バラ (品種名:マダム ヴィオレ)
むずかしい質問ですねえ。「どうして人は争うの?」。スルーしたくなりますが、無視しないで短時間、向き合ってみましょう。
旧ソ連の構成国だったウクライナでは、昔の仲間だったロシアのプーチンによる侵略で事実上の「戦争」が行われています。たくさんの若い人が死に、母親が泣く姿が映し出されます。
日本の周りでも、危険な兆しがあります。北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党総書記が火遊びを繰り返し、中国の習近平国家主席は、日本が支配している尖閣諸島の権益確保を狙っています。
そんな折、小学校高学年から高校生を対象にした、「戦争」について考える本を見つけました。タイトルは
『なぜ世界には戦争があるんだろう。 どうして人はあらそうの?』
(2011年発行、岩崎書店)
著者は、ミリアム・ルヴォー・ダロンヌというフランスの哲学者です。
答えはありませんが、味わいがありますので、以下、要旨を引用しました。
目次
- ▼なぜ人は戦争をするのか?
- ▼人間が戦争をする理由を見つけるには、どんな問いを投げかけたらいいのだろう?
- ▼戦争と文明、そして戦争と残虐行為について
- ▼戦争にはいろんな種類があるのか?戦争とは絶対に悪なのか?正しい戦争と正しくない戦争というのがあるのだろうか?
- (感想)
▼なぜ人は戦争をするのか?
「戦争が好きな人はいない。もちろん、戦争をしたがる人も、戦争におびえて暮らしたがる人もいない。戦争がもたらすのは、死と苦しみだけだと、だれもが知っている。」
「ならば、なぜ人間は争うのをやめ、平和に暮らそうとしないのか?」
▼人間が戦争をする理由を見つけるには、どんな問いを投げかけたらいいのだろう?
「なぜ人間は戦争をするのか?人間とは生まれつき暴力的で攻撃的なのか?だとしたら、人間が戦争をするのは自然なことなのか?こう問いかけると、人間が戦争をする、おおもとになる原因について、考えることができる。」
「攻撃的であるというのは、じつは『生きる』ことと、直接つながっている。戦争とは、たんに人間が持つ攻撃性がかたちとなって、理由もなくあらわれるものなのか?」
「旧石器時代の最古の人類の間ででも、戦いがあった。生き残るためか、なわばり争いか、もともと彼らが攻撃的な性格をしていたためか、正確なところはわからないが、狩猟民族と菜食民族が戦ったりというように、原人のグループ同士で争いがあったのは確かだ。」
「戦争とは、きちんと組織された社会と軍隊によって行われるものだ。組織化された社会が最初に誕生したのは、およそ五千年前の青銅器時代。いくつもの村が形づくられた。人々は収穫物や食糧を納屋に蓄えていくことができるようになり、たくわえを記録しておくために、文字が発明された。」
「その結果、なにが起こったのだろう。そういった社会では、生きるために最低限必要な量よりも多くの作物をつくることができるようになり、余った収穫物を、不作に備えてたくわえておくようになった。つまり、余分な富をためておけるようになったのである。近くに住む貧しい人々は、それをうらやみ、遊牧民などがたくわえに目をつけ、略奪を始める。」
「だが、一番の問題は別にある。それは、社会が、生きていくために必要な量以上のものを生産し、たくわえられるようになると、他人がたくわえた富にも目がいくようになるということだ。より多くのものを持つようになると、他人の財産も手に入れたくなる。そうやって、生産力が上がれば上がるほど、社会はどんどん略奪者としての性質を帯びていくのだ。」
▼戦争と文明、そして戦争と残虐行為について
「戦争は、文明と深く結びついている。文明が進歩したからといって、残虐行為がなくなるわけではない。今日、ますます文明化が進み、社会が平和になる一方で、戦争はどんどん破壊力を増している。」
「ひょっとして、人間が社会をつくり、集団で生きるということが、戦争を避けられないものにしているのか?人間はひとりで生きることはない。いつも、ほかの人間とともに暮らしている。そして、集団の中で自分の価値を認めてもらうために、必ず競争や対立が起こる。そして、暴力を完全になくすことも、おそらく不可能だろう。大切なのは、それをいかにコントロールして、うまく導くかだ。」
「では、人間同士の争いが相手を傷つけたり、殺したりするまでにエスカレートしないためには、どうしたらいいのか?この問いに答えることは、ほんとうに難しい。そして、戦争に関するさまざまな問いかけの中でも、これこそ、何より大切かもしれない。」
▼戦争にはいろんな種類があるのか?戦争とは絶対に悪なのか?正しい戦争と正しくない戦争というのがあるのだろうか?
「戦争のいちばんの犠牲者は、兵士ではなく、ごくふつうの市民たちだ。彼らはきわめて理不尽で深い苦しみを味わわされる。必ず、何の罪もない市民が巻き込まれ、命を失う。だからこそ、どんな戦争も決して正しくはないのだ。にもかかわらず、戦争についての大きな疑問がる。」
「どうしても戦争をしなくてはならないという場合があるのではないか?たとえば、攻撃を仕掛けられ、身を守るため、または攻撃を受けている無力な人々を救うため、さらには、より強大な悪に立ち向かうために戦争をするしか方法がないという状況が存在するのではないか?そこに、暴力と人権に関する大きな問題がある。力に裏打ちされていない正義は、ときに無力だからだ。」
「そうなると、当然、戦争には、正しい戦争と正しくない戦争があるのかという疑問がわくだろう。繰り返すけど、罪のない市民の命を無差別に奪うという点においては、戦争はすべて不正なものだ。」
「しかし、なにがあっても戦争を避けようとする平和主義的態度が、あやまちであったり、さらには犯罪であったりする状況もある。たとえば、戦いに勝って、ほかの国を占領するだけでなく、さらにある人種や民族を絶滅させようとする国があったとしよう。だれもがただ指をくわえて見ていたら、どうなってしまうだろう。その場合、戦争はどうしても避けられなくなる。ナチスドイツの行為は、まさにそれだ。ユダヤ人であったり、ジプシーであるというだけで、小さな子どもまで敵とみなし、殺しつくそうとした。そんなドイツのヒトラー政権を止めるために起こした戦争は、正しい戦争だとは言えないだろうか?」
「『なぜ人間は戦争をするのか?』という問いかけに対して、簡単な答えも、はっきりした答えもない。これで完ぺきという答えは、存在しないのだ。」
ウルップソウ (2021年7月16日、北アルプス白馬岳で撮影)
(感想)
なぜ人間は戦争をするのか――。
完ぺきな答えはない、と本には書かれていますが、ひとつの要因は、「土地」や「資源」にたいする物欲というものを、国家という共同体が持つからかなあ、なんてぼんやり思います。どうなんでしょう。
「殺し合い」にエスカレートしないように調整に動くのが「政治」です。でも、国連の安全保障理事会は機能不全。今の日本も、大局的にものごとを考える政治家が現れません。ぼやいていてもしょうがないですが・・・。
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