北穂高岳で味わう至福のひと時

観光旅行ではふつう行かない外国の風景、戦争遺跡、不思議な人体など見たり学んだことも備忘録として載せています。

外国の街の記憶~戦時下の板門店・軍事境界線をみた (南から行った時)

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建物に半分、身を隠す韓国軍兵士。急な狙撃に対処するためです。

         (1997年12月3日、板門店で撮影)

 

朝鮮半島分断の現場、板門店(パンムンジョム)

朝鮮半島には軍事境界線という北朝鮮と韓国の境界があります。軍事境界線の東西800㍍、南北400㍍の地域のことを板門店と呼びます。

ソウルから北に約50㌔、平壌ピョンヤン)から南に約150㌔の位置にあります。

 

その板門店に過去2回、南と北から足を踏み入れる機会がありました。

南の韓国側から1997年12月3日に行きました。

これはその時の記録写真です。

 

 

 アジア・太平洋戦争終結で、朝鮮半島は日本による植民地支配が終わりましたが、北緯38度線より北をソ連軍が、南を米軍がそれぞれ管轄。1948年に韓国と北朝鮮ができました

 

 歴史が大きく動いたのは1950年。北朝鮮が武力による統一を目指して韓国に攻め込み、「朝鮮戦争」が始まりました。途中で国連軍と中国軍が参戦。

 1953年に休戦協定が調印されましたが、その場所が「板門店です。

 

 

戦争は終わっていない

 

軍事境界線」は「国境」ではありません。あくまで軍事上の境です。北朝鮮と韓国の戦争は、いま「休戦」しているだけであって、いまだに戦争は終わっていないのです。

 国境は確定しておらず、緊張関係が続いています。

 

 

 

軍事境界線? 非武装地帯? 共同警備区域???

 

軍事境界線は、休戦にした時に双方の兵力を引き離すために設ける基準線のことです。休戦協定が成立した時の前線が軍事境界線になります。

朝鮮半島の場合、北緯38度線付近の東西250㌔です。

 

武装地帯は、軍事活動が許されないエリアで、

軍事境界線から南北にそれぞれ2㌔の範囲です。

略してDMZ (Demilitarized Zone)と呼ばれます。

板門店」は非武装地帯の中にあるわけです。

 

共同警備区域は、国連軍(実態は韓国軍と米軍)と北朝鮮軍の双方が一緒に警備するエリアのことで、「非武装地帯」全域がその範囲です。

略してJSA (Joint Security Area)です。

 

 

 

韓国から入った時の様子

ソウルから北に52㌔ほど行ったところに板門店はあります。

ひと昔前までは人口の少ない集落があったようです。

 

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 1997年12月3日午前、非武装地帯DMZにある国連軍司令部の基地、キャンプ・ボニファスに到着しました。

朝鮮戦争で国連軍に参加した18ヵ国の国旗の掲揚台があり、各国旗がはためいていました。

ここにある訪問者ブリーフィングセンターで、国連軍から板門店についての説明を聞きました。

そのあと、国連軍の用意したバスに乗り換えて、北と南が直接向き合う場所に移動しました。

 

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国連軍司令部の看板。

 

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米軍兵です。


 

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 バスを降りると2列になって青い建物に向かって歩きます。の囲いは、建設中の「自由の家」であることがあとで分かりました。「自由の家」は翌1998年に竣工しています。

 

 共同警備区域内には、青色の「軍事停戦委員会会議室」のほか、軍事境界線より北に北朝鮮の「板門閣(はんもんかく)」「統一閣」、南には韓国の「自由の家」「平和の家」が現在あります。

 

 

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 板門店軍事境界線上には、7棟の建物があります。このうち中央部にある「青色」の建物3棟は国連軍が管理、両端の「白色」の4棟は北朝鮮軍がそれぞれ管理しています。

 

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軍事停戦委員会本会議場の中。

 

 

 

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 板門店は非武装地帯の中で、唯一南北双方の対話ができる場所です。

 

 

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 北朝鮮と韓国の「軍事境界線」が、建物の中央部を横断して東西に走っています。このテーブルの中央のマイクコードが境界線に当たります。南北の軍事部門の直接会談が行われる場所です。

 

 

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 軍事調停委員会本会議場の建物の管理は国連軍が行っており、韓国軍兵士が出入り口で観光客を監視しています。

 

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 建物の中の様子を窓ガラス越しにのぞき込む北朝鮮の兵士

 

 

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 軍事境界線の向こうの正面の建物は、北朝鮮の「板門閣(はんもんかく)」。1994年に増築されて、それまでの地上2階建てが3階建てになりました。

 

 2019年6月30日にトランプ米大統領が、現職の大統領としては初めて、この場所の軍事境界線を越えて北朝鮮に入りました。この板門店での金正恩キム・ジョンウン朝鮮労働党委員長との会談は、緊張緩和の演出でした。

 

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自由の家」の完成予想図のパネル。

 

 

 

 

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 ここは北朝鮮軍の兵士が韓国への亡命のため突破したと思われる軍事境界線です。

 

 2017年11月13日北朝鮮軍兵士が1人、運転してきたジープを乗り捨て、軍事境界線を駆け抜け、仲間の銃撃を受けながらも韓国に亡命しました。現場は7棟の建物のうちの西端。各種報道によると、写真の向こうから手前に向かって走ってきたようです。

 

 

 

≪帰らざる橋≫

 

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 写真の右端に「橋」が見えます。「帰らざる橋」という名前が付いています。共同警備区域の西端にあり、軍事境界線となっている沙川江にかかっている橋です。

 

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 朝鮮戦争が休戦になった1953年にこの橋の上で「捕虜交換」が行われました。捕虜たちはこの橋の上で北に行くか南に行くか選択を迫られ、二度と戻ることはできなかったことから「帰らざる橋」と呼ばれるようになりました。

 

 

 

≪ポプラ事件≫

 「帰らざる橋」をめぐっては、もう1つ、歴史的な事件があります。

 

 「帰らざる橋」の国連軍施設側(韓国側)には、橋の北側にある北朝鮮の村人が植えた「ポプラ並木」がありました。

 

 1976年8月18日のことです。国連軍の作業隊が1本のポプラの木を剪定しようとしました。これは国連軍にとって、大きく成長したポプラの枝が北からの浸入を監視するうえで邪魔になっていたためでした。

 すると北朝鮮軍兵士が作業の中止を要求。これを拒否すると、北朝鮮軍兵士は作業隊が持っていたを奪い、国連軍の2人(米軍士官)を殺害、8人に重傷を負わせました。国連軍は抗議と報復の意味を込めて、ポプラ並木をすべて、切り倒しました

 極度に緊張が高まりました。これが「ポプラ事件」です。

 

 

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 背丈の低い木が植わっていたところが、かつての「ポプラ並木」です。

写真の中央の一番下に、白く見えるのが「記念碑です。

 

 

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 これが記念碑です。問題のポプラの木があったところにつくられていて、国連軍は板門店ツアーの観光客にここでの撮影を認めています。

 

 

 

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 ソウルから板門店に行くには、イムジン川臨津江)にかかる統一大橋を渡ります。写真は統一大橋の上から見たイムジン川・・・