北穂高岳で味わう至福のひと時

標高3000㍍の北アルプスに登っていたころの写真記録、国内外の旅行、反戦平和への思いなどを備忘録として載せています。

「千鳥ヶ淵」の桜に外国人旅行者も熱視線

 お犬様もお花見。

 

 

 桜の名所のひとつ、千鳥ヶ淵(ちどりがふち)に行ってきました。皇居の北西部分にある江戸城のお堀の一部です。

 

 訪れたのは4月8日(月曜日)。桜は散り始め、新緑がところどころで顔を出していましたが、桜はまだ、きれいでした。

 

 花見客は、外国人が多かったですね。スマホで桜をバックに、自撮りする姿をよく見かけました。

 

 ところで、

 千鳥ヶ淵に近い地下鉄「九段下」駅で降りて地上に出ますと、周辺は黒山の人だかり。狭い歩道はたいへん混雑していました。

 若い人が多いので「何だろう、どこかの入社式か」なんて思いましたが、違いました。

 

 日本一のマンモス大学、日本大学」の入学式が近くであったのです。

 

 日大の入学式会場は、北の丸公園にある日本武道館。アメフト部の薬物事件で受験者が減ったようですが、それでも今年度の入学者は約1万7000人!!!

 母親らしき女性の姿もありました。

 

 

 さて、肝心のお花見ですが・・・・・

 

 

 

 もう散り始めていました。

 

 ここはボート乗り場の屋上。

 

 屋上は絶景ポイントです。

 

 対岸から見たボート乗り場の屋上です。

 

 

 

 外国からの旅行者がこの日は目立ちました。「コロナ過」を経て、久しぶり。

 

 桜をバックにポーズ!

 

 「カワイ~イ」なんていう声も飛んでいました。

 

 

 こちらは、「千鳥ヶ淵」の一角にある「戦没者墓苑」の入り口。

 

 千鳥ヶ淵戦没者墓苑は、無宗教の国立の施設です。

 満州事変(1931年)から始まって日中戦争(1937年~)、アジア太平洋戦争(1941年~)が終わる1945年までの間に、海外で戦死した軍人や一般の人の「遺骨」のうち、引き取り手のなかった遺骨を安置している慰霊のための施設です。

 

 

 こちらは、「千鳥ヶ淵」のとなりの「半蔵濠(はんぞうぼり)」の遊歩道です。

 「半蔵濠」と「千鳥ヶ淵」は昔は連なっていましたが、明治時代に道路をつくるために埋めたてられ、二分されたそうです。

 

 もう少しお濠(ほり)に沿って歩くと、お濠の反対側に皇居の半蔵門が見えてきます。

 半蔵門は旧江戸城(いまの皇居)の西端にある門。甲州街道(現在の国道20号線)につながる江戸城のもんです。

 

 徳川家康は、江戸城が万一、落ちた場合の備えとして、この「半蔵門」から脱出して甲州街道を通って甲斐の甲府城に逃れることを想定していたといいます。

 この門前に、家康から信頼されていた伊賀衆組頭の服部半蔵が屋敷を構えて門の警護に当たっていたため、「半蔵門」と呼ばれたようです。

 

 現在、一般の人は半蔵門を通行することはできません。

 警視庁のお巡りさんが門前にいます。

 

 

 ところで・・・・

 「千鳥ヶ淵」で写真を撮った翌4月9日は、東京は午前中、激しい雨

 花筏(はないかだ)とは申しませんが、わがマンション前の児童公園では、強い風と雨で散った桜の花びらが地表の水たまりに浮かび、桜のじゅうたんをつくっていました。

 

 

www.shifukunohitotoki.net

 

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