の旅~シカがニッコウキスゲの芽を食べる

シカがいてなぜ悪いの?

 夏の尾瀬のイメージは、青空に向かって真っ直ぐに延びる2本の木道と、その両側の緑の湿原に咲き誇る黄色い花、ニッコウキスゲ――。そんな光景を思い描くかもしれませんが、だいぶ状況が変わってきました。

 尾瀬の代名詞でもあるニッコウキスゲの群生をみることができる場所が、減ってきたのです。ニホンジカによる被害が発生しているのです。

 尾瀬は冬の間、3㍍から5㍍もある積雪に閉じ込められることから、ニホンジカは越冬できないため住まないだろうと考えられていましたが、1990年代初めにその姿が地元住民に目撃され、1995年には大学の研究者らが尾瀬ヶ原ニホンジカの“食痕(しょくこん)”や“足跡”を確認しました。

 

シカによる2つの被害

 ニホンジカによる迷惑行為は2つ。1つはミズバショウニッコウキスゲの葉になる「葉芽(ようが)」や、花や実になる「花芽(はなめ)」を食べてしまうこと。この被害に遭うと、その年は花をみることができません。

 もう1つは湿原の土を掘り返してしまうこと。ここ何年も湿原の泥炭層が深さ30~40㌢、直径およそ5㍍ほど掘り返された「ヌタ場」が尾瀬ヶ原で見られるようになりました。

 これはニホンジカやイノシシが体に付いたダニなどの寄生虫を落とすために、泥の中を転げまわる場所です。その結果、植物の根っこはいたんで枯れてしまい、裸地になったところには従来とは異なる植物が育つ現象が起きているということです。尾瀬の生態系が壊れようとしています。

 

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尾瀬ヶ原の緑の草原に咲くニッコウキスゲ (2019年7月22日撮影)

 

 

増えるシカ

  尾瀬ヶ原に一体、どのくらいの数のニホンジカが現れるのだろうか――。NPO法人特定非営利活動法人)の尾瀬自然保護ネットワークというボランティア団体が、2000年から2007年まで、群馬県尾瀬高校の生徒の協力でシカの個体数確認調査をしました。

 調査の方法は、夜、木道から遠方に光をあて、反射するシカの目を数えるという方法。シカとそれ以外の動物との区別は、目の色や高さで分かるそうです。

 調査結果はこの団体のホームページに載っていますが、「ニホンジカの確認数は年々増えている」ということでした。

 

 

対策

 ボランティア団体や高校生の奮闘で、お役所もやっと重い腰を上げました。

 

 【環境省】は2008年度から「実態調査」に着手。麻酔銃を使って捕まえたシカに、GPSを搭載した野生動物追跡用の首輪を付けて放ち、夏の間の生息地や越冬地、移動経路などを調べています。

 これまでの調査で、ニホンジカの大半は毎年6月に尾瀬ヶ原尾瀬沼に到着。暑い夏を当地で過ごし、11月から12月にかけて越冬地の「足尾地区」や「日光地区」に着くことがわかりました。

 

 【環境省や地元自治体、山小屋などでつくる対策協議会】は2009年度から、“くくりわな”を使ってシカを「捕獲」していく方針を決定しました。

 

 【林野庁】は2014年度から、尾瀬沼の隣の「大江湿原」のニッコウキスゲなどをシカの食害から守るために、シカの湿原への侵入を防ぐ「柵」の設置を始めました。

 柵は鉄製で高さ約2㍍、網の目は15㌢×15㌢の大きさ。毎年雪解けの5月から6月にかけて設置し、雪の重さで柵がつぶれる前の10月に撤去しています。効果はまずまずで、「花芽」の食害が減りました。

 2018年度からは、尾瀬ヶ原の「ヨッピ川南岸」にも、シカの侵入を防ぐ策を設置。その結果、ことし2019年夏は尾瀬ヶ原でもニッコウキスゲの群生がみられています。

 

 

食害の背景と課題

 課題がないわけではありません。

 ニッコウキスゲの群生地は2ヵ所のみ。尾瀬沼の横の大江湿原と、尾瀬ヶ原の「牛首分岐」と「ヨッピ橋」の中間地点だけです。

 尾瀬ヶ原全域に柵を設けるのは、景観を損ねるうえ資金、要員確保の面で無理があり、そもそもニホンジカが何頭きているのか実情が分かっていない。

 根源的な問題は、地球温暖化が世界的規模で進行しているため雪解けが年々早くなっており、それに伴ってシカが早い時期から尾瀬に来る傾向にあることも頭痛のタネです。

 

 

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減り続ける入山者

尾瀬国立公園」への入山者の数は、環境省の調べで、入山者のほとんどが「尾瀬ヶ原」と「尾瀬沼」への入山者。入山口は約6割が鳩待峠から。月別ではミズバショウの見ごろの6月と、ニッコウキスゲが見ごろの7月とで5割を占める。

 平成に入ってからのピークは、1996年(平成8年)の年間65万人でした。それ以降減り始め、東京電力福島第一原子力発電所炉心溶融と爆発事故があった2011年は、放射性物質の散乱という風評被害もあって、最低の28万人。その後、一旦持ち直したものの減少に転じ、昨2018年は過去最低の27万人にとどまりました。

 

 

なぜ減ってきたのか?

  どうして訪問者が少なくなっているのか――。かつてのハイカーが高齢化したからだ、という解説もあります。鳩待峠から尾瀬ヶ原の玄関口、山ノ鼻までの3.3キロの「坂」を取り上げて、「尾瀬は平らな木道と思っていたのに知らなかった。あの坂の登り下りはもうこりごりだ」という声もあります。

 しかし、尾瀬の代名詞であるニッコウキスゲがシカによる食害で減ってしまったことが大きいのではないでしょうか。自然の風景はいまも昔もとても素晴らしいですが、花が少ないようでは尾瀬の魅力も半減。2度来るところではない、ということではないでしょうか。

 日帰りのバスツアーで来た女性たちが、「どこに行ったらミズバショウがみられますか」「写真でみるニッコウキスゲの群生地はどこですか」などと尾瀬の案内人に問うた時、納得できる答えを得ているかどうか。落胆しないことを願うばかりです。